更新日 2025.11.04

TKC全国会 中堅・大企業支援研究会会員
日本・米国公認会計士・税理士 大樂 弘幸
のれんの償却・非償却を巡る国際的議論と、M&A促進へ国内基準見直しの動き及び国際的な開示強化の動きについて解説する。
当コラムのポイント
- 日本は「のれん」の価値が逓減するとの考え方から償却モデルを堅持している。一方、それに対する国内において新たな動きが見られる。
- IASBは圧倒的多数で非償却モデルの維持を決定した。一方で、現状の懸念点へ対応するために新たな開示要求の議論を開始している。
- 会計論争は「償却又は非償却」の議論から開示の透明性へと軸足を移動させている。減損テストの仮定やM&A後の実績の説明責任が企業に求められる可能性がある。
- 目次
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1.今後の動向:IASBによる戦略転換と開示強化の時代
非償却モデルが抱える構造的な課題に対し、国際会計基準審議会(IASB)は、償却への回帰という大胆な変更は選択せず、非償却モデルの維持を前提とした上で、その弱点を「開示の拡充」で補強するアプローチを採用しました。
(1) IASBが公表した開示強化の提案内容
2024年3月14日、IASBは「企業結合 ― 開示、のれん及び減損」と題する公開草案を公表し 、企業がM&Aに関して投資家に提供する情報の拡充を狙った提案を行いました。IASBのバーコウ議長が述べているように、「取得に関する透明性の増大が投資者の信頼に不可欠である」という趣旨の提案でした。この提案により、国際的な議論の焦点は、単なる「償却か非償却か」という対立から、「非償却モデル下で、いかに情報の適時性、透明性を確保するか」という「情報の質の最適化」の段階へと明確に移行しました。
公開草案の提案は、投資家が経営者のM&A戦略とその後の成果を検証するための、強力なツールを提供することを意図するものです 。
- 取得目的・業績目標の報告要求:企業は、最も重要な取得について、その目的及び関連する業績目標(これらがその後の期間において達成されているかどうかを含む)を報告することが要求されます。これは、投資家に対し、経営者がM&Aに踏み切った意図と、その後の結果を検証するための「説明責任(アカウンタビリティ)」を提供し、減損の遅延性を補う「事後報告による監視」の機能を持つことを意図したものになります。
- 期待されるシナジーの開示:企業はすべての重要性のある取得について期待される相乗効果(シナジー)に関する情報を提供することも要求されます 。
- 減損テストの透明性向上:減損テストの複雑性への懸念に対応するため、IAS第36号「資産の減損」の的を絞った修正も提案されており 、減損テストに使用される主要な仮定(割引率や予想成長率など)の透明性を高め、投資家が経営者の判断を評価できるようにします。
(2) 日本のASBJ/FASFによる開示要求への実務的な懸念と政策的観点
国際基準が「開示」へ軸足を移す中、日本の基準設定主体である企業会計基準委員会(ASBJ)/公益財団法人財務会計基準機構(FASF)は、この新しい開示要求に対する意見も表明しています。
ASBJは2024年7月12日のコメント・レターにおいて、償却再導入が提案されなかったことへの残念の意を表明しつつ 、具体的な開示要求事項について、実務的な懸念を示しています。特に、企業結合後の業績情報の開示について、日本側は「財務諸表外で開示することが相応しい」と主張し、競争上のリスクや監査上のコストを考慮した実務的な妥協点を模索する姿勢を示しています 。シナジーの定量的開示についても、日本企業の「慎重さ」を反映した懸念が表明されています 。
2.結論:国際的な潮流と国内議論の交錯
のれん会計を巡る議論は、「償却か非償却か」という純粋な対立の段階を脱し、「非償却モデルのフレームワーク下で、いかに情報の透明性を確保するか」という新しい課題へと移行しました。この国際的な潮流の中で、日本基準は重要な岐路に立たされています。
- 国際的な「開示」強化への適応:企業は、IASBが提案するM&A後の目的やシナジー達成度に関する開示要求に備える必要があります。これは、グローバルな投資家との対話において不可欠な要素となります。
- 国内政策的な要請への対応:国内では、スタートアップM&A促進という経済政策的な要請が金融庁の方針にも盛り込まれ、これに対応するため、のれん償却の「非償却または営業外費用」としての位置づけなど、日本独自のルール変更が検討される可能性が高まっています。これは、国際的な流れとは別に、日本市場の課題を解決するための「実務的な妥協点」を模索する動きです。
日本企業は、この「会計理論、実務、経済政策が複雑に絡み合う」論点に対応するため、国際的な基準設定の動向及び国内の基準見直しに向けた議論を注視し、それらを自社の事業戦略に落とし込みつつ、開示制度へ対応していくことが求められます。
了
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テーマ
プロフィール
日本・米国公認会計士・税理士 大樂 弘幸(だいらく ひろゆき)
TKC全国会 中堅・大企業支援研究会会員
- 略歴
- 監査法人及びFASで18年以上の経験、及び金融庁企業開示課で2年間の開示行政を経験した。企業開示課ではASBJの会議やIASBの国際会議に参加するなど日本基準及び国際会計基準の基準設定に精通する。現在は独立して会計事務所を設立し、監査業務、IPO支援、税務業務、上場企業の社外監査役業務を行う。
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- 大樂公認会計士・税理士事務所
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