のれんの償却を巡る世界の議論と日本を巡る今後の状況

第2回 非償却モデルの根拠:IFRSと米国基準の考え方

更新日 2025.10.27

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日本・米国公認会計士・税理士 大樂 弘幸

TKC全国会 中堅・大企業支援研究会会員

日本・米国公認会計士・税理士 大樂 弘幸

のれんの償却・非償却を巡る国際的議論と、M&A促進へ国内基準見直しの動き及び国際的な開示強化の動きについて解説する。

当コラムのポイント

  • 日本は「のれん」の価値が逓減するとの考え方から償却モデルを堅持している。一方、それに対する国内において新たな動きが見られる。
  • IASBは圧倒的多数で非償却モデルの維持を決定した。一方で、現状の懸念点へ対応するために新たな開示要求の議論を開始している。
  • 会計論争は「償却又は非償却」の議論から開示の透明性へと軸足を移動させている。減損テストの仮定やM&A後の実績の説明責任が企業に求められる可能性がある。
目次

1.非償却の立場:IFRSおよび米国基準(US GAAP)の理論と決定

 国際財務報告基準(IFRS)および米国会計基準(US GAAP)は、長年の議論を経て、のれんを原則として費用計上しない「非償却・減損モデル」を採用しています。このモデルは、のれんの資産としての性質に関する、日本とは異なる根本的な定義に基づいています。

(1) 非償却モデルの概念:期間の定めのない資産の考え方

 非償却モデルの支持者は、のれんは特定の期間内に価値が消滅すると断定できる普通の資産とは違うものだと主張します。のれんは、買収によって生み出された相乗効果(シナジー)やブランド価値、組織文化といった要素の集合体であり、これらの価値は、買収後の継続的な努力によって維持され、場合によっては強化される可能性があると考えます。
 したがって、のれんの価値の寿命は「期間の定めのない(無限定)」の可能性があり、価値が毀損していないにもかかわらず、規則的な償却を行うことは、企業の真の収益獲得能力を歪め、投資家にとって「真に意味のある情報」(関連性)を損なう勝手な費用配分にすぎないという批判が、非償却モデルの理論的な根拠となっています。このモデルでは、償却費という名目上の費用を計上するよりも、のれんの価値が実際に傷んだタイミングで、その全額を減損損失として一括で認識する方が、投資家に対して企業の真の状況を伝える上でより役立つ情報を提供できると考えられています。

(2) IASBによる議論の終結:再検討の可能性はほぼなし

 のれんの償却再導入を巡る議論は、2022年11月に国際会計基準審議会(IASB)によって、事実上の決着を見ました。IASBは、償却の再導入を行わないという暫定決定を下した際、議論の焦点を「償却と非償却のどちらが理論的に優れているか」ではなく、「今あるルールを変えるほど、納得のいく証拠があるか」という問いに設定しました。
 IASBは、償却モデルが減損モデルよりも投資家情報として明らかに優位であることを示す実証的なデータや理論的根拠を求めたものの、それを得ることはできませんでした。その結果、現行のルールを維持するという決定は圧倒的多数で支持されました。
 また、米国基準を設定する財務会計基準審議会(FASB)も、2022年6月以降、のれんの償却再導入に関する議論をボード会議では行っておらず 、償却再導入の気配は感じられません。

2.非償却モデルの構造的課題:減損テストの限界と国際的な懸念

 非償却モデルの信頼性は、価値が下がった時に損失を認識する「減損テスト」の正確さとタイムリーさに完全に依存します。しかし、減損テストは、日本側が懸念するだけでなく、国際的な基準設定主体自身も課題を認めています。

(1) 減損テストの複雑性と経営者の主観性

 IFRSやUS GAAPで行われる減損テストは、企業が設定する将来キャッシュフロー(現金の流れ)の見積もりや、リスクを反映させる割引率の設定に大きく依存します。これらの見積もりは、どうしても経営者の主観的な判断や、事業に対する楽観的な予測が反映されやすく、結果として、のれんが実際よりも高い価値で見積もられた状態が継続し、「減損損失の認識が遅れる」という問題を引き起こす要因となります。
 この問題の深刻さは、IASB自身が認識しています。IASBは、利害関係者からのフィードバックに基づき、「のれんが配分されている事業についての減損テストの有効性及び複雑性に関しての懸念」が示されていることを公式に認めており、これは非償却モデルが実務的に抱える構造的な欠陥を強く示唆するものです。

(2) 投資家にとっての「情報の不足」
 減損テストの主観性と、損失認識の遅延性という問題は、投資家に対して、企業の真の経済的状況に関する「情報の適時性」を損ないます。投資家は、企業がM&Aを行った後の業績や、経営者の意思決定の背景について、「取得及び取得後の業績に関する十分で適時な情報が不足している」と感じています。
 減損テスト自体が複雑でコストが高いにもかかわらず、その結果が投資家の情報ニーズを満たせないというジレンマが生じています。この状況が、国際的な議論の焦点が会計処理の厳密さ(償却の是非)から、「情報提供の質の向上」へと移行する決定的な要因となりました。
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プロフィール

TKC全国会 中堅・大企業支援研究会会員 日本・米国公認会計士・税理士 大樂 弘幸

日本・米国公認会計士・税理士 大樂 弘幸(だいらく ひろゆき)

TKC全国会 中堅・大企業支援研究会会員

略歴
監査法人及びFASで18年以上の経験、及び金融庁企業開示課で2年間の開示行政を経験した。企業開示課ではASBJの会議やIASBの国際会議に参加するなど日本基準及び国際会計基準の基準設定に精通する。現在は独立して会計事務所を設立し、監査業務、IPO支援、税務業務、上場企業の社外監査役業務を行う。
ホームページURL
大樂公認会計士・税理士事務所

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