IFRSはどこへいくのか?

第5回 国際会計基準の特質(3)

更新日 2011.08.21

  • X
  • Facebook

神奈川大学経済学部教授
英国国立ウェールズ大学経営大学院日本校(MBA)教授
田中 弘

IFRSは連結のための会計基準

 2009(平成21)年6月に金融庁企業会計審議会から公表された「我が国における国際会計基準の取扱いについて」と題する中間報告では、IFRSを個別財務諸表と連結財務諸表の両方に適用するための準備を整えるのは時間がかかるので、IFRSを連結に適用するための準備を先に進め、その後、個別財務諸表にも適用するという「連結先行」論が打ち出されました。

 「今後のコンバージェンスを確実にするための実務上の工夫として、連結財務諸表と個別財務諸表の関係を少し緩め、連結財務諸表に係る会計基準についは、情報提供機能の強化及び国際的な比較可能性の向上の観点から、我が国固有の商慣行や伝統的な会計実務に関連の深い個別財務諸表に先行して機動的に改訂する考え方(いわゆる「連結先行」の考え方)で対応していくことが考えられる。」

 ところが、IFRSには「この基準は連結財務諸表の作成に使う基準」であるとはっきり書いてありますし、「IFRSは個別財務諸表に適用することを想定していない」ということも書いてあるのです。

 世界に先駆けてIFRSの強制適用を始めたEUもIFRSは連結にしか適用していません。もともと多くの先進国では、財務諸表といえば「連結財務諸表」を指し、一般に公開している財務諸表も連結財務諸表だけというのが普通です。個々の企業(親会社を含めて)が作成する財務諸表は、その国の会社法や会計基準を適用して作成され株主総会に提出されるが、一般に公開されることはないのです。

 そう言えば、日本企業の英文アニュアル・レポートでも、連結財務諸表しか掲載していません。それは、諸外国の会計実務において個別財務諸表は公開されないからです。

EU諸国におけるIFRSの適用状況
個別(単体)にまでIFRSを強制適用 イタリア、キプロス、エストニア、ギリシャ、リトアニア、マルタ
個別にIFRSを適用することを認めていない ドイツ、フランス、スペイン、オーストリア、ベルギー、ハンガリー、スエーデン、スロバキア
上場会社の個別財務諸表にIFRSを適用することを「容認」 イギリス、アイルランド、デンマーク、ポルトガル、フィンランド、ポーランド、チェコ、スロベニア、ラトビア、ブルガリア、ルーマニア、ルクセンブルグ、オランダ
課税の決定権

 企業決算は、配当や利益処分のような、出資した者が自分たちの意思で決める「私的自治」の話にとどまらず、課税という「公」の世界とも密接につながっています。自国の「課税の決定権」をも左右する会計基準の設定を、国家の権限が及ばない英米主導の民間団体(IASB)に委ねるといったことを、主権を持った各国がするわけがないはずです。

 EUが、IFRSを採用するにあたって連結だけに適用し、個別財務諸表には各国の会計基準を適用することにしているのは、国家として当然のことなのだと思います。

 アメリカの資本市場に上場している日本企業が、連結財務諸表は米国基準(SEC基準)で作成しても個別は日本基準で作成しているのも、同じ理屈からです。

 日本が「連結先行論」を強行して個別財務諸表にまでIFRSを強制適用すれば、これからの日本の税収の多寡も、各社が計上する利益の多寡も、米英(IASB・FASB)が支配しかねないのです。日本企業が計上する利益(物づくりの利益)が少なくなるような基準を作れば、企業利益の減少、株価の低迷、法人税収入の減少、研究開発投資の抑制・・・を招きかねません。そうしたことを望んでいる人々、それによって利益を得る人々がいることを忘れてはならないのです。

IFRSは原則主義

 会計基準の設定における基本的な考え方として、「原則主義(プリンシプル・ベース)」と「細則主義(ルール・ベース)」があります。

 原則主義とは、会計基準を作るときに、細かなルールを決めずに、基本的な原理原則(プリンシプル)だけを定め、それを実務に適用する場合には、各企業が置かれている状況に応じて、設定された基準の趣旨に即して解釈するというものです。

 原則主義では、成文化される会社法や会計基準は、守るべき最低限のルールであって、そこに書かれているルールを守っただけでは必ずしも法や基準の目的が達成できるわけではない、といった考え方をします。企業が置かれている状況に応じて、必要なその他のルールや細則を自ら作り出すことが必要であったり、まれなケースでは、成文化されている法や基準の規定から「離脱」することさえ要求されることがあるのです。

 原則主義は英国では伝統的な会計観であるのに対して、米国や日本の会計は細則主義を取ってきたために、原則主義にはなじみがありません。

国際的汎用性

 IFRSが原則主義を採用するのは、IASBをイギリスがリードしてきたからだけではありません。斎藤静樹前企業会計基準委員会委員長が指摘するように「IFRSも、国際的な汎用性をもつには原則主義に徹して各国制度との共存を図るほかはない」(『季刊会計基準』2007年6月)からでした。

 細かいルールを作れば、「総論賛成、各論反対」という国が増える可能性があります。そこで、各国が賛成できる部分だけを切り取って基準とするしか、他に方法がなかったのです。

 日本やアメリカは、「法や基準に書いてあることをすべて順守すれば財務報告の目的は達成される」といった理解をしてきました。細則主義です。細則主義をとると、いきおい、法や基準には細かなことまで書かざるを得ません。日本の会計規範は、書物にして4,500頁程度(財務会計基準機構監修『企業会計規則集』税務研究会出版局)に収まっていますが、同じ細則主義をとるアメリカのUS-GAAPは25,000頁にもなるといいます。

 その点、IFRSは、書物にして2,500頁程度(薄手の紙なら1冊に収まる)にしかなりません。日本語訳にしても、2,500頁程度(『国際財務報告基準(IFRS)2010)』中央経済社)です。

実質優先主義と離脱規定―基準を守ってはいけないときもある

 英米をはじめとするコモン・ローの国々には「実質優先主義」という考え方があります。会計処理や報告においては、法律や基準に書かれている形式的な要件よりも経済的実質を重視するというものです。「形式よりも実質」(substance over form)と言われています。これは、取引などの事実の一面(特に形式面)をとらえて真実だとするのではなく、その全体像なり実態を誤りなく伝えることを求めているものです。

 しばしば例として挙げられるのは、リースの会計処理です。リース(ファイナンス・リース)では所有権の移転がないものがありますが、これは法律的には売買ではなく賃貸借とされます。しかし経済的に見ますと資産の売買(または資産を購入する資金の貸し借り)と同じです。こうしたとき、法律に従って賃貸借として処理すればリースの経済的実質が表現されません。そこで会計では、リース取引の実質を表すように、原則としてこれを売買取引と同様に会計処理・報告することにしています。これがコモン・ロー諸国における実質優先主義です。

 ただしわが国では実質優先主義という思考はありません。法律に書いてあることが最優先されます。なぜかと言いますと、わが国では法や基準から離脱することが認められていないからです。そのために、わが国ではリースに関する会計処理は「財務諸表等規則」などの法令において定められており、法令に従ってリースをオンバランスしているのです。

 コモン・ロー諸国の「実質優先主義」を支えているのが「離脱規定」です。法や基準に定めたとおりに会計処理・報告すると実質を表さないときには、その法や基準から離脱しなければならないという規定があるのです。

 この「実質優先主義」と「離脱規定」は、国際会計基準にも受け継がれています。「ある基準に従うと誤解を招く財務諸表になる場合」はその基準から離脱して適正表示することが求められています。こうした場合には「離脱してもよい」のではなく「離脱しなければならない」のです。

 大陸法系のわが国では、法や基準は守るものだという観念が支配していますから、「法(基準)を守ってはいけないことがある」というのはなかなか理解しにくい話だと思います。IFRSになりますと、これまでのように会計基準を順守していればそれでよい、というわけにはいきません。各企業の経営者と監査人は、基準に書かれている会計処理・報告の方法が適正表示や実質の表示の観点から見てベストであるかどうかを絶えず検討しなければならなくなるのです。

 これまでのように「ルールブックに書いてあるとおりにすれば免責される」という考えは通用しなくなります。経営者は自分で「この処理が自社の実態表示にとってベストかどうか」を毎期毎期、検討する必要があるでしょう。ここでは「継続適用」という考えは通用しないのです。

 IFRSでは、経営者が「離脱するべき場合に離脱しなかった場合」には責任を問われるでしょう。「離脱して別の方法を採用した場合」も、新しく採用した方法が自社に最適であったことを立証する責任があります。

当コラムの内容は2011年6月に開催した「TKC IFRSフォーラム2011.6」の参考資料の内容を掲載しています。

参考文献

田中 弘『国際会計基準はどこへ行くのか―足踏みする米国,不協和音の欧州,先走る日本』時事通信社,2010年
田中 弘『複眼思考の会計学―国際会計基準は誰のものか』税務経理協会,2011年
田中 弘『不思議の国の会計学―アメリカと日本』税務経理協会,2004年
田中 弘編著『わしづかみ 国際会計基準を学ぶ』税務経理協会,2011年

筆者紹介

田中 弘(たなか ひろし)
神奈川大学経済学部教授
英国国立ウェールズ大学経営大学院日本校(MBA)教授

免責事項

  1. 当コラムは、コラム執筆時点で公となっている情報に基づいて作成しています。
  2. 当コラムには執筆者の私見も含まれており、完全性・正確性・相当性等について、執筆者、株式会社TKC、TKC全国会は一切の責任を負いません。また、利用者が被ったいかなる損害についても一切の責任を負いません。
  3. 当コラムに掲載されている内容や画像などの無断転載を禁止します。