更新日 2011.08.11
神奈川大学経済学部教授
英国国立ウェールズ大学経営大学院日本校(MBA)教授
田中 弘
IFRSの清算価値会計
国際会計基準が目指している世界は、企業の資産・負債をバラバラに切り離して処分したときの価値、「即時処分価値」あるいは「清算価値」の計算・表示です。そこでは、本業のもうけを示す営業利益も今年のもうけを示す当期純利益も「邪魔もの」でしかないようです。一度減損処理して出した減損損失も資産を取り巻く状況が変われば「戻し入れ」(過年度に計上した損失を取り消して利益に戻し入れること)を行うのも、資産の処分価値が上昇したのであるから当然の処理ということになるでしょう。
「買い入れのれん」を減価償却しないのも、研究開発費のうち開発段階の支出(日本も米国も即時償却)を資産計上(無形資産)させるのも、企業が保有する資産の処分価値を表示させたいからです。
IFRSもアメリカ会計基準でも、金融資産の時価評価だけではなく「金融負債の時価評価」も認められています。自社が発行した社債などの金融負債は、自社に対する「格付け」によって時価が変わります。自社の信用が低下すれば格付けも下がり、時価も下落します。社外に流通している自社の社債(要は借金の証文)を買い戻す金額はそれだけ小さくて済むようになます。借金の返済額がそれだけ少なくなるのだから、その分を利益とする・・・という話です。
会社の信用が低下したにもかかわらず、自社が発行した社債の時価(決済額)下落分を利益として計上するというのは、通常の経済感覚とか世間の常識からかけ離れているといえるでしょう。もしもこれが正しいとすれば、会社の信用(格付け)が低下すればするほど負債の評価差益が大きくなり、会社が破綻する寸前には自社の借金(社債)がほとんど全額が利益に計上されるのです。これを「負債時価評価のパラドックス」といいます。
これほど通常の経済感覚と合わない話もありません。普通の生活者からみますと、「借金が利益に変わる」のであれば、自分の借金・ローンも何とかして「儲け」に変えてほしいと思うでしょう。
何も架空の話をしているのではありません。実は、世界金融危機の引き金となったリーマン・ブラザーズ(アメリカの大手投資銀行。名称は銀行であるが実態は証券会社)は自社の破綻が近づくなかで、2007年度には9億ドル(270億円)、2008年度には24億ドル(1,920億円)の「負債時価評価差益」を計上しています。アメリカ市場に上場している野村ホールディングスも、同じ時期に600億円の負債時価評価益を計上しています。
しかし立場が逆になったときは、恐ろしい話になるのです。つまり、「会社の格付けが良くなれば、借金が増える」という悪魔的な結果を生むのです。私は今、英国国立ウェールズ大学が日本で展開しているMBA大学院(東京校)の教授という仕事をしています。教授といっても非常勤で、週末に企業の管理職を対象として「財務会計」を教えています。
先日、上のような話をウェールズ大学の院生にしたところ、私の講義に同席していた東京校アカデミック・ディレクターの福田眞氏(元・みずほ証券株式会社社長)から「会社の信用が上がると、負債の評価損がでる」というお話をお聞きした。時間がなくて詳しいことはお聞きできなかったが、こういうことではなかったろうか。
例えば、信用度の低い会社がジャンク・ボンド(信用度が低いために市場での取引価格は低いが、その分約定利息は高く設定されている)を発行したとする。一口(100円)につき80円で発行、しかし約定利息は年利10%のように高金利であるとします。この社債の格付けはBクラスで、社債は現在の市場では80円で取引されているとします。
ところが、この会社の社員が努力して、あるいはこの会社に高収益を上げる事業が立ち上がって、財務体質も大幅に改善し、格付けがAクラスになったとします。この会社の社債は、高金利を約束していることから今では発行価額の100円どころか110円でなければ買えないとします。この会社は自社が発行した社債を今すぐに買い戻すには80円ではなく、110円が必要になります。一口(100円)について30円の追加資金が必要になりそれだけ損失が生まれた・・・と考えると、「負債時価評価による損失」を計上しなければなりません。
負債の時価評価は、かくも不思議な世界、常識が通用しない世界です。信用を失えば失うほど利益が増えて、会社の信用が高まれば高まるほど損失が大きくなるのです。はたして、皆さんはこうした話に納得されるでしょうか、それとも「会計理論」「経済理論」からみて正しいと考えるでしょうか。
国際会計基準が目指すのはそうした企業資産・負債の「処分価値会計」であり「清算価値会計」です。営業利益とか当期純利益といった「収益力情報」や、付加価値のような企業の「社会的貢献度を示す情報」は、現在という「瞬間風速的な企業価値」を測定するには不要な、「ノイズ」となる情報だということになります。
(最後に掲げてあるP&Lを参照)
IASBが想定する「投資家」
上に紹介しましたように、負債の時価評価には一般の経済感覚からはまったく説明のつかない現象(「負債時価評価のパラドックス」という)があるのです。ところが国際会計基準が目指す清算価値会計では、企業が抱える負債の決済価額(いくらで負債を返済できるか)でバランス・シートに乗せることが重要なのです。ですから、国際会計基準の世界では「負債時価評価のパラドックス」は存在しないのです。
国際会計基準審議会(IASB)は、将来的には流動資産も固定資産(土地も工場も機械も)も、負債もすべて時価で評価する「全面時価会計」に移行することをゴールとしているようです。国際会計基準が「公正価値」を重視しているとか「公正価値会計」を目指しているようにいわれますが、そこでいう「公正価値(フェア・バリュー)」は「即時処分価値」であり「即時清算価値」に他ならないのです。
要するに、国際会計基準は、M&Aをかけようとする企業やファンドを「投資家」とみて、彼らが欲しがる「企業売買に必要な情報」を提供しようというのだと思います。
「物づくり」の利益より「評価益」を重視
これまでの世界の会計は、製造業や流通サービス業を想定して、その年の売上高(収益)からその年に使った費用を差し引いて、残りがあれば利益とする会計方式でした。企業の努力(使った費用で測定される)とその成果(収益の額で測定される)が「当期純利益」として報告されるのです。
この方式は、年間を通して安定的な事業を営み、中長期にわたって継続的な経営を続ける企業、たとえば、「物づくり」の国である日本や欧州・アジアの諸国の会計として最もふさわしいものです。世界中の国々では、少なくとも、ここ70年間(アメリカが大恐慌を経験した1920年代以降、ごく最近まで)は、この会計方式(最近では「収益費用アプローチ(収益費用法)」と呼ばれる)を採用してきました。
ところが、世界の最強国であるアメリカが、「物づくり」の国から脱落してしまったのです。20年ほど前までは、アメリカの企業が稼ぐ利益の半分は製造業でしたが、いまでは、それが3割にまで落ち込んでしまっているといいます。製造業の衰退は、アメリカの自動車産業を見ればよく分かります。
そうした事情を反映したのか、今では、アメリカの企業は軸足を「物づくり」から「金融」と「企業売買ゲーム」に移し、全企業の利益の3割強を金融業が稼いでいるといいます。
キャッシュ・フローの裏付けのない評価益
金融業は手数料ビジネスですから、物づくりと違って、収益(売上高)から費用を支払って、残りが出れば利益という計算ではほとんど利益がでません。アメリカでは四半期報告ですから、3カ月ごとにグッド・ニュースを流さなければ高株価経営が続けられない。その結果、目を付けたのが時価を使った「評価益」でした。時価をうまく使えば、四半期でも半期でも、思い通りに利益をひねり出すことができるのです。汗水流して、智恵の限りを尽くして、日に夜を注いで「物づくり」に悪戦苦闘せずとも、デリバティブなどを駆使して、コンピューター上の数字をちょっと変えるだけで巨万の富が転がり込んでくるのです。
ただ、そうして計上した評価益は、キャッシュ・フローに裏付けられていないという時限爆弾を抱えており、それが爆発したのが、今回の世界金融危機でした。
「その他包括利益」の例 |
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金融商品の評価差額(未実現損益。期末現在、実現可能な部分もある) 為替換算調整勘定(未実現損益。期末現在、実現不可能) 年金数理上の利得・損失(経営者の裁量が大きく働く可能性がある)など 土地再評価差額(未実現損益。客観的な評価が困難) (負債評価差益など) |
当コラムの内容は2011年6月に開催した「TKC IFRSフォーラム2011.6」の参考資料の内容を掲載しています。
参考文献
田中 弘『国際会計基準はどこへ行くのか―足踏みする米国,不協和音の欧州,先走る日本』時事通信社,2010年
田中 弘『複眼思考の会計学―国際会計基準は誰のものか』税務経理協会,2011年
田中 弘『不思議の国の会計学―アメリカと日本』税務経理協会,2004年
田中 弘編著『わしづかみ 国際会計基準を学ぶ』税務経理協会,2011年
筆者紹介
田中 弘(たなか ひろし)
神奈川大学経済学部教授
英国国立ウェールズ大学経営大学院日本校(MBA)教授
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