IFRSはどこへいくのか?

第3回 国際会計基準の特質(1)

更新日 2011.08.01

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神奈川大学経済学部教授
英国国立ウェールズ大学経営大学院日本校(MBA)教授
田中 弘

 国際会計基準(IFRS)には、次のようないくつかの特質があります。多くは、これまで世界が共有してきた会計観(収益費用アプローチと原価・実現主義をベースとした会計。収益費用アプローチ)から大きくかけ離れているものです。

  1. M&Aを掛けようとする企業やファンドを「投資家」とみて、彼らが欲しがる情報を「会計情報」として提供しようとしていること
  2. 「投下資本の回収計算」とか「処分可能利益の計算」「キャッシュ・フローの裏付けのある利益」といった実現概念に立脚した思考はないこと。実現主義を否定して「発生主義的な会計処理」を求めていること
  3. 「清算価値会計」を志向していること。そのために資産・負債を時価(公正価値―経営者が合理的と考える価値でもよい)で評価し、評価差益を利益として報告すること
  4. 収益力情報よりも「処分価値情報」を重視していること
  5. 細かな規定を設けない「原則主義」に立脚すること
  6. 法の形式よりも経済的実質を重視する「実質優先主義」を採用し、それを実行するために「離脱規定」を置いていること
  7. 連結財務諸表にだけ適用することを予定した基準であること(個別財務諸表への適用を想定していない)

 こうしたIFRSの特質は、日本の会計界にとって「黒船」に近いものですが、実は、世界中の国々にとっても「黒船」なのです。IASBはどこの国も経験したことがない会計(IFRS)を、実験も実証もなしで強行しようとしているのです。一度も飛ばしたことがない飛行機を「テストなし」で「満席の乗客を乗せて」飛ばすようなものです。

 そういう意味では、IFRSは世界の会計界・産業界を相手にした「壮大な実験」を試みようとしているのかもしれません。しかし、この実験が失敗に終わっても、実験主体が民間のIASBですから、実質的には誰も法的な責任や政治・経済的な責任を問われないでしょう。IASB・IFRSには公的・法的な権限もありませんが、それだけに公的・法的な責務もないようです。

 以下では、上に紹介したIFRSの特質を、もう少し詳しく紹介したいと思います。

会計の財産計算機能

 現代の経済社会において「会計」にしかできないことがあります。それは「企業のトータルな利益を期間的に区切って計算すること」です。中世に発明された複式簿記が世界中で使われるようになったのは、複雑になった企業活動の成果をシステマティックに計算する技術が他にないからでした。

 企業の利益を断片的に計算する方法はいろいろあります。例えば、固定資産(土地や建物)を売買して得た利益を計算するとか、お金を貸して受け取る利息を計算することなどは、それほど難しいことではありません。複式簿記などという面倒なシステムを使わなくても計算できます。

 しかし、現代の大規模企業のように、世界中に工場やら多数の機械を持ち、世界中から集めた大量の原材料を使って1年中休みなく複雑な製品を生産している場合には、利益を断片的に計算して合計しても企業活動全体の利益を計算したことにはならないのです。

 特に、製造業では、何年も何十年にもわたって永続的に事業が営まれるために、利益を断片的に計算することさえ不可能です。そこで、企業全体の利益を、期間を区切って計算する統合的な計算システムが必要になるのです。そのシステムとして考案されたのが複式簿記であり、それをベースとした会計です。現在のところ、「企業のトータルな利益を期間的に区切って計算する」という仕事は、会計以外にうまくできる仕組みはありません。「企業利益の計算は会計の専売特許」といえると思います。

 ところが最近は、会計の仕事として、「利益の計算」に加えて、あるいは、利益の計算以上に、「財産を計算する機能」や「投資の意思決定に必要な情報を提供する機能」を重視する傾向が強くなってきました。特にアメリカにおいてそうした傾向が顕著です。アメリカで財産計算や投資情報が重視されるようになった背景には、M&A(企業の買収や合併)の流行や四半期報告があるようです。

 かつては他企業の買収(取得)といえば、自社にない製品や製法を持っているとか大きな市場を持っている企業をターゲットにしました。それが今では、バランス・シートに表れない資産、例えば有力なブランド、大きな含みのある土地などを保有する企業を買収して、買収後に資産を切り売りして売却益を稼ぐような荒っぽい商法にとってかわっているのです。

 一部の投資家は、そうした荒っぽいビジネスをするために必要な会計データを欲しがっており、国際会計基準はそうした情報ニーズに応えようとして企業が持っている財産(資産と負債)の現在価値(即時清算価値、即時処分価値)を計算・表示しようとするようになってきました。

 IFRSによる財務諸表は、企業活動の成果である利益の報告よりも、企業の清算価値を表示することに重点が置かれています。後で述べますように、IASBはいずれ「営業利益」や「当期純利益」の表示を禁止することを考えています。「会計の専売特許」ともいうべき「利益の計算」を会計の役割から除外しようというのです。そうしたことが明らかになるにつれて、日本の産業界からも「IFRSは会計ではない」という声が聞かれるようになってきました。

3カ月ごとのグッド・ニュースを出すためのM&A

 国際会計基準が企業の所有する資産・負債の現在価値を重視するのは、上で述べたような一部の投資家の情報ニーズだけではありません。

 アメリカでは3カ月ごとに経営成果を計算・報告してきました。「四半期報告」です(日本でも最近、上場会社には3カ月ごとの四半期報告が求められるようになりました)。

 アメリカでは四半期情報に株価が敏感に反応します。前の四半期(例えば1月から3月まで)の利益よりも当期(4月から3カ月)が良ければ株価は上昇しますし、前年同期(例えば、2010年の1月―3月期)よりも当年度同期(2011年1月―3月)のほうの利益が大きければ、その情報に株価は敏感に反応して上がります。

 そのためにアメリカの経営者は、四半期ごとに何らかのグッド・ニュースかサプライズを株式市場に流さなければならない、と考えるのです。アメリカの経営者の報酬が、株価の上昇と利益の増加とともに増えるシステム(ストック・オプションを使った報酬制度)と成功報酬制度(一定以上の利益を稼いだら報酬が増額される)になっているのも大きな要因です。

 アメリカでは、投資家も、株価の変動と四半期ごとの利益を見て株を売ったり買ったりします。わずか四半期(3カ月)かそこらでは本業の利益が大きく変動することはないし、いつもいつも四半期ごとに「前年同期よりも増益」「前四半期よりも増収」といったグッド・ニュースを報告できるわけはありません。

 アメリカ企業が盛んにM&A(他企業の買収や合併)を繰り返すのは、簡単に利益をひねり出せるからです(時価を使って評価益を利益として計上する「時価会計・公正価値会計」はもっと簡単に利益を作ることができます)。

 今のアメリカ企業にとって、他企業を買収するには収益力情報(その企業が毎期どれだけの収益を上げてきたか)は要らないのです。どうせ買収した後は資産をバラバラにして切り売りするのです。欲しい情報は、資産の売却価値であり負債の清算価値です。アメリカでキャッシュ・フロー計算書が重視されるのも、キャッシュという、極めて流動性の高い資産の動きが企業財産の価値(清算価値)を知る有力な手掛かりになるとみられているからであろうと思われます。

 こうした事情から、アメリカでは損益計算書(収益力)よりも貸借対照表(財産価値)を重視するようになってきました。その傾向は、国際会計基準にストレートに反映されているのです。

当コラムの内容は2011年6月に開催した「TKC IFRSフォーラム2011.6」の参考資料の内容を掲載しています。

参考文献

田中 弘『国際会計基準はどこへ行くのか―足踏みする米国,不協和音の欧州,先走る日本』時事通信社,2010年
田中 弘『複眼思考の会計学―国際会計基準は誰のものか』税務経理協会,2011年
田中 弘『不思議の国の会計学―アメリカと日本』税務経理協会,2004年
田中 弘編著『わしづかみ 国際会計基準を学ぶ』税務経理協会,2011年

筆者紹介

田中 弘(たなか ひろし)
神奈川大学経済学部教授
英国国立ウェールズ大学経営大学院日本校(MBA)教授

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