更新日 2011.07.20
―会計基準を巡る金融資本の野望と政治力学―
神奈川大学経済学部教授
英国国立ウェールズ大学経営大学院日本校(MBA)教授
田中 弘
会計の原点
主要な経済先進国には、それぞれの国の経済環境や法律・歴史・国民の経済感覚などに合った独自の会計基準があります。アメリカにはアメリカ独自の会計基準(US-GAAP、ユーエス・ギャップと発音します)があり、フランスにはフランス会計基準、ドイツにはドイツ会計基準が発達しました。日本にも、日本の経済環境や国民の経済感覚に合った会計基準があります。
国や地域によって「資本観」「利益観」「企業観」「宗教」「資産形成度」などが異なりますし、お金を貸して利息を取ることが禁止されているところもあれば、余裕資金を株で運用することが許されないところもあります。資本の蓄積が小さい国では、資本とする範囲を広く解釈し、分配に回す利益を少なくすることもあります。各国の会計基準はそうした事情を反映して国や地域によって異なるのです。
ところが最近では、世界中の国々で使う会計基準を1つに集約して国際会計基準にしようとする動きが活発になってきました。各国に独自の会計基準がありながら、なぜ、世界の会計基準を1つにするのでしょうか。この疑問に答える前に、なぜ、各国で会計規制と会計基準が必要なのかを書くことにします。
規模の大きい会社の経営者は、多数の、経営に直接関与しない投資家(株主、債権者など。経営に直接に関与しないことから「不在投資家」と呼ばれます)から資金を集め、それを元手として事業を行っています。経営者は、投資家から預託された資金を、どのように活用し、それからどれだけの成果を上げ、また、預託された資金が現在どのような形で会社に残っているかを、資金提供者である投資家に継続的に報告するのです。これを「ディスクロージャー(企業内容の開示)」といいます。
難しい話ではありません。子供のころに母親に頼まれて買い物をしたことがあると思います。買い物をした後母親に「トウフがいくらでダイコンがいくらで、だからおつりはいくらだった」と買い物の一部始終を報告したと思います。これが「会計の原点」で、他人のお金を預かって、何にいくら使って、現在いくら残っているかを説明することです。
資金を預けた投資家にとって、利益の計算や期末財産の計算は一番重要な話です。その一番重要な計算を、普段の付き合いもない、あるいは遠く離れたところにいる経営者にまかせっきりにするわけにはいかないので、経営者と投資家との間で計算や報告のルールを決めておく必要があります。そのルールは現在の投資家(株主)が納得するだけではなく、将来その会社に投資する人たちも納得するものでなければならないでしょう。
そうした事情から多くの国では、企業の決算や会計報告に関する規制(ルール)を法律に書いているのです。わが国でいえば、代表例が会社法です。上場しているような大規模会社の場合には、さらに金融商品取引法(金商法)という法律があります。
コモン・ロー世界の会計基準
ところが、わが国だけではなく英米などのコモン・ロー諸国では、こうした法律にはあまり詳細な会計規制は書かれないのが通例です。法律には規制の骨子なり趣旨を書くにとどめ、実際に企業の決算や会計報告をする場合には、「会計基準」と呼ばれるルールを定めるのです。
なぜ詳細なルールを法律に書かないのでしょうか。一般に言われていることは、法に書くと規制が硬直化して経済の変化に対して迅速な対応が難しいということと、あまり細かなことまで法に盛り込むと法が膨大なものになるので法をスリムにするためだといいます。
そこでは法に書かれるルールも会計基準に書かれるルールも、同じ役割を果たすことが期待されているのです。わが国の会計基準である「企業会計原則」には、「企業会計原則は、・・・・・必ずしも法令によって強制されないでも、すべての企業がその会計を処理するに当って従わなければならない基準である」と書いてあります。会計基準(昔は会計原則と呼んでいました)は、法律と同じように守らなければならないルールと考えられているのです。
会計基準は法令ではありません。しかし、企業が会計処理するに当たってはこれに従わなければならないというのです。大陸法の法思考に慣れ親しんだ日本人には違和感のある話かもしれません。
投資家のための会計
会計の世界が大きく変わり始めたのは2000年ころからです。それまで会計制度・会計基準といえば、各国がその国独自の経済状況や企業環境、法律、証券市場の状況、税制などを反映して、独自の会計制度を作り、独自の会計基準を設定してきました。
会計先進国といわれるアメリカ・イギリス・日本では、直接金融を前提とした「投資家のための会計」「資金調達と資金運用結果を報告するための会計」が行われ、ドイツやフランスでは、経営者のための会計や国家のための会計(広い意味での「管理のための会計」)が行われてきました。
ところが大規模企業の活動やその血液ともいうべき資金は、国という枠を超えて、世界を1つの市場経済・資本市場として活発に動くようになり、会計もこれまでのような国ごとに違う制度・基準では新しい動向に対応できないと考えられてきたのです。
投資家は、これまでは主として自国の企業に投資(株や社債を購入)してきましたが、世界を見渡せば、他の国や地域には、より投資効率がよいと考えられる企業や自分のポートフォリオ(投資する資産を組み合わせること)に合う企業がありそうです。そうなれば、投資家は自国の企業にこだわらず、他国の企業などに投資する機会をもちたいと考えるでしょう。
そうした投資家にとって大きな障害は、投資したいと考える企業が、それぞれその国の会計基準に従って財務諸表(会計報告書)を作成しているために、簡単には比較できないということです。ある国の法律や会計基準に従って作成した財務諸表が、別の国の法律や会計基準に従って作成した財務諸表と大きく異なるとすれば、投資家は多大な努力なしには正しく比較することができないでしょう。
例えば、Aという国の会計基準では企業がその年に支出した研究開発費を資産に計上することが認められ(多くの企業も資産計上している)、Bという国の会計基準では研究開発費はすべてその年の費用とすることになっているとします。あるいは、Cという国の会計基準では買入れのれんを毎期規則的に償却することとしているのに対して、Dという国の会計基準ではのれんを償却しない(のれんに減損が生じない限り減額しない)、さらにEという国の会計基準ではのれんは即時に償却(資産計上を認めない)ということになっているとしましょう。
こうした場合に、投資家が、A国の企業が作成する財務諸表とB国の企業が作成する財務諸表を単純に比較すると、誤解してしまう恐れがあります。C国の企業とD国の企業の比較でも同じです。
異なる会計基準を適用して作成した財務諸表を単純に比較すると、研究開発費を資産に計上(その年の資産が増えて、費用が少なくなるために、利益は増える)する企業と、研究開発費を即時に費用化する企業(費用が大きくなり利益は小さくなる)を比べることになり、投資家は誤解してしまうでしょう。
会計基準が違うために生じるこうした問題を比較障害といいます。そのまま単純に比較すると誤解を招く恐れがあることをいいます。
のれんの償却・非償却という会計基準の違いも比較障害になります。最近の企業買収は大型のものが多く、そこで計上される「買入れのれん」も巨額になっています。そののれんの額を資産に計上して償却しない企業と、計上することを認めて規則的に償却することにしている企業と、まったく資産に計上せずにその期の費用とする企業では、バランス・シートに与える影響も損益に与える影響も大きく異なることになるでしょう。
会計基準を国際的に統一しようという考えは、こうした国による会計基準の違いをなくして、どこの国の企業同士でも、財務諸表を容易に比較できるようにしようとするものです。
当コラムの内容は2011年6月に開催した「TKC IFRSフォーラム2011.6」の参考資料の内容を掲載しています。
参考文献
田中 弘『国際会計基準はどこへ行くのか―足踏みする米国,不協和音の欧州,先走る日本』時事通信社,2010年
田中 弘『複眼思考の会計学―国際会計基準は誰のものか』税務経理協会,2011年
田中 弘『不思議の国の会計学―アメリカと日本』税務経理協会,2004年
田中 弘編著『わしづかみ 国際会計基準を学ぶ』税務経理協会,2011年
筆者紹介
田中 弘(たなか ひろし)
神奈川大学経済学部教授
英国国立ウェールズ大学経営大学院日本校(MBA)教授
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