高齢化の問題やTPP(環太平洋経済連携協定)交渉で揺れる農業界だが市場に“新風”を注ぐ経営者も増えてきている。ここでは4人の経営者にスポットを当て、その奮闘ぶりをリポートする。
日本の農業を変革した先駆者として、全国にその名を轟かせているのが株式会社和郷の社長で、農事組合法人和郷園の代表理事を務める木内博一氏(44)だ。
現在、和郷園に加盟する専業農家は約50軒(登録件数は約90)で、その平均従業員は約10名、平均年商は5000万円にのぼる。「自然循環型農業」((『戦略経営者』2012年6月号23頁)という独自のビジネスモデルを構築し、和郷園グループ全体では年間50億円強を売り上げている。
なぜ木内社長は農業改革に挑んだのか、どうやって和郷園をここまで発展させてきたのだろうか……。
マーケットインの発想
木内社長が家業の木内農園(現さかき農産)に就農したのは1989年のことで、当時は主にサツマイモやニンジン、ジャガイモなどを生産し、地方市場に卸していた。ところが、あるとき、それまで日本の農業界が当たり前と思っていたことに疑問を抱いたのだ。
「例えばダイコンを市場に卸したとすると、100円の日もあれば3日後に10円、20円ということもあるわけです。ダイコンを作るのにタネ代や肥料代などの経費がかかっているのに、製造原価が担保される日もあればされない日もあり、ならしてみればされない日のほうが多い。これはもはや事業として崩壊しているのではないかと思いました。ではなぜそんなことが起こるのかといえば流通に問題があり、それは需要と供給のバランスが崩れ、供給過剰に陥ったからです。つまり、それまでは需要が旺盛だったため、仮に今日が50円とすれば明日は60円という具合に上がっていきましたが、私が就農したころから供給が上回りはじめたことで原価が担保されない場合のほうが多くなったわけです。しかも、供給過剰の様相は今後ますます強まるだろうから、従来のやり方を変えなければ経営は厳しくなるに違いないと。ではどう変わればいいのかと考えたとき、答えは2つしかない。1つは生産規模を拡大するか、もう1つは市場に代わる新しい需要先を創り出すかであり、私が選択したのは後者です」と木内社長は説明する。
そこで、新しい需要先を開拓するため、木内社長が取った行動はAスーパーの門をたたき、取引してもらうことだった。本来ものづくりは顧客のニーズを知らなければできないが、それまでの農業は需要に対して供給が足りなかったため、ニーズを知らずとも作れば売れたのである。そのやり方・発想を、木内社長はビジネスの原点に返って川下のスーパーへ行き、消費者が求めているのは何かをつかむ“マーケットイン”に切り替えたということだ。
このとき、Aスーパーのバイヤーが教えてくれたのが、減農薬・無農薬野菜なら消費者に喜ばれるということだった。そこで木内社長は父親の助言のもと、冬場に無農薬でホウレン草とダイコンを作ることにした。冬場なら病害虫が少ないからだが、この2品目を突破口にスーパーとの取引を拡大していく。しかし、その際、乗り越えなければならない壁があった。物流問題である。宅配便の料金が現在より相当高かったため、木内社長は農作業を終えた夕方、自らトラックでスーパーに配送していたからだ。「いくら若いとはいえ、これでは体が持たない。そこで農業後継者の集まりなどで知り合った仲間(4名)と一緒に配送をやることにした」(木内社長)のだ。
それが91年のことで、千葉県を地盤に5名でスタートしたこの“産直仲間”が、数年後には一気に25名以上に膨らむのである。理由は、一言でいえばゴボウを生協に提供したことにある。
「昭和30~40年代ごろからゴボウを埼玉の問屋に販売していたのですが、その年相場が安くて、売れば赤字になるかもしれないということで悩んでいました。そこで、この問題を解決する方法としてひらめいたのが、スーパーの売り場に並べやすいように、ゴボウをカットして袋に詰めて提供したらどうかというものでした。つまり、産直で知り合った仲卸にそのサンプルを持っていくと、AスーパーのほかにB生協のバイヤーもたまたまきていて、『それは面白い』と言ってくれたのです。
というのも、ゴボウは長いため箱の中に詰めたり配達するのに手間がかかり、B生協も困っていたからです。で、このとき初めて生協と取引させてもらったのですが、とにかく注文量が多くて、うちだけでは対応できず、近隣の同じような悩みを抱えていた農家からもゴボウを買い取って提供しました。埼玉の業者の2倍の価格で買い取りましたが、それでももうかりましたね」と木内社長は話す。
このゴボウをB生協に提供したのがきっかけで、ほかの生協からもゴボウの注文がくるようになる。のみならず、ダイコンやホウレン草などのオーダーも入りはじめたことで、木内社長は「産直仲間に声をかけ、彼らの野菜も生協に提供してもらえるよう頼み込みました。それでも足りなくなると、ツテを頼って“協力者”を増やしていき、3年くらいでその数は25名以上になりました」という。
冷凍・カット工場を設置
さて、木内社長のもとに25名以上の生産農家が集まったことで、それらを束ねて営業や品質・ブランド管理などを専門に行う組織として96年に和郷、98年に生産農家の組合組織として和郷園を設立したのである。
その背景には別な事情もある。人手(労働力)の問題だ。「日本の農業は家族経営が中心のため、父親が40~50代、息子が20代のときが最も生産能力が高い。しかしその20年後、親が動けなくなり自分(息子)だけになったとき、果たして農家は成り立つのかと。これを解決する方法は人を雇用する以外にない。でも、それは新たなコスト(人件費)が発生することから、それをまかなえるだけの収益力がなければ難しい。だから、安定して収益を上げられるための“装置”として和郷と和郷園を作った」(木内社長)のである。
実際、冒頭に記したように、和郷園の加盟農家約50軒は約10名(パート含む)を雇用し、平均年商は5000万円で、加盟当初と比較してどこも規模が2~3倍に拡大しているというからすごい。
ではどのような方法で生産販売されているのだろうか――。現在、和郷には営業員が10名以上おり、首都圏を中心に約60社と取り引きしている。一方、和郷園ではダイコンやトマトなど約50種類、1農家当たり6~7種類を生産している。
「農産物は工業製品と違って今日(注文)の明日(納品)というわけにはいきません。作付けから収穫、納品まで時間がかかります。例えばCスーパーと《ダイコン1本100円、1日1000本、3カ月間提供》という内容で契約したとすれば和郷園の加盟農家のなかで、それに適したところに作付け依頼するわけです」
しかし、ここで問われるのは、農産物は天候によって豊作・不作の波が常にあるため、それをどう調整・吸収して得意先や加盟農家に迷惑をかけないようにするかだろう。前述のCスーパーの例でいえば、毎日ダイコン1000本を提供する契約だったのが、豊作で1500本とれてしまったとする。このとき余分な500本を市場に流せば、C社と契約した単価100円より豊作ゆえに安く買われるだろう。C社のライバルスーパーがそのダイコンを仮に50円で市場から仕入れて98円で店頭販売すれば、C社はダメージを受ける。C社からすればダイコンが市場に流されたこと自体、和郷園の裏切りと映るかもしれない。
そこで、こうした事態(リスク)を回避する方法として木内社長が考えたのが03年に立ち上げた「冷凍野菜工場」である。つまり豊作などで余った場合でも、いっさい市場に流さず、それを冷凍野菜工場で処理することにしたわけだ。また、旬の時期にとれたおいしい野菜を冷凍保存しておけば、おいしいままの状態で一年中安定的に得意先に提供することもできる。
さらに04年には「カット野菜工場」を立ち上げ、規格外農産物などの加工処理を始めた。規格外でもカットしてしまえば見た目の問題はなくなるし、それらを「きんぴらセット」や「煮物セット」などにパッケージ化すれば付加価値をつけて得意先に提供することができる。
要するに約50種類の野菜を契約栽培していて、天候などによって余る場合もあるし、規格外になる場合もあるが、市場流通に頼らず、かつ価値を落とさずに提供する方法(仕組み)として、冷凍したりカットしたりしているわけである。その仕組みに“エコ” を加え、「自然循環型農業」にしているのが和郷園ならではの特長だ。すなわち野菜の契約栽培→冷凍工場・カット工場→野菜クズ→堆肥・液体肥料→野菜の契約栽培というサイクルを回しているということであり、この循環型農業を作り上げたところに木内社長のすごさがある。氏が“農業界の革命児”といわれるのもうなずける。
(本誌・岩崎敏夫)
名称 | 株式会社和郷 |
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代表者 | 木内博一 |
設立 | 1996(平成8)年6月 |
本社 | 千葉県香取市新里1020 |
TEL | 0478-78-5501 |
売上高 | 約33億円 |
社員数 | 57名 |
URL | http://www.wagoen.com/ |