大野一夫会長
福島県いわき市の小名浜港。外国貨物船が入港する、県内最大の港だ。3月11日の東日本大震災では、ここも津波の大きな被害を受けた。埠頭からそれほど離れていない場所に事務所を構えていた小名浜水先区水先人会の大野一夫会長(67)もこの日、牙をむいた海の恐ろしさをあらためて思い知らされた。
水先人(パイロット)として16年以上のキャリアをもつ大野会長の活躍の場は、もちろん海。港を出入りする大型船に乗り込んで安全に誘導するのが水先人の主な仕事だ。港湾内のルールにもとづいて、目的の埠頭に離着岸させる。トランシーバーは業務を遂行するうえでの必須のツール。無線でタグボートに細かい指示を出しながら、着岸時における大型船の微妙な動きを制御する。小名浜港には4人のパイロットがいて、それら個人事業主が所属するのが小名浜水先区水先人会。小名浜港以外にも、福島県内の相馬港などで同様の仕事をおこなっている。
地震発生の当日、大野会長は事務所内にいた。各パイロットがどの持ち場を受け持つかという、週明け月曜日の作業スケジュールをあらかた決め終わり一息ついていた時分、激しい揺れに襲われた。このとき事務所内にいたのは、たまたま自分ひとり。建物の外に出て、ひとまず安全な場所(事務所裏の鉄道線路)に避難した。近くのいわき市観光物産センター「ら・ら・ミュウ」から避けてくる人々がすでに集まっていた。
「ほどなく『津波が来るぞ』という海上保安部の職員の声が聞こえてきたんです。それですぐさま事務所に引き返し、出入り口付近にあった自分のトランシーバーとライフジャケットを手にして自家用車に乗り込みました。建物内は散乱していて、ほかに必要な物を取り出す余裕はなかったし、その2つがあれば週明けに入っていた予定の仕事を何とかこなせるはずだと……。この時点ではまだ、津波による被害がこれほど甚大になるとは思っていなかったわけです」
避難する車が徐々に増えつつあったが、道路は割とスムーズに流れていた。ただ、信号は全部消えていて、いつもとは勝手が違う運転を余儀なくされた。目指したのは事務所から約2キロ先の高台にある自宅だった。
「玄関を開けると中はメチャクチャ。どうにか足場をつくって1時間ほど片付けをした後、港の様子を確認するために見晴らしのよい場所に向かいました」
そこで目にしたのは、これまでに見たことのない小名浜港の姿だった。津波により防波堤、岸壁、道路の区別がつかなかった。
深夜から朝にかけて、ようやく同じ職場の仲間たちと安否確認がとれ、全員無事であることが判明。港湾内にある海上保安部の建物に避難していた2人から「事務所が水没した」という事実を告げられた。
津波がひいた翌朝、事務所の様子を見にいくと、中はドロだらけでひどいありさま。流されてしまった物も多かったし、書類等は残った泥水に覆われていた。作業スケジュールを水性ペンで記したホワイトボード(水先予定表)の文字は全部かき消されてまっ白な状態。おそらく月曜日に入っていた仕事はいったん白紙に戻るだろうが、前日までに入港させた船を再び出港させられるか心配だった。
震災から2日後の13日の朝、大野会長は石油を積んだタンカーを出港させる水先案内を遂行した。震災の影響から荷揚げはされず、運んできた石油は積んだまま。危険物を積んだ船がいつまでも港の中にあるのは好ましくないという海上保安部からの申し出もあり、迅速な対応が求められていた。
「地震発生前に停留していた5隻のうち、すでに2隻は自力で出港。それ以外の3隻をわれわれがサポートしました。トランシーバーを私のを含めて2機、回収できていたのは不幸中の幸いでした」
大野会長らが使うのは港湾業務用に指定された周波数に対応したトランシーバーであり、簡単に代替品が用意できるものではない。それが本来4機あるうちの2機とはいえ、無傷で手元に残っていたのは震災後すぐに事業を再開するうえで大きかった。出港にあたり、大型船の船の向きを変えたりするのにタグボートの協力は欠かせない。その手段として必要なのだ。
アパートの一室を拠点に
たとえ震災直後であっても、港を出入りする船がある限り、そのサポートにあたるのが水先人の使命。そのためにも早急に、新たな活動拠点を設けなければならなかった。つまり、仮事務所の確保だ。そこで、港にほど近いアパートの一室を3月15日の時点で賃貸契約を結びおさえた。そこに水先予定表として使っていたホワイトボード等を運び込み、当面はその仮事務所を拠点にして、水先案内要請の連絡などを受けることにした。
重くて頑丈な金庫内に保管するなど、大切にしまっておいた証書関係や水先免状などは何とか無事に回収できたが、パソコンに入っていた各種データ(所轄官庁である日本水先人会連合会に提出する書類のフォーマットや財務データ等)に加え、FDやCD、あるいはフラッシュメモリーに保存していたバックアップデータの類は水没の影響で復元できなかった。
「結局、パソコンとバックアップデータを同じ場所に置いていたのではリスク管理上、問題があるということに気付かされました。これは大きな反省点ですね」
後日、最新の財務データがTKCデータセンター(TISC)に自動的にバックアップされる『データアップロードサービス』を利用し始めたのは、このときの反省からだ。
3月21日、福島第1原発の事故に対応している技術者たちの休養施設として使うために、独立行政法人航海訓練所の練習船「海王丸」が小名浜港に到着。これは、新聞などで広く報道されたのでまだ記憶に残っている向きも多いと思うが、実はこの入港をサポートしたのも小名浜水先区水先人会だった。
さらに6月になってからは、オーストラリアなどから来た石炭船などがしばしば出入りするようになった。福島県内の火力発電所で必要とされる石炭を運ぶ目的からだ。震災前には遠く及ばないが、小名浜港に出入りする船の数は少しずつ増えている。この先、破損していた埠頭などの修復が進み、受け入れ体制がさらに整えば、もっと増えるだろう。大野会長たちの多忙な日々がまた始まろうとしている。
(取材協力・金成政行税理士事務所/本誌・吉田茂司)
名称 | 小名浜水先区水先人会 |
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所在地 | (仮)福島県いわき市小名浜字愛宕町9-2 ベルインサイド107 |
TEL | 0246-54-6653 |
社員数 | 5名 |