佐藤俊一社長

佐藤俊一社長

「みんな私が死んだと思っているんだろうな……。うちの会社が海(石巻漁港)の目の前にあるというのは知っているはずだからね」

 東日本大震災が発生してからケータイが不通となり、連絡が取れなくなっていた数日間、カホク運送の佐藤俊一社長(42)はそう思っていたという。確かに下の地図(〔『戦略経営者』2011年8月号27頁〕参照)を見てもわかるように、同社は石巻漁港と目と鼻の先にある。海とはわずか50メートルしか離れていない。そこに十数メートルの大津波が襲ってきたのである……。

取引先が“支援物資”を送る

 2時46分――佐藤社長が2階で幹部社員とミーティングを行っていたときに地震が起きた。「目の前の防潮堤を見ると、水が引いていくように見えた。これはただごとではない」と直感した佐藤社長は、社内にいた全員(約20人/全社員数は42人)に「すぐに逃げろ」と指示を出し、会社のトラック11台に分乗して2キロほど離れた高台(石巻市鹿妻)に避難したのだ。

 大半の運行中のドライバーとは連絡が取れたものの、「大変残念なことに、そのうちの1人とは最後まで連絡が取れませんでした」という。津波は社員の尊い命を奪っただけでなく、同社の2階建て社屋を破壊し、さらに佐藤社長や社員の自宅にも甚大な被害をもたらしたのである。

 そこからどうやって事業再開にこぎ着けたのだろうか――。

 第一歩は知人の経営者が所有する、石巻赤十字病院前の約3000坪の土地を貸してもらい、そこを“前線基地”(車庫)としたことだ。「土地を貸してもらえたのは、震災後5日目という混乱のなかでのことでしたので本当にありがたかったです……。ケータイもつながって、着信履歴を見るとビッシリでした。で、親族や知人(取引先)に電話をかけ、私や社員の名前を呼びながら無事であることを告げると、みなさん声をあげて喜んでくれました。自分が生きていることで、こんなにも泣き喜んでくれる人たちがいることを知り、私も涙が止まりませんでした。そのうえ関西や東京などの取引先の方々が善意で、前線基地の車庫にお米や衣服などをトラックで運んできてくれたのです。震災後の燃料供給に制限があった時だけに本当に助かりました。当時は食料や衣類がない状況でしたから、その支援物資を(本当は自分たちに送ってきてくれたものでしたが)当社のトラックに積み替えて行政等の目の行き届かない避難所にボランティアで配りました。そういうことを10日間くらいやっていましたね」という。

 佐藤社長は妻(同社の佐藤幸恵専務)と娘2人の4人家族。いずれも無事だったものの、今は仙台市内の姉の家に身を寄せ、そこからクルマで毎日、石巻に通い続けている。

 カホク運送は1957(昭和32)年に佐藤社長の祖父が立ち上げた会社で、92年に父親からバトンを受けて3代目社長に就任した。石巻は「魚の街」として知られるところだけに、従来は水産加工品の運送を中心に行っていた。例えば石巻の工場で水産加工されたものを、東京等の冷凍倉庫に運送するなどだ。

 しかし、同社は長年にわたりあることに悩まされ続けていた。中小企業によく見られる「資金繰り問題」である。そこでこの問題を解決する方法として、佐藤社長は10年前に平塚善司税理士に顧問を引き受けてもらい、TKCの『継続MAS』と『戦略財務情報システム(FX2)』を導入・活用してPDCAサイクルを回す仕組みを作ったのだ。

「当社の弱点は『魚関連の運送1本で行っていることにある』と、監査担当の小山幸志先生に指摘されました。港に魚が揚がる春から秋にかけては仕事がすごくあるのですが、それ以降は減ります。毎月コンスタントに仕事がないことが経営を不安定なものにさせ、資金繰りの問題にもつながると。そこでこれを改めるため、一般貨物も取り扱おうと考え、全国展開している大手運送会社にアプローチをかけ取引口座を開いてもらいました。関西・東北間の運送を主に請け負っています」と佐藤社長は話す。

 つまり、水産加工品から一般貨物に“軸足”を徐々に移してきたということだが、この狙いはズバリ当たった。同社の売上高約6億円(2010年5月期)のうち、今では一般貨物が約75%を占め、稼ぎ頭になっているからだ。しかも、このときに知り合った取引先などが支援物資を送ってくれたのである。

 3月25日――佐藤社長は石巻市蛇田に設置した仮事務所に全社員を集め「われわれはまず“生かされた”ことに感謝しなければならない。以前の穏やかな暮らしを取り戻し、石巻を復興させるためにも、今日から事業を再開する」と話した。社員のなかには親族や家を失った方もおり、それぞれにいろんな事情を抱えている。佐藤社長には解雇という2文字は最初からなかったが、事業再開にあたって彼ら一人一人の意思を確認した。その結果、(1)すぐに仕事ができる人が23人(2)1週間程度で職場復帰できる人が13人(3)長期離脱者が6人だった。

 こうした陣容で再スタートを切ったのである。

キャッシュフローを手厚くする

 トラック運送業に限らず、どんな業種・業態もヒト・モノ・カネの3条件がそろっていなければ、たとえ事業再開を果たしたとしても、いずれ行き詰まることになる。

 ではカホク運送の場合はどうか。まずヒトに関していえば前述したように、ほぼ全員がスクラムを組んでやってくれることに賛成しており、モノに関しても社屋は破壊されたが、業務の要であるトラックが佐藤社長のとっさの判断で30台すべて無傷であった。「仕事の受注についても、水産物の運送は今のところストップしている状態ですが、一般貨物については従来の水準にほぼ戻ってきています。事業再開当初は、関西からこちらにくるトラックが足りなくて困っているということでしたので、関西まで空車で行きました。4月に入ってからは行きも帰りも荷物を積載して運行できるようになりました」という。

 一番の課題は、カネの面をどうするかだった。こういう非常時だからこそ、キャッシュフローを通常より手厚くしておくことが重要だからだ。「監査担当の小山先生に『年間借入金返済額の2~3年分を取引金融機関から借りておけば安心です』と助言されまして、4月初めに3行に申し込むと、下旬には決済してもらうことができました」という。

 この状況下で、すんなりと融資を受けることができたというのは、それだけカホク運送が金融機関から信用されていることの証左にほかならない。小山氏は、「カホクさんでは毎年期末に『継続MAS』を使って勘定科目ごとに次期の予算を作成し、その数値を『FX2』に落とし込んで予実管理しています。毎月10日頃に私が巡回監査に伺い、月次決算を確定させますが、その結果(財務内容)について、佐藤社長自ら取引金融機関に詳しく説明しています。そいうことを、この10年間やり続けていることで信用力が高まったのです」と話す。

 さて、つい最近、同社は震災後初めてとなる決算(2011年5月期)を確定させた。結果は、「売上高は震災でダメージを受けたことによって当初予算の6億5000万円には達しなかったものの、前期並みの約6億円をあげました。また、利益については燃料費が高騰したこともあって、限界利益率を下げましたが、それでも黒字は維持しています。今期については、お盆明け頃から水産関係の荷動きが出てくるだろうと見ており、昨年果たせなかった年商6億5000万円を成し遂げたい」(佐藤社長)と意欲を漲らしている。

 逆境に立たされたとき、どういう行動を起こすかによって、その人の真価がわかるといわれる。佐藤社長は“厳しい現実”を突きつけられても、ひるむことなく、社員とともに前へ走り始めた。取引先も平塚税理士事務所も、そんなカホク運送にエールを送り続けている。

(取材協力・平塚善司税理士事務所/本誌・岩崎敏夫)

会社概要
名称 カホク運送株式会社
所在地 (仮)宮城県石巻市蛇田字下谷地1-6
TEL 0225-94-1860
売上高 約6億円
社員数 42名

掲載:『戦略経営者』2011年8月号