木村安之参事(右)と菅原正浩会計主任
津波てんでんこ――。津波が襲ってきた時、各自がちりぢりになって逃げることの大切さを説いた言い伝えだが、大震災以降、さまざまなメディアで盛んに取り上げられ、一躍世間の耳目を集める言葉になった。石巻湾にある渡波水産加工業協同組合の職員たちも忠実にその教えを守った。
「地震が起こったとき、避難場所と決めていた本工場入り口の門柱の近くに避難したのですが、その場で立っていられないぐらいの激しい揺れで、工場の外壁が次々と崩落してきました。揺れが収まってからより沿岸部に近い幸町工場に行き、職員の安否を確認後、トラック、フォークリフトを本工場に移動させ、魚介類を冷蔵庫に入れ鍵をかけて、ひとまず全員解散。落ち着いたら戻ってこようと伝え、職員たちを帰宅させました。6メートルの津波警報が出ていましたが、まさか本工場まで巻き込まれるとは……」
木村安之参事は柔和な表情を崩さずに直後の様子をこう振り返る。同組合は、加入組合員に対する冷凍冷蔵保管施設、製氷施設の運営を主に手がけている。「前浜で捕れるサンマ、サバ、ワカメなどをはじめとして輸入魚まで幅広く扱う」(木村氏)資源に恵まれた地域のため、冷蔵保管施設はほぼ満杯の状態だった。ちなみに前浜とは地元の浜のことだ。保管業務がメーンのため、職員は氷点下の環境で作業を行うことが多い。地震により冷凍庫内の荷物が崩れたり扉がずれたりした場合、作業中の職員がそのなかに閉じ込められる危険性があった。その救助に手間取り、逃げ遅れれば致命的となるだろう。そのため日頃からたとえ小さな地震があっても、冷凍庫内で作業をする職員に真っ先に声をかけ、避難を呼びかけるよう周知徹底していた。
その日は午後3時前ということもあり、休憩室にいた職員が多く、ただちに全員の無事を確認。それから1時間も経たないうちに津波が本工場一帯を包み込んだ。帰宅途中の交通渋滞に巻き込まれ、津波によって1名の職員と4名の組合員の尊い命が犠牲になってしまった。一方、魚介類は保管されていた5700トンが被害を受けた。
総会開催にこぎつける
以前から「いつかは起こる」と地元の人々の間で話題にのぼることが多かった宮城県沖地震。長年にわたり顧問をつとめている阿部喜和税理士、瀬和松夫監査担当と毎月顔を合わせる巡回監査のときも、地震に対する備えについてあらゆる面での指導を受けていた。
「特にパソコンに入っているデータのバックアップを常に取り、万一の時は忘れずに持って避難するよう、阿部先生から毎月のように言われていました」
日頃のアドバイスが生かされ、余震が続きわが身を守るだけでも大変な状況のさなか、菅原正浩会計主任が前日までのバックアップデータを無事確保。さらに不幸中の幸いと言えたのが、財務データを入力しているパソコンが置いてあった2階の事務室が浸水を免れたことだ。奇跡的に難を逃れたパソコンとバックアップデータ。ほどなくしてそれらが効力を発揮した。
「データが無事だったおかげで、組合員の方々に3月10日時点の在庫証明書をお渡しでき、ありがたいという声をかけてくださった方もいました。また例年6月の最終土曜日に開催をしている組合通常総会も、当初の予定を延期せず行うことができました」
津波の被害が大きかった石巻地域では、会計帳簿など重要書類を消失した事業者も多い。生還を果たしたデータのありがたみがひときわ感じられた瞬間だった。
後継者育成にも注力
実は同組合は保管事業のほか、指導事業も手がけている。同事業として組合員の後継者育成のための研修会等開催に3年前から取り組みはじめた。ちょうど加工会社の跡継ぎとなる30代の人々の多くが専務になり、数年後には社長となる時期にさしかかっていたのだ。協同組合は組合員からなる公益性の強い組織とはいえ、それ相応のノウハウがないかぎり、人材育成事業を行うことは容易ではない。そんななか、講師を自ら買って出ているのが前出の阿部税理士だ。研修会では受講者に対し、試算表や損益計算書を用いて財務データの読み取り方を初歩から手ほどきしている。
「2年前に組合員から製氷事業を引き継いだのですが、その決断を後押ししてくれたのも阿部先生でした。経営の節目で相談すると何でも即答でアドバイスをしてくれる。年齢も近いので、頼りになる兄のような存在です。先生の指導による成果は財務面に着実に表れていました」と木村氏は顔をほころばせる。14年間にわたり赤字体質の改善に取り組んだ結果、かつて1億7000万円あった借入金が2月末の時点で6700万円まで圧縮されていた。このまま計画通りに進めば、5年後には“借入金ゼロ”という一筋の光明が見えていた矢先の今回の震災だった。
水産業の一員という視野で
水産業を取り巻く事業者は実に多岐にわたる。漁業、養殖業、加工業、倉庫業、運送業、卸売業、小売業……海産物はさまざまな工程を経て消費者の手に渡る。したがって、ただ漁船を復旧させただけでは漁に出ることはままならない。それぞれの工程を手がける担い手が再建をとげてはじめて一つの産業として成り立つ。木村氏は言う。
「現場で働く職員をやむなく一旦解雇しましたが、地域のためにも当面は9月1日をメドに冷凍冷蔵施設の仮復旧を行い、徐々に再雇用し雇用維持に努めたいです。これだけ長い間休漁状態が続いたのは初めてなので、海の資源にどういう変化があるかは未知数です。福島第1原発事故による影響は不安ですが、ただ座して待っているだけでは何も変わりません。中長期の計画を作り直し、数年後には黒字になるという見通しを持って事業を行っていきたいですね」
4カ月あまりが過ぎた現在も、がれきを積んだダンプカーが舗装されていない砂利道をひっきりなしに行き交う。被害の甚大な沿岸部の復旧はまだ緒に就いたばかりだ。被災地支援のため、日夜汗を流している大勢のボランティアスタッフ……。木村氏の目に焼き付いたのはさまざまな作業に携わる、そんな頼もしい人々の姿だった。
「皆さんの力はすごいものだと実感しました。我々も一人では何もできないですが、水産業に携わる一員として皆で力を合わせて取り組めば、必ずいい結果は生まれると信じています」
(取材協力・税理士法人阿部会計事務所/本誌・小林淳一)
名称 | 渡波水産加工業協同組合 |
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所在地 | 宮城県石巻市松原町1-36 |
TEL | 0225-24-0194 |
売上高 | 1億5600万円 |
社員数 | 10名 |