地震発生時などで外国人にも理解しやすい日本語として考案された「やさしい日本語」。防災や行政の分野だけでなく、民間企業への導入が進んでいる。やさしい日本語ツーリズム研究会の吉開章代表は、インバウンド対応の推進や外国人労働者との円滑なコミュニケーションの実現にとどまらず、やさしい日本語を導入することで多様な人材の受け入れに積極的な企業の姿勢を示すことができると話す。

プロフィール
よしかい・あきら●2010年、日本語教育能力検定試験合格。政府交付金を得て2016年「やさしい日本語ツーリズム」企画を故郷の柳川市で実現。同時に「やさしい日本語ツーリズム研究会」を立ち上げ、代表としてやさしい日本語の社会普及に尽力。2023年、一般社団法人やさしい日本語普及連絡会を立ち上げ、代表理事に就任。著書に『入門・やさしい日本語』(アスク出版)、『ろうと手話 やさしい日本語がひらく未来』(筑摩選書)がある。メディア掲載、講演多数。
吉開章 氏

吉開章 氏

──やさしい日本語が注目された背景は?

吉開 そもそもやさしい日本語が注目を集めたのは、阪神・淡路大震災です。けがをしたり亡くなった人の割合(被災率)を分析すると、外国人の方が日本人より2~3倍高かったことが分かりました。大きな震災が生じた場合、発災から72時間は地域住民の自助努力が極めて重要ですが、このときに必要な情報をどのように外国人に伝えるかということが極めて重要な課題として認識されたのです。
 さらに平時では、日本語能力に関係なく定住することができる南米出身の日系人が増加し、集住して助け合うことで日本語の習得が進まないという問題が出てきました。それらの解決策としてやさしい日本語が活用されるようになりました。東京五輪・パラリンピックを前に設立された多言語対応協議会では、世界中の人を迎える日本の多言語対応推進の柱の一つとして正式に位置づけられました。

──具体的にやさしい日本語とはどういう日本語ですか。

吉開 私たちが日常使っている「日本語」を「やさしい日本語」に言い換えるにはいくつかのポイントがあります。(『戦略経営者』2023年8月号 P45図表参照)

  1. 話し出す前に内容を整理する。
  2. 一文を短くし、語尾を明瞭にして文章を区切る(「です」「ます」で終える)。
  3. 敬語・謙譲語は避けて、丁寧語を用いる(ためロも避ける)。
  4. 単語の頭に「お」をつけない(可能な範囲で)
  5. 漢語よりも和語を使う。
  6. 外来語を多用しない
  7. 言葉を言い換えて選択肢を増やす
  8. ジェスチャーや実物提示
  9. オノマトペ(擬音語・擬態語)は使わない
  10. 相手の日本語の力が高い場合は「やさしい日本語」をやめる

「はさみの法則」ですぐ実践

──ポイントを読むと理解できるのですが、常にこれを意識するのは難しそうです。

吉開 中小企業で日本語教育の教科書を読んだことのある人は極めて少ないでしょう。これらのポイントをすべて守ってコミュニケーションをとるのも現実的ではありません。そこで私が1億2,000万人のすべての日本人が最低限の知識として使えるやさしい日本語の法則として提唱しているのが、「はっきり言う」「最後まで言う」「短く言う」の頭文字をとった「はさみの法則」です。この3つの約束事を守れば、日本語教育の理論を一から十まで盛り込まなくても、やさしい日本語の目的は7割方達成できると思います。

──この3つを意識するだけで随分違うのですね。

吉開 そうですね。ちょっとした訓練を積み重ねることで、このはさみの法則を身に付けることができます。全国の仲間とともに私は3月から、YouTubeチャンネルで「3文クッキング」という動画配信を始めました。これはある言葉を3つの短文で説明して当ててもらうクイズ形式のコンテンツで、おなじみの「3分クッキング」のテーマ曲にのせて次のような短文が流れ、3つの文が意味する単語を予想してもらいます。

 「今日は仕事があります」
 「でも私は休みます」
 「でも給料がもらえます」

 答えは「有給休暇」。職場編、店舗編などシチュエーション別に動画を定期的にアップしており、これらの動画を見るだけで「はさみの法則」に基づいた日本語の言いかえのコツが身に付くようになっています。どんなに複雑な言葉でも、3つぐらいの短文に要素分解して説明すれば理解に至ることはできるのです。

国は日本語教育を強化

──国の政策としてはどのように位置づけられていますか。

吉開 やさしい日本語が政令に初めて登場したのは、「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策の充実について」(2019年6月18日外国人材の受入れ・共生に関する関係閣僚会議決定)。その直後の6月21日に閣議決定されたいわゆる「骨太の方針」にも掲載されました。その後同年7月21日に日本語教育推進法が成立しています。この基本法を具体的な施策に落とし込んだのが23年5月に成立した日本語教育機関認定法です。現在、やさしい日本語は「外国人との共生社会の実現に向けたロードマップ」という政策パッケージの中で、出入国在留管理庁と文化庁によって5年計画で取り組まれています。

──外国人労働者への日本語教育の質の向上が期待できますね。

吉開 はい。ただ気を付けてほしいのは、日本語教育が強化されるからといって事業者の努力が必要なことには変わらないということ。教科書で勉強しただけで言葉を話せるようにはならないからです。学校の先生は教科書に出てくる言葉で優しく話してくれますが、上司部下の関係や方言のある職場で使う日本語は、まったくの別物と考えてよいかもしれません。つまり職場で必要な日本語は職場で習得するしかないのです。

──事業者側の責任は大きいと。

吉開 指示がうまく伝わらないことによる労災事故が起きた場合などは、使用者側が不作為について責任を追及されるのは間違いありません。日本語による職場でのコミュニケーションの問題は使用者側に責任があるということを肝に銘じたほうがいいと思います。そしてこのことは外国人以外の方にも当てはまります。例えば文字の読み書きに困難を抱えるディスレクシアの方や吃音の方もいます。
 生まれつき耳の聞こえない「ろう」の方には、はじめに覚える言葉が手話という人もいます。このような人は日本語を第二言語として学ぶため、外国人のような間違いをすることがあります。そうした方々とのコミュニケーションにおいて、逐一間違いを指摘したり、「何度も同じことを聞くな」といったような態度をとることなく、はさみの法則に基づいた明確で簡潔な言葉によって、丁寧に伝えていくことが求められているのです。究極的にはこの問題は、言葉によるコミュニケーションを理由にして差別的な態度をとったり、労働者に不利益をもたらすようなことをしてはならないという人権の問題、多様な人材の受け入れに積極的かどうかという企業の姿勢に関わる問題だと思います。

──日本語によるコミュニケーション特有のあいまいさも障壁になりそうですね。

吉開 言語には、言葉に含まれていること以外の情報を読み取らなければならない「高文脈」な言語と、言葉にほぼすべての情報が入っている「低文脈」な言語の2つのタイプに分けることができます。「空気を読む」という言葉あるように日本語は高文脈な言葉の代表格で、例えば次のような会話があげられます。

 妻「コーヒー飲む?」
 夫「明日仕事早いんだ」

 私たちは、この会話を聞いて「明日仕事が早いから夫は早く寝るつもりだ。寝つきが悪くなる可能性があるのでコーヒーを妻からすすめられたが断った」と読みますが、低文脈の言語圏の人はこの会話の意味がまったく分からないでしょう。要るのか要らないのかはっきり伝えるなど、異なる言語の人と会話するときはできるだけ低文脈な話し方にする必要があります。

日本語体験は旅の喜びの一つ

──やさしい日本語に取り組まれたのは、もともとインバウンド対応がきっかけだったとか。

吉開 私はかねて日本人の「インバウンド対応には英語を話せる必要がある」というある種強迫観念にも近い思い込みと、インバウンドの実態に横たわる大きなギャップを解消したいと考えていました。例えば私の出身地である福岡県柳川市を訪れる外国人観光客は、地理的な理由もあり台湾、韓国、香港、中国からで9割を占めます。観光業に従事する人がそうした人々に英語で話しかけても通じるかどうか分かりません。むしろやさしい日本語の方がより良いコミュニケーションができる可能性があります。なぜなら東京や大阪、京都などの大都市ではない地域に喜んで訪れる外国人観光客はリピーターが多く、日本語での交流体験を旅の喜びの一つとしてとらえているからです。日本では進んで語学を学習している人が少ないので、そうした外国人の気持ちが分からないのかもしれません。

──日本語でよいとなればわざわざ多言語対応のためにコストをかけなくても済みます。

吉開 観光業もご多分に漏れず人材不足なので、採用増などで多言語対応を強化するのは現実的ではありません。それがやさしい日本語を導入すれば、日本語をネイティブで話せる人であればだれもがチャレンジすることができます。やさしい日本語の普及を通じたインバウンド振興をテーマに柳川市に企画を持ち込んだところ賛同いただくとができ、地方創生加速化交付金の交付を受け2016年から4年間の事業で「やさしい日本語ツーリズム研究会」を通じた各種事業を展開してきました。

──具体的にどんなことをしましたか。

吉開 市民向け講演会や事業所向け研修会、AI翻訳ツールの活用、やさしい日本語を通じた台湾在住日本語教師との交流、落語家の桂かい枝さんによるやさしい日本語による落語会の開催などを行いました。やさしい日本語はこれまで防災や減災、役所の難しい日本語を分かりやすく言いかえるなど、いわばマイナスの状態をゼロに持っていくような取り組みでしたが、私たちはより積極的な「楽しい」「役に立つ」といった文脈でこのやさしい日本語を活用したいと考えています。

──今後の目標についてお聞かせください。

吉開 日本AED財団とNHKがが2014年に行ったAEDについての電話調査によると、「見たり聞いたりしたことがある」「使い方を学んだことがある」「実際に倒れた人に使ったことがある」を合わせた数は8割以上に達しており、「見知らぬ人が目の前で突然倒れた場合、その場にAEDがあれば、 あなたはその人にAEDを使うことができると思いますか」という質問については、35.6%が「できる」と回答しました。これはすごい数字です。日本は災害が多いので職場や地域の防災訓練で人工呼吸のやり方やAEDの使い方を学ぶ機会が多いことも影響しているでしょう。また、ふたを開けると音声ガイダンスが流れ、端子を胸にはってボタンを押すだけというシンプルな仕組みも「できる」と思える人の増加につながっていると思います。やさしい日本語も、AEDと同じように、多くの人が「私も使える」と自信を持ってもらえる社会を実現するのが、私の目標です。

(インタビュー・構成/本誌・植松啓介)

掲載:『戦略経営者』2023年8月号