プロフィール
きたみ・まさお●北見式賃金研究所所長として活躍し、「実在賃金」の提唱者としても知られる。 「実在賃金」とは、1万社以上の賃金データを集めてプロットすることで、それぞれの規模や業界の賃金相場を明らかにしたもの。自社の賃金水準が世の中の同等企業と比べて、どのあたりにあるのかが一目瞭然となる。実態と乖離する「モデル賃金」を疑問視し、「実在者の賃金」制度を策定し、多くの中小企業の経営指導に当たってきた。『幹部に1000万円を払う会社になろう』(PHP研究所)、『これだけは知っておきたい!中小企業の賃金管理』(東洋経済新報社)など著書多数。
インフレ時代の賃金政策

──中小企業の賃金は、今後どうなりますか。

北見 会社を継続する気があるなら、無理をしてでも上げざるをえませんね。

──なぜでしょう。

北見 今後、人がますます採れなくなります。コロナ禍がスタートした2020年、21年は、採用はできましたが経営自体が毀損(きそん)し、巷(ちまた)の中小企業は「昇給」どころではありませんでした。しかし、22年くらいから採用難が顕在化し、23年4月期については、それはもう惨憺(さんたん)たる状況です。数百人規模で、毎年10人前後新卒を採用していた中堅企業でも、今年4月期には「ゼロ」というところもあるほどです。当研究所が愛知県下の自社顧客に電話をかけてヒアリングした結果、求人の目標人数を達成した会社は33%、未達が67%、そのうちゼロだったところが23.1%ありました。

──どうすればよいのでしょう。

北見 二つしかありません。ひとつは若い人を採用する。もうひとつは定年退職後の社員に引き続き頑張ってもらうことです。

“最賃ショック”の到来

──若い人を採用するには?

北見「他社にひけを取らない賃金」。これがマストです。今年の賃上げの最大のキーワードは「初任給の引き上げ」だと思います。なぜなら、今年の10月には「最低賃金ショック」が訪れるからです。

──最低賃金ショック……ですか。

北見 はい。最低賃金(最賃)は、22年10月から30円程度引き上げられました。23年10月にどうなるかは予断を許しませんが、物価高などを考えると引き上げペースが落ちるとは考えにくい。仮に30円引き上げられたとすると、東京等大都市圏では高卒初任給の相場を上回り、中小企業では「最賃割れ」するところが続出しかねません。最賃割れを防ぐには23年の昇給額を引き上げるしかありません。

──具体的には?

北見 最賃の額をもとに月額給与を算出してみましょう。週40時間労働は月間平均で約173時間なので「最賃×173時間=月額給与」ということになります。ちなみに今年、最賃が30円上がると、月額で5,190円上昇し、たとえば東京では19万646円となる(『戦略経営者』2023年4月号P11 図表1・2・3参照)。東京都人事委員会は民間給与実態調査のなかで21年4月の初任給(事務員)を掲載していますが、それによると、大学卒21万3,379円、短大卒18万4,802円、高校卒18万99円です。東京の最賃は月額で18万5,456円なので、すでに高卒初任給よりも最低賃金の方が上回っている。さらに今年30円上昇すると、その差額は1万円以上に拡大します。神奈川県でもこの数字はほぼ同様であり、大阪においては5,540円、愛知県においては2,679円の最賃割れとなります。

──それは経営者にとってはショックですね。

北見 アベノミクスがはじまった12年の東京都の最賃は850円でしたが、21年には1,041円となり1.22倍となったにもかかわらず、高卒初任給は17万5,000円→18万6,000円と1.06倍に過ぎませんので、いわばこうなるのは当然です。ただ、地方においてはまだ初任給の方が最賃を上回っています。

──そうなると、同じ会社でも本店と支店で賃金格差が生じることにもなりそうですね。

北見 その場合、地域手当を大都市圏在住者に支払うのも一案かもしれません。就業規則に「〇〇支店勤務者で、給与水準が低いと会社が判断した者に支給する」と記載しておけば、最賃割れの社員のみに手当を支給することも可能になります。

──実際の初任給引き上げの動きは?

北見 われわれの調査では、23年4月入社の初任給が21年および22年と比べて上昇しているところは首都圏で36.7%、愛知県で19.0%、関西圏で35.2%に上っています。当事務所への相談内容を見ると24年4月期は、これをはるかに上回ると予想しています。

職能給制度は見直しが必要

──とはいえ、新卒の初任給を引き上げると、全体に影響してしまい、人件費が膨れ上がるのではないでしょうか。

北見 もちろん、新卒初任給を引き上げれば既存社員の給与も見直さざるをえませんが、そのまま上の年代も玉突きで昇給させるのは人件費の負担が大きくなりすぎます。そのため、一定の年齢以上は抑制した方がいいと思います。

──一定の年齢とは?

北見 たとえば35歳くらいでしょうか。35歳で従来と変わらぬ給与ベースにしながら新卒初任給を引き上げるのです。

──そうすると、賃金表を作り変えるなど賃金体系の構造そのものを変える必要がありますね。

北見 中小企業の賃金表は100社あれば100パターンありますが、概(おおむ)ね「年齢給+勤続給+職能給」という内訳になっています。職能給というのは一般に「等級」と「号俸」によって決定されます。この職能給は昭和40年代に普及しました。つくったのは元官僚で、役所が昔から採用していた俸給表に手を加えたもので、時代にマッチしなくなりつつあります。

──どのように?

北見 まず、中途採用の初任給を決められないこと。中途採用は基本的に能力が分からないので、例の「いままでいくらもらっていた?」という質問に頼らざるを得ません。そうすると社内の先輩後輩のバランスが崩れます。また、5段階の査定結果に基づいて号俸のアップが決まり、昇給額は等級が高いほど大きくなるので、若年層ほど昇給額が小さくなります。このほかにもいくつか問題点があるので、職能給制度を軸とした賃金制度は見直した方がいいと思います。

──どのように見直せばいいのでしょうか。

北見 当研究所では上のグラフ(『戦略経営者』2023年4月号P12)のような賃金表を推奨しています。「従来からよくある賃金表」に比べて年齢給を大きく、勤続給と査定給が小さくなっています。この賃金表では、年齢給に家族手当等、多少の手当をのせれば中途採用者の初任給相場に合うように設計されています。こうしておけば「いままでいくらもらっていた?」という質問は必要なくなります。また、職能給ではなく「査定給」を採用し、単純にA、B、C評価に一定の昇給がついてくるようにします。この方が分かりやすいし、等級が高いほど昇給額が大きくなるようなことはなく、管理職への残業代も出しやすくなるので、いわゆる「名ばかり管理職」問題にも対処できます。

固定残業代や皆勤手当は不要

──このほかに「これは見直した方がいい」という中小企業の賃金政策はありますか。

北見 よく見られるのですが、初任給を低くして、そこに固定残業代がガツンと乗っかっているタイプの賃金制度は避けた方がいいと思います。

──なぜでしょうか。

北見 たとえば、基本給が18万円、これに固定残業代2万円を乗せている賃金内訳があったとすると、Z世代のような若者たちには「定額働かせ放題」のようなイメージに映ってしまいます。ブラック企業だと……。その上休日が少ないと最悪ですね。こうなると、他社の引き立て役にしかならず、求人の土俵にさえ立てません。

──固定残業代を採用している会社は多いですか。

北見 固定残業代が初任給に含まれているところは、われわれの調査では首都圏で16.3%、愛知県で21%、関西圏で29.4%です。時間外労働がかさめば、固定残業代そのものが否認される可能性があり、固定残業代も基礎賃金に入れた上での時間外手当の支払いを命じられることもあります。また、加えて付加金の支払いをしなければならないかもしれません。

──そのほか、賃金の内訳で留意すべきところは?

北見 皆勤手当は必要ないと思います。たとえば基本給17万円、皆勤手当1万円という内訳は、基本給18万円よりも見劣りがしますから。もちろん、皆勤手当は、社員を休まずに出勤させる効果はあるかもしれませんが、採用面ではマイナスと言わざるを得ません。

──高卒と大卒の扱いについても持論をお持ちですね

北見 多くの会社では、高卒と大卒では入社した際に、職能等級制度における等級が1級と2級で異なっており、そうすると入社後の賃金推移を折れ線グラフにすると、お互いに交わることがなくなります。私は、たとえば高卒初任給が19万円、大卒22万円だとすると、高卒が入社後4年経過した際に、22万円となり大卒初任給に追いつく仕組みにするべきだと考えています。つまり、高卒と大卒の賃金体系の一本化ですね。中小企業にとって高卒の優秀な人材を獲得する重要性は高いので、彼らのモチベーションを上げる意味と、それから、家庭の事情などで大学に進学できない若者たちに、大卒と同じスタートラインに立ってもらうという社会的な意味合いもあります。

高齢者再雇用の賃金を高めに

──定年退職後の社員の活用についてはいかがでしょう。

北見 現在の中小企業は60歳で定年退職、それ以降は嘱託として再雇用するというパターンがほとんどですが、その際、賃金は正社員時代の60%程度というのが相場になっています。コストを優先すれば、賃金を60%に抑え残業をするなというのが正解かもしれません。しかし、いまの60代というのは十分元気です。現役時代の8割程度の賃金を維持して、残業も正社員と同じように求める方が高齢者のモチベーションを維持でき、結果的に会社のパフォーマンスの向上につながるのではないでしょうか。当研究所では、たとえば30万円の給与だったとしたら25万円くらいにして、そこに諸手当をのせるくらいの水準を推奨しています。高年齢雇用継続給付金や年金との併用などといった発想をやめて高齢者を「第2現役」として遇することで、バリバリ働ける環境を提供した方がお互いにメリットが大きいと思います。

(インタビュー・構成/本誌・高根文隆)

掲載:『戦略経営者』2023年4月号