テレワーク、オンライン営業、ソーシャルディスタンシング……。「新しい生活様式」が次々と推奨されるいま、懸念されるのが働く人々のメンタルに与える影響だ。経営者が職場で行うべき感染予防策、メンタルヘルス対策とはどのようなものか。労働衛生管理に精通する亀田高志氏に詳細を聞いた。
(インタビュー日 6月22日)

プロフィール
かめだ・たかし●株式会社健康企業代表・医師。労働衛生コンサルタント、日本内科学会認定内科医、日本医師会認定産業医。1991年産業医科大学医学部卒。職場の健康管理、危機管理を専門とし、企業や自治体、専門家に対する講演、研修、執筆等を手がける。『図解新型コロナウイルス職場の対策マニュアル』(エクスナレッジ)ほか著書多数。

──感染拡大が続く現状をどのように見ていますか。

亀田 日々報じられる新型コロナウイルス関連のニュースを複雑な気持ちで眺めています。メディアは視聴率や閲覧回数で評価されますから、センセーショナルに報道されるのはある程度やむをえません。さまざまな情報が氾濫するなかで問われるのは、視聴者側の「情報リテラシー」です。医学情報は一般の人たちにとって理解しづらい面があり、新型コロナについても正しく理解している人は少ないと感じています。
 もともとコロナウイルスは風邪を引き起こす主な原因とされてきました。かつて流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)もコロナウイルスによる感染症です。新型コロナウイルスは健康な人にとって、重症化するリスクはあまり高くありません。実際、5月には30万人を超す感染者が発生したニューヨーク州では、新型コロナウイルスの抗体を持つ人がその約8倍いることが報告されています。
 とはいえ人の移動が活発になると、無症状の感染者が感染を広げるおそれもあるため、引き続き感染予防に努める必要があります。

──企業から寄せられている相談内容は?

亀田 職場で行える感染予防策や従業員のメンタルケア方法、発熱した従業員への対応等について相談を受ける機会が増えています。
 特に憂慮しているのは、発熱などの症状が現れているにもかかわらず、従業員が申告をためらうような事態。感染発覚時の風評をおそれるあまり声を上げづらい状況があり、とくに雇用の不安定な派遣社員やアルバイトの人たちの不安が大きいようです。

──企業が取り組むべき感染予防策を教えてください。

亀田 まず大前提として、熱を出したり具合が悪いと感じたりしたら、会社にただちに報告し、自宅待機できる職場環境にしなければなりません。オフィスにアルコール系消毒剤や飛沫(ひまつ)防止パネルを設置する以前に優先すべき事柄です。また、高血圧症や糖尿病歴の長い人に重症化リスクの高いことが判明しています。もし直近1年間で健康診断を受診していない社員がいれば、できるだけ速やかに受診するよう勧めてください。
 もうひとつ強調したい点は「かかりつけ医」の大切さです。毎年同一の医療機関で健康診断を受診していれば、健康状態に関するデータが蓄積されています。健診データを保管している病院や、最寄りのクリニックなどがかかりつけ医の有力な候補になります。かかりつけ医に気軽に電話で相談できる体制になっていれば、初期対応を誤らずに済むでしょう。

不可欠な「目的」の周知

──感染予防のためオフィス内で行える工夫はありますか。

亀田 中小企業では職場スペースの限られるいわゆる「3密」となりやすいオフィスも少なくありません。可能なかぎり従業員にテレワーク(在宅勤務)や時間差勤務を推奨し、密にならない環境をつくるべきです。
 そして換気の悪い室内や、混雑している電車内ではマスクを着用するようにしましょう。花粉と異なりウイルスは非常に小さいため、マスクを着用してもウイルスを完全に遮断できるわけではありません。ただ、せきやしぶきによる飛沫感染を予防する上で有効です。
 ちなみにおよそ100年前、スペイン風邪が大流行した際も日本人はマスクを着用し、感染予防を心がけていたようです。当時、マスクを着ける習慣は世界でもまれで、日本人の衛生意識の高さに驚きます。

──感染予防のためのガイドラインを公表した業界もあります。

亀田 緊急事態宣言下で明らかになったように、日本人には罰則がなくてもルールを守ろうとする国民性があります。半面、何のために営業を自粛するのかという「目的」を見失いがちです。こと健康管理となるとその傾向は顕著で、たとえば、健康診断受診前に飲酒を控えたり、診断の結果通知を破棄したりする人もいます。
 そんな国民性なので、受付に消毒剤をただ設置しても効果はあまり期待できません。そもそも企業がさまざまな感染予防策を行うのは、従業員に感染者を生まないためなど、何らかの目的があるはず。それぞれの取り組みの目的をしっかり周知し、正しい理解のもとルールを徹底するべきです。

──従業員のメンタルケアのあり方は?

亀田 人間は環境が変わるとストレスを抱える生き物です。巷間(こうかん)「コロナうつ」とか「コロナ離婚」といった言葉も聞かれるようになりました。在宅勤務や巣ごもり生活は多くの人々にとって、初めて体験する習慣だったはずです。「給与は支給されるのか」あるいは「雇用契約を打ち切られるのでは」といった不安を抱える従業員も少なくありません。経営者はそうした不安を解消するべく、経営状況や業績の見通しを明確に説明するべきです。
 専門家の関与も重要です。常時50名以上の従業員の働く事業場では産業医の設置が義務づけられています。50名未満の事業場であっても、保健師やカウンセラー資格を持つ人に顧問に就任してもらうなど、従業員が気軽に相談できる窓口を設けることが必要でしょう。近年はメンタルヘルスに精通する社会保険労務士も増えています。人事、賃金面だけでなく、健康管理について相談に応じてもらえるか尋ねてみるのもよいでしょう。

変化に注意を払う

──在宅勤務する従業員に対するケアも必要になりそうです。

亀田 業務でパソコンを使用する際の問題点は30年前から指摘されており、「テクノストレス」と呼ばれています。テレワークは本来、会社があらかじめルールを定め、IT環境を整えてから開始するべき勤務形態です。しかしながら多くの企業では新型コロナの感染拡大により、準備が万全でないまま導入せざるを得ませんでした。
 いわば見切り発車で始めたため、上司は部下がサボらずに働いているか不安でたまらないようです。メールの返信が部下から届かないと、ラインで催促するといった話まで聞きます。あるいはオンライン会議で自宅の部屋が映るのをきらったり、トイレにすら立ちづらいと訴える人もいます。
 加えて身体機能の低下も懸念されます。最寄り駅まで歩いたり、駅の階段を上り下りしたり、電車通勤すると意外と体力を使うものです。こうした日常のちょっとした運動がなくなると、脚力の衰えやメタボを引き起こしかねません。もっとも、テレワークにはメリットもあり、通勤がないぶん、時間の余裕が生まれ睡眠不足を解消できたり、上司への気遣いから解放されるのも確かです。

──干渉しすぎるのは禁物であると……。

亀田 いざテレワークを行うと、上司と部下の日ごろの信頼関係が如実に表れます。多くの従業員にとってテレワークは不評とはいえません。メリットをふまえつつ、デメリットをひとつずつ解消する方向で運用方法を見直していくとよいでしょう。
 50名以上の従業員が在籍する事業場ではストレスチェックが義務化されました。その設問には「業務量が多すぎる」とか「最近よく眠れない」といった項目があります。しかしこれらは本来、上司に相談できる事柄であり、経営者や上司はふだんから部下の体調やメンタル状況に関心を払うことが大切です。例えば朝礼で顔色が優れず服装が乱れている従業員がいれば、声をかけてみる。話を聞くと親の介護に追われていたり、子どもがゲーム障害になっていたりといった、何らかの問題を抱えているものです。

「第1波」はこれから?

──信頼関係を構築するにはコミュニケーションがカギになりそうです。

亀田 先日、厚生労働省は接触確認アプリ「ココア」を開発し、スマートフォンへの登録を勧めています。従業員がもれなくインストールしておけば、感染拡大防止に取り組む姿勢をアピールできるでしょう。ただ、感染者との接触通知を隠す従業員がいるなら意味がなくなります。アプリをなぜインストールする必要があるのか、従業員に事前に説明しておくべきです。
 コロナ禍で「リスクコミュニケーション」という言葉を頻繁に耳にするようになりました。日本の組織では不祥事や都合の悪い事態が発生すると、同調圧力が働き隠ぺいしようとしがちです。従業員や顧客などの利害関係者を念頭に置き、その時点で判明している情報を速やかに発信するのがリスクコミュニケーションの鉄則といえます。
 新型コロナの流行で、職場における信頼関係や人心掌握といった日本企業の抱える課題点が図らずも浮き彫りになった気がします。

──万一、感染の疑われる従業員が発生した際の対応方法を教えてください。

亀田 風邪症状や37.5度以上の発熱やせき等の症状がみられる場合、会社に速やかに連絡し、自宅で静養してもらうのが第一です。そのうえでかかりつけ医や最寄りの保健所などに電話で相談し、感染が疑われるなら帰国者・接触者外来等を受診します。肝心なのは職場にクラスターを発生させないこと。もし、従業員や顧客に感染が及ぶおそれがあるなら、営業活動の一時的な休止を考慮する方がダメージを抑えるうえで賢明といえます。

──「第2波」の襲来が懸念されますが、今後の見通しは?

亀田 日本における感染者数は2万人を超えたとはいえ、人口に換算すると1万人に1人ほどの感染者しか発生していません。先日東京と大阪、宮城で抗体検査が実施され、都内の抗体保有率は0.1%にとどまりました。PCR検査もあくまで検査時点で感染していないことを証明するにすぎず、かつ1回の検査で100%正確な結果が出るとはかぎりません。
 そうした現状を鑑みると、日本には「第1波」も到来していないといえるのではないでしょうか。自粛要請を守る国民性や、手を洗う習慣などが世界から称賛されています。ただ、抗体を持たない人々はウイルスにとって、格好の標的に映るはずです。
 秋以降は季節性のインフルエンザや、高齢者を中心に肺炎球菌の流行も懸念されます。ビジネスやレジャーなどで人々の移動が活性化し、東京を中心に小さな流行が発生するものの、移動を制限して感染拡大を防ぐ──。こんなシナリオを予想しています。ワクチンが日本国内で開発され、国民全員が摂取できるようになるには1年以上かかるはずです。東京五輪・パラリンピックを来年開催するのは現状では困難であり、経営者はその点も考慮して事業戦略を練りなおす必要があると思います。

──日ごろ実践されているメンタルケアはありますか。

亀田 ジョギングやウオーキングなどの運動を行ったり、飲酒を控えめにしたり、規則的な生活習慣を心がけています。日記をつけることを推奨するカウンセラーもいて、私も10年以上、システム手帳に日々の出来事を4色に分けて記しています。
 色分けの方法は、仕事の予定は黒色、家族の予定は青色、運動・睡眠時間は赤色、余暇の予定は緑色という具合です。折にふれて中身を振りかえることで、物事の優先順位を決めるのに役立ち、心に引っかかっている事柄も発見しやすくなったと感じています。

(インタビュー・構成/本誌・小林淳一)

掲載:『戦略経営者』2020年8月号