2018年4月に創設された特例事業承継税制。適用要件が大幅に緩和され、内容についても贈与税と相続税が一切かからなくなるなど、事業承継に悩む中小企業にとって大きく使い勝手が向上した。この特例の福井県内1社目の適用(相続税)となったのが、鉄工所を営むヤマグチ工業である。

山口一社長

山口一社長

 地元自治体がブランド化を推進している恐竜のモニュメントが目を引くJR福井駅。車で15分ほど移動し、ヤマグチ工業の本社工場に到着した。従業員は山口一社長と妻で経理担当の陽子氏らを含め4人という典型的なファミリー企業である。取材当日、工場をのぞくと、取引先担当者と入念な打ち合わせを行う山口社長の姿がすぐ目に入った。先に事務所に入り待つこと数分。山口社長がにこやかな笑顔を浮かべ入室し、取材がスタートした。

「主な取引先は機械、自動車関係、プラント関連企業になります。鉄やステンレスをはじめとした金属材料を使って、機械装置の架台やフレーム、工場内の手すりなどの製造を行っています。大規模な鉄工所の下請けとしての仕事がほとんどですね」

取り付け工事まで行い受注先から高い評価

有限会社ヤマグチ工業

左から山口陽子氏、山口礼二氏、山口一社長、石塚広美氏

 同社の強みは、加工だけ請け負うのではなく、機械の取り付け工事まで手がけていること。また繁忙期などに協力企業へ業務を外注する際に、同業者のネットワークを駆使した独特の手法を用いているのも特筆すべき点である。

「2~3人で経営している会社や工場を持たないひとり親方に来てもらい、当社工場で作業してもらうのです。進捗(しんちょく)状況を随時確認できるし、品質の水準も当社と同等のものを保つことができます」

 2代目の山口社長が同社に入社したのは20歳のとき。父が創業した会社を継いだ理由を尋ねたところ「なんとなく、ですけどね」とけむに巻かれたが、工場内を動き回るその姿を遠目から観察しただけでも、ものづくりを愛する根っからの職人タイプであることに疑いはない。実際、品質の高さや納期厳守の姿勢は取引先からも高く評価されているという。2代目としてどんな経営を心がけてきましたか、と質問すると、ぽつりとこう答えた。

「仕事のやり方は常に変えていかなければいけません。時代の変化についていけなくなりますからね」

 高校卒業後進学した技術系専門学校を出てすぐに同社に入った。それから28年間、変化し続けなければ時代に取り残されてしまうという危機感を常に抱いていたため、最新型の機械への設備投資は惜しまなかった。一方、変えずに守り続けていることもある。

「毎日朝晩、社員全員で工場内を清掃しています。先代の父親から『いつどんなお客さんが会社を訪問してくるか分からない。だから工場は常にきれいにしておけ』とよく言われていました。その言いつけを愚直に守っています」

 東京五輪・パラリンピックを控えた一時的なものかどうかは不明だが、直近の業況はかつてないほど良好だという。「これまでで今年が一番いいんじゃないか」という言葉が口に出るほどひっきりなしに仕事の依頼が舞い込んでいるが、笑ってばかりいられないのが現状だ。「仕事の量に対して圧倒的に人が足りない」(山口社長)という経営課題に直面しているのである。毎年工業高校の生徒がインターンシップで同社を訪問するが、就職につながった例は皆無。そもそも、ものづくりを目指す若者が減っており、インターンに訪れる生徒に専攻を聞くと「情報科」と答えるというから無理もない。

 そこで「こんな状況では仕事にならない」(山口社長)と一念発起して取り組みをはじめたのが、外国人材の活用である。業界団体のメンバー約10社と共同で昨年11月、4泊5日の日程でベトナムへの視察を実施。現地で面接を行い、日本語を話せる2人の男性を研修生として受け入れることを決めた。

「自宅の敷地内にかつて使用していた倉庫があり、そこを改造して宿泊施設にする工事を進めています。完成後の9月には研修生がメンバーに加わる予定です」

早期経営改善計画が特例承継計画作成に役立つ

寺尾明泰税理士

寺尾明泰税理士

 2018年1月、長年病魔と闘ってきた創業者の故山口政之栄会長が亡くなった。創業当初から顧問契約を結んでいる税理士法人たすき会の寺尾税理士は、当初の相続手続きについてこう述懐する。

「相続税は10カ月以内に申告しなければならないので、申告期限は11月12日でした。期限まで3カ月の8月には、ヤマグチ工業の事務所内で資料をプロジェクターで映しながら遺産分割について詳細を説明しています。内容も固まり、後は添付書面を作成して提出するだけでした。ところがその後すぐに、特例事業承継税制のことを知ったのです」

 寺尾税理士は、TKCが8月21日に開催した経営支援実務研修会に出席し、初めて制度の詳細を知った。そして冷や汗が止まらなくなった。同社の相続で特例事業承継税制を適用できる可能性があることが分かったのはいいものの、スケジュールが差し迫っていたからである。認定申請の期限は9月11日。ヤマグチ工業へ説明する時間を考えると、時間があまりにも少ない。大慌てで事務所に戻った寺尾税理士は、巡回監査担当の尼形清子氏とともに、相続手続きの再検討を行った。

山口陽子氏

山口陽子氏

 TKCの『TPS8800』で資本金や常時使用従業員数など、特例税制の適用要件に当てはまるかどうかを確認。福井県にも電話で適用可否を確かめたところ適用される可能性が高いことが分かった。株式異動のシミュレーションを実施し、納税猶予額の試算を山口社長に提示したところ、ゴーサインが出た。福井県庁に書類を提出したのは提出期限ギリギリの11日。相続税についての認定申請は記念すべき県内第1号だった。「初めてのことで職員の方も不慣れなようでした。税の申告をした11月以降も、担保や質権設定に関する書類を追加で提出するなど、その後もやりとりは続いています」と山口氏は笑う。

 1カ月にも満たない超スピードで書類を提出できた理由の一つが、日頃から密接なコミュニケーションをとっていたたすき会と同社の良好な関係にあることは間違いないだろう。監査担当の尼形氏は言う。

「特例承継税制を受けるためには、特例承継計画を提出しなければなりませんが、前年に作成していた早期経営改善計画(資金繰り管理や採算管理など基本的な経営改善計画を策定し、早期の経営改善に取り組む中小企業や小規模事業者を支援する国の事業)が役に立ちました。『今は業績が堅調に推移していますが、経済環境の変化で今後どうなるかは不透明です。そうした場合に備え今のうちから将来の計画を考えておきましょう』と当事務所が提案していたのです。山口社長の頭の中にあった投資計画などを月次監査時にヒアリングしながらまとめ数字に落とし込んで作成しました」

「数字に落とし込む」と一言で表現するのは簡単だが、これを実行するのは意外に難しい。それを難なく実現できたのは、長年同社の経理事務を支えてきた山口氏の功績が大きいというべきだろう。結婚を機に同社に入社して今年で24年目となる山口氏が中心となって、TKCの戦略財務情報システム『FX2』による自計化業務を長年継続してきたことで、同社は業績と資金繰りの状況を常にリアルタイムで把握できるようになったのである。メインバンクとの間でTKCの「銀行信販データ受信機能」(銀行や信販会社からインターネットを利用して取引データを自動受信、その取引データをもとに、仕訳ルールの学習機能を利用して仕訳を簡単に計上できる機能)を活用するなど、フィンテック関連の取り組みも積極的だ。

加工から取り付け工事まで手がける

加工から取り付け工事まで手がける

短納期可能にする新設備導入計画も

 ヤマグチ工業が「数字に強い鉄工所」になったのは、たすき会と同社が月次巡回監査などを通じて長年にわたり築き上げてきた強固な信頼関係のたまものである。しかも山口氏と尼形氏は、実は高校時代のバドミントン部で先輩後輩の間柄。山口氏が「たすき会さんのことは、もう信頼しきってますから」といえば、尼形氏も「新しいことに最初は難色を示しても、いったん取り組み始めるとなんだかんだいって最後には自分のものにしてしまうところがすごい」と応じる。山口社長も「寺尾先生とは父親の代からお付き合いしています。今回の特例事業承継税制のように、TKCのシステム活用はもちろんのこと、それ以外にもさまざまなアドバイスをしてくれるのでとても助かっています」と全幅の信頼を寄せている。

 父親が保有していた全株式を納税猶予を受けて相続し、持ち株比率が過半数を占めることになった山口社長。特例承継計画には、設備投資による提案力強化策も盛り込んだ。

「金属の板を切断する機械設備の導入を検討しています。切り板の加工を当社で請け負うことができるようになれば、取引先の拡大やさらなる納期の短縮化につなげることができるでしょう」(山口社長)

 切断機は700万円以上する高価な機械なので、たすき会では今後、投資計画の策定支援を行う予定だ。特例事業承継適用後5年間は、適用要件を満たしているかどうかについて県への報告義務があるため、今後もたすき会による適切な助言・指導は欠かせない。計画遂行に向けた両者の二人三脚の取り組みはこれからも続いてゆく。

(本誌・植松啓介)

会社概要
名称 有限会社ヤマグチ工業
設立 1981年9月
所在地 福井県福井市定正町522
従業員 4名
顧問税理士 税理士 寺尾明泰
税理士法人たすき会
福井県福井市乾徳1-9-5
URL:http://www.tasukikai.com/

掲載:『戦略経営者』2019年4月号