近年、労働トラブルが急増している。慢性的な人手不足、働き方改革の推進などによって社長と社員のパワーバランスに微妙な変化が現れてきているといえるのかもしれない。この問題に、中小企業はどう対処していけばいいのか。「社長の孤独な悩みを分かってくれる」弁護士として、いま注目を浴びている島田直行弁護士と、トラブルを防ぐ社内コミュニケーションに詳しい森田汐生氏に聞いた。
- プロフィール
- しまだ・なおゆき●山口県下関市生まれ。京都大学法学部卒。「中小企業の社長を360度サポートする」をテーマに、企業法務ならぬ“社長法務”を提唱する異色の弁護士。会社と社長個人の問題をトータルに扱い、弁護士の枠にとらわれずにバランスのとれた解決策を提示する。また、訴訟に頼らないソフトで迅速な解決を旨とし、幅広い業種・業界の企業経営者から頼りにされている。
労働事件は“百害あって一利なし”
──労働トラブルで最も件数が多いのは?
島田 社長が「いきおいで解雇してしまった」というケースです。訴えた社員側からは「不当解雇」に当たるものですね。あるいはその前段階の「問題社員がいて辞めてもらいたいが、どうすればいいか分からない」という相談もよく受けます。
労働法は社長の味方ではない
──自分が入社させて「辞めさせたい」というのはいかにも悩ましいですね。
島田 典型的なのは、自分のやり方に固執する協調性のない人を雇ってしまい、その人が社内をかき乱して困っているという相談です。雰囲気のすさんだ職場にうんざりした他の社員が次々に辞めていく。多くの場合、優秀な人から辞めていきますから、社長にとってはますます悩ましいですよね。しかも辞めていく人は本音を言いません。たいてい「キャリアアップのため」「家庭の事情」などといった理由のもとに辞めていきます。
私は弁護士なので「退職させる」ことに全面的にくみすることはできません。しかし、退職を勧める(退職勧奨)こと自体は違法ではありませんので、双方が納得して“ソフトランディング”できるようお手伝いするのが私の役割だと考えています。
──どのようにソフトランディングするのでしょう。
島田 社長が「何度言っても分からないならもう来なくていいよ」などという激しい言葉を社員に投げつけるのはNGです。当然、言われた側は良い気持ちがしないだろうし、養うべき家族もあるでしょうからね。「頑張ってくれたけど、この会社ではあなたのパフォーマンスが生かせないので、別の仕事を一緒に探してみませんか」などと、歩み寄る姿勢を示すべきです。
──いきなりの解雇はやはり訴えられるリスクが高いですか。
島田 もちろんです。しかも、いったん訴えられてしまうと、社長側ができることはあまりありません。労働法は社長の味方ではないですから。それは覚悟しておいた方がいいと思います。だったら訴えられる前に、話し合いの機会を持つべきです。社員の言動に「兆候」が見えた時点で、弁護士に相談することをお勧めします。
会社のお金に手を付けたなどという不正行為があった場合はその限りではありませんが。
──不正行為での解雇は問題ないと……。
島田 ただ、それも慎重に行う必要があります。しっかりエビデンスをとらないと、裁判で勝てるかどうかは分かりません。また、警察の捜査が入ると、それはそれで大変です。捜査協力ということで、社長のみならず社員の時間もとられてしまう。金融機関からの目も考えておくべきでしょう。「どういう管理をしているのか」と、信頼を損ねてしまうリスクがあるからです。
新卒を採用する効用とは
──島田先生はご著書『社長、辞めた社員から内容証明が届いています』(プレジデント社)のなかで“労働トラブルの99%は採用にある”と書いておられます。これでは身もふたもない気もするのですが(笑)。
島田 もしそうならこの本を書く必要があるのかという話ですよね(笑)。でも、実際にそうだから仕方ない。背景には、ちまたで叫ばれている“人手不足感”があります。特に医療・介護業界などはひどいようです。以前だったら、「ちょっとうちの社風に合わないからやめておこう」と判断していたケースでも、いまは「来てくれるだけでもラッキー」とばかりにどんな人でも採用してしまう。
──現場から「早く雇え」という突き上げもあるのでしょう。
島田 かといって、違和感のある人を採用すると、今度は現場から反発を受ける。どっちやねんという感じですね(笑)。でも、よく考えてみた方がいいと思います。本当に人手は足りていないのでしょうか。
──どういうことでしょう。
島田 代替できる手段はないのでしょうか。日本の労働システムは、終身雇用制度という「安心感」のなかで、仕事に人を割り付けるのではなく、人に仕事を割り付けてきました。だから人がいなくなると仕事が回らなくなる。取りあえずうまくいっているシステムは変えたくない、というのが人情。性能が7割に落ちている洗濯機を「新たに購入するよりは」と、そのまま使い続けているのと同じです。固定観念にとらわれず発想を変えてみてください。仕事をこなすことが目的なのだから、外注に出してもいいし、いま流行のクラウドサービスを利用してもいいでしょう。あるいは、人手不足をきっかけにして生産性向上に取り組んでみる手もあるでしょう。むしろ人手不足はチャンスなのかもしれません。
──採用で失敗しないためには何がポイントになりますか。
島田 まず“良い人はいない”ということを肝に銘じることです。「優秀な人が欲しい」「できれば素直な人を」などと言いますが、曖昧模糊(もこ)としていて現実の評価基準にはなりません。それでは理想ばかり追いかけて実のない“青い鳥症候群”です。もっと具体的な「社長が求める社員像」を明確にするべきでしょう。例えば、会社で最も優秀な社員の特徴を書き出して、それをもって評価基準にするというのはどうでしょうか。そうすれば、少なくとも求める社員の具体像は見えてくると思います。
──キャリアのある即戦力(経験者)を採用する場合もそうですか。
島田 例えば、大企業の営業マンを三顧の礼で迎え入れる中小企業は多いですよね。しかし、私の経験上、だいたいうまくいきません。福利厚生などの制度面でも企業文化の面でも、大企業と中小企業とは大きく違うので、お互いに齟齬(そご)を感じるのです。それと、食品会社が洋服の営業マンを採用しても効果は疑問です。商品も違えば営業の仕方も顧客も違うからです。にもかかわらず、変な手当をつけてプロパーの営業部長より上の賃金を提示したりする。社内がギクシャクするのも当然でしょう。
──中途採用は難しいですね。
島田 おっしゃる通りで、私は、無理をしてでも新卒を採用した方が良いと思います。もちろん難しいことは承知しています。これも経験で言わせてもらえば、社員の過半数を新卒が占めるようになった会社はガラリと変わります。社長の考え方が浸透し、文化が根付くのです。これからは、新卒採用にチャレンジする中小企業が強さを発揮する時代になってくると思います。外国人採用もゼロから育てるという意味では新卒採用と同じ。新卒採用が上手な企業は、外国人採用もうまいですよ。
──とはいえ、資金や知名度の面から中小企業のほとんどが中途採用に頼らざるを得ない現実もあります。
島田 中途採用の社員には、期間を定めた雇用からはじめてみるとか、目標に満たない場合には賃金の見直しをするという契約を入社時にしっかり文書で交わしておくとか、一定のリスクヘッジをしておくべきかもしれません。採用は、社長が考える以上に大きなリスクを含んでいます。人件費は最大の固定費であり、簡単に減額できないからです。
極めて重要な就業規則の役割
──すると明文化が重要なキーワードになりますか。
島田 はい。いま急増しているうつ病への対策もそうです。うつ病の人に対して「プライバシーに触れる微妙な問題だから」と腰が引けてしまうと対応が後手後手になってしまい、場合によっては訴訟に発展してしまうこともあり得ます。だったら、例えば、「上司は受診命令を下せる」「診断が下りたら自宅療養○日間」「復職の際には医者の許可が必要」などと就業規則で明文化しておけばいい。それだけでリスクは大きく減ります。
──なるほど、就業規則が大事だということですね。
島田 それしかないでしょう。就業規則でさまざまな局面への対処の仕方を定めておけば、社員の行動や訴えに対して自信を持って反論することができます。労務管理の分野だけでなく、自らの考え方を企業風土に反映したければ、それらを逐一書き込んでおくこともできます。例えば茶髪やピアス、ひげ禁止など、細かな身だしなみについてもそうです。記載がないと「なぜそんなことまで言われなければいけないのか」という不満が生まれる。就業規則は「そこまで書きますか」くらいでちょうどいいと思います。
──就業規則は社会保険労務士などに丸投げでいいのでしょうか。
島田 中小企業とくに同族企業は社長イコール会社ですから、できるだけオリジナルにこだわった方がいいと思います。専門家のアドバイスを受けながら、経営陣だけでなく、できるだけ多くの社員がかかわって作成する。それが、内容を全社的に周知徹底することにもつながります。
ただ、いくら立派な就業規則をつくっていても、それをちゃんと運用できていなければ意味がありません。例えば、残業を抑制するためにある就業規則を設けたものの、次第に管理が面倒くさくなってなし崩しになってしまったとします。この場合、過重労働や残業未払いで社員に訴訟を起こされるリスクを会社が抱え込んでいることになります。
──残業の話が出ましたが、働き方改革など、労務管理への国の姿勢が厳しくなっています。
島田 変形労働時間制などを確実に運用できている会社は少ない印象です。労務管理は直接売り上げに結びつかないので後回しにされがちです。あくまでバックヤードの仕事だと。しかし、そう考えている限りリスクは残ったまま。労務管理に手間とコストを費やすことで労働争議にも対応できるし、訴えられにくい組織になり、ひいては会社の業績にもつながってくるのだと考えます。
何を求めて何を手放すか
──パワハラやセクハラなど、ハラスメントへの対処の仕方が求められています。
島田 確かに、ハラスメント、特にパワハラに関する相談は増えています。多いのは「○○はパワハラになりますか」という相談です。私の問題意識としてあるのは、現在、社員への「当然なされるべき指導」がなされていないのではないかということです。パワハラ糾弾の世間の風潮に、社長や管理職が萎縮して、叱責(しっせき)すべき社員の非がうやむやになるというケースですね。パワハラなのか「適正な指導」なのかに明確な線引きはありません。例えば、人の命の危険がある行為に対して、声を荒らげて叱責したとしてもそれがパワハラになるでしょうか。前後を裁断して、当の叱責だけを問題視するような風潮には賛同できませんね。パワハラかどうかを判定するには、全体のコンテキストを俯瞰(ふかん)する必要があると思います。
──パワハラ関連の訴訟はどんな感じですか。
島田 みなさんが想像するほどパワハラとして訴えられるケースは多くない印象を持っています。示談金は50~100万円くらいがひとつの相場でしょうか。費用対効果を考えても裁判まで持ちこむ人はそうはいません。たいていは話し合いで決着します。結論としては、加害者、被害者どちらかに合意のうえ退職してもらい解決するケースも少なからずあります。
──辞めさせてしまうのですか。
島田 大企業と違って、中小企業は職場が小さいので、配置転換で完全に引き離してしまうことはできません。一度こじれた関係は、そうかんたんに元の状態に戻りませんから、当事者たちはストレスをかかえながら仕事をすることになってしまいます。弁護士としては、簡単に辞職を勧めることはしたくありませんが、だからといって補償金だけですべてが解決するというものでもない。無理をして勤め続けることが、本当にその人の幸せになるのかも疑問です。
私が相談を受けたセクハラの事例で、被害者の女性に辞めてもらったというケースがありました。女性を守るのが弁護士だという批判があるのは重々承知しています。だからといって、会社に残ることがその女性の幸せにつながりますか。つながらないなら、しかるべき補償金のもとに女性に辞めてもらうという選択肢を選ぶべきかもしれません。
──ハラスメントトラブルの調整は難しそうですね。
島田 労働問題は法律だけでは解決できません。最終的には人間関係です。例えば、被害者に辞めてもらう場合に、「法律上こうなっています」としゃくし定規に説明すると、大変な反発が返ってきたりします。そうなると、まとまる話もまとまらず訴訟に発展し、双方ともエネルギーを奪われる結果になる。そこの手綱をどうとるかが、弁護士の腕の見せどころでもあります。
──訴えられた社長は、相手に憎悪の感情を抱くケースが多いのでは?
島田 対立構造をつくるのではなく、話し合いのなかで着地点を探る姿勢が必要です。社長はしゃべることが好きな人が多いですが、そこはやはり抑えてもらわないとね。交渉ごとは「何を求めて何を手放すか」です。「補償金は払いたくないけど辞めてほしい」は通りません。裁判ではなおさらです。裁判の場でファイティングポーズをとっているときに和解案を提示されれば、当然、社長はおもしろくない。しかし、これ以上手間と経費をかけて本当にメリットがあるのかよく考えるべきです。それと、怒りに震える社長を見て、他の社員がどう思うか。社長は周囲から見られているということを意識しなければなりません。
裁判はデメリットだらけ
──冷静に話し合いの姿勢を堅持すれば、訴訟には至らないということですか。
島田 経験上、訴訟に入る前の交渉から携わったトラブルが裁判にまでいたった例はあまりありません。社長の心がけしだいでは、訴訟トラブルはほぼ防げると私は考えています。もちろん痛みは伴うでしょう。ソフトランディングは目指すが、無傷ではすまない。少なくともしかるべき金額は必要です。私の役割は労使双方の着地点を見つけることであり、裁判に勝つことではありません。
──裁判はデメリットの方が多いと。
島田 さまざまな損害賠償に関する裁判がありますが、中小企業の名前がもろに出るのは労働裁判だけではないでしょうか。それだけでもイメージが悪いですよね。いまはネットの時代ですから、訴えられたことはすぐに知れ渡ります。特に、採用の局面では相当な不利をこうむるでしょう。
──実際に、訴訟によって会社が倒れたといった事例にかかわられたことはありますか。
島田 あります。従業員から一斉に未払い残業代を請求されたケースです。弁護士がついて支払いを求められたのですが、それが支払えなかったことがひとつのきっかけとなり廃業しました。社長の心が折れたんですね。未払い残業代は銀行も貸してくれません。
──どうしてそんなことに?
島田 人間関係のいざこざですよ。社員の間に「この社長のもとでがんばろう」という思いがあれば、まずこのようなことは起こりません。社長が高級車で会社に乗り付ける一方で、社員に横柄に当たれば、反発が出るのは当然です。これが分かってない人が意外に多いと思います。人は論理では動きません。
──変な話、裁判をやった方が弁護士は収益を上げやすいのではないですか。
島田 強硬な対決姿勢を望む社長や、それをサポートする弁護士もいます。それは良い悪いではありません。社長が選ぶべきことです。ただ、私の本が多少なりとも売れている理由は、話し合いでのソフトランディングを明確に打ち出しているものが少ないからではないでしょうか。つまりニーズがあるが、そのニーズを拾える人がこれまであまりいなかったということです。
例えば、裁判に2年かかるのと、話し合い1カ月で和解するのとではどっちがいいか。前者を評価する人もいますが、いまの時代、スピードは金です。費用対効果を考えてください。後者の場合は、裁判の場合と比べて1年11カ月をほかのことに費やすことができるんですよ。それが私の発想です。
(インタビュー・構成/本誌・高根文隆)
※本誌掲載記事より「島田直行氏の『労働事件は“百害あって一利なし”』」のみ抜粋して掲載しています。「森田汐生氏の『対人関係のスキル向上がハラスメントを防ぐ』」については、本誌(『戦略経営者』2019年3月号)をご参照ください。