にわかに盛り上がる「キャッシュレス化」の動き。業務効率化、データの利活用など、さまざまな思惑が絡むなか“脱現金”に向け、国はかじを切りはじめた。キャッシュレス後進国といわれる日本は変わることができるのか。現状と課題をまとめた。(構成/本誌・小林淳一)

プロフィール
たなか・だいすけ●1976年生まれ。京都大学大学院エネルギー科学研究科修了。2002年に野村総合研究所に入社。現在、ICTメディア・サービス産業コンサルティング部プリンシパル。専門分野は決済サービス、フィンテックに関するコンサルティング、リサーチなど。

──キャッシュレス決済化の機運が急速に高まっています。現状をどう分析していますか。

キャッシュレス社会の胎動

田中 政府の公表している統計データによると、日本におけるキャッシュレス決済比率は金額ベースで全体の2割程度にとどまっています。キャッシュレス決済のうち最も普及しているのはクレジットカードですが、端末がレジの目立つ場所に設置されていなかったり、混雑時は現金決済のみという飲食店もあったりするなど、中小規模の店舗ではあまり利用されていない印象です。
 地域間の格差も目立ちます。東京都内ではクレジットカードと「スイカ」などの交通系電子マネーがあればキャッシュレス生活を送れるかもしれませんが、地方都市に行くと様相は変わってきます。キャッシュレス決済できるのは、駅前のホテルや幹線道路沿いの大手チェーン系列店のみという場合もあったりします。
 ただし、店舗の規模に比例してキャッシュレス対応割合が一概に上下するわけでなく、タブレット端末とカード端末を併用するなどして、キャッシュレス決済ができる中小店舗も目立つようになりました。

──10月の消費増税にあたり、キャッシュレス決済時のポイント還元が導入されます。評価は?

田中 10月1日から9カ月間、中小規模の店舗での買い物時、クレジットカード、電子マネー、2次元コード(QRコード)で支払うと、5%分のポイントが還元される見込みです。大手チェーン系列店では還元率が2%に抑えられたり、郵便切手や金券などの一部商品、サービスはポイント還元の対象に含めない方向で検討されています。
 ペイペイが昨年12月に実施した20%相当分ポイント還元キャンペーンに大勢の人々が引きつけられたように、日本人は概してポイント好きです。ポイント還元策をてこにキャッシュレス決済の利便性を体感してもらい、現金決済比率を下げるのが政府のもくろみですが、カギになるのは店舗側が端末を準備するなど、キャッシュレス環境をどれだけ整えられるか。消費者がキャッシュレス決済のメリットを感じられなければ、ポイント還元期間終了後、現金決済に回帰してしまう懸念もあります。

販売データの活用を促進

──店舗側にとってキャッシュレス決済導入のメリットは?

田中 効果を最も期待できるのは、現金管理にともなう時間とコストの削減です。釣り銭の準備や現金残高の確認等、レジ精算にまつわる業務負担を減らせます。細かい点ですが、弁当店や総菜店では食材を扱うため、キャッシュレスは衛生面からも望ましいといわれています。
 それから、キャッシュレス決済の運営事業者の中には、取引データを元にした顧客分析情報を付帯サービスとして提供している場合があります。購買客の性別、年代など店舗側はさまざまな属性情報を入手できますが、こうした情報を切り口に、広告やクーポンを配信したり、販売促進活動に役立てることも可能です。
 さらにいうと金融機関に融資を申し込む際、日々の取引データを元に審査され、資金を迅速に調達できるようになる可能性もあります。こうした手法は「トランザクションレンディング」といわれ、楽天やアマゾンなどが参入しています。

──「現金お断り」の店舗も一部現れはじめたとか。

田中 ロイヤルホールディングスの運営する、完全キャッシュレスの飲食店が東京・日本橋馬喰町にあります。店内にはレジがなく、客はテーブルにあるタブレット端末でメニューの注文、支払いを行います。決済手段を選択すると店員が端末を席のところまで持ってきて、カードやスマートフォンをかざして決済します。
 2017年11月のオープン時にクレジットカードと電子マネーによる支払いを導入し、昨年から「楽天ペイ」やNTTドコモの「d払い」、「LINEペイ」といったQRコード決済もできるようになりました。現金を扱わなくてすむため、店員に心理的な余裕が生まれ、接客により気を配れるようになったそうです。

──東京・JR赤羽駅のホームに期間限定でオープンした無人店舗も話題になりました。

田中 「スイカ」をかざして入店し、棚から商品を選んで決済スペースに立つと商品名、価格が自動的に表示され、端末にスイカをかざして支払うという仕組みです。品ぞろえは飲料やパン、菓子類などが中心で、コンパクトなコンビニエンスストアといったおもむきでした。福岡県にも夜間、無人営業しているスーパーがあります。各地のスーパーでは客自身が精算を行うセルフレジが見受けられるようになり、キャッシュレス決済専用のセルフレジも将来増えていくと思います。
 これらの店舗は米アマゾンの運営する無人コンビニ「アマゾン・ゴー」の影響を受けていることは間違いありませんが、客の動きを追跡するセンサーのコストなど、出店には多額の費用がかかります。とはいえ今後無人店出店のハードルが下がれば、人件費削減などの効果が見込めるため、一挙に拡大する可能性を秘めています。

複数の決済手段に対応を

──キャッシュレス決済を導入する際、どんな点を念頭に置くべきですか。

田中 中高年の来店客が多いならクレジットカード、若い人がメインならQRコード、外国人観光客も訪れるならビザやマスターカードなどの国際ブランド対応のクレジットカードといった具合に、まずは客層にあわせて決済の種類を検討するとよいでしょう。
 決済事業者ごとの支払いサイト、手数料、サービスの違いにも留意する必要があります。クレジットカード会社では月末締め翌月支払いというサイクルが多いですが、最近では2回に分けて振り込まれたり、特定の金融機関口座があれば即日入金されたり、ばらつきがあります。
 付帯サービスの面でも各社の内容に差があり、顧客分析情報やポイントサービスを提供している事業者もあります。例えば「LINEペイ」では利用者にクーポンを配信したり、期間限定のキャンペーンを行ったりといったことも可能です。

──キャッシュレス決済の種類を拡大すると、レジ回りに設置する端末台数が増えてしまうのでは?

田中 最近は複数のキャッシュレス決済に対応できる端末を提供している事業者が増えています。クレジットカードはA社、電子マネーはB社、QRコード決済ではC社というように複数の事業者と個別に契約すると契約条項もそれぞれ異なり、端末を一本化できなくなる可能性があります。それよりもキャッシュレス決済のソリューションを提供する企業に相談する方が、手続きをスムーズに進められるでしょう。
 現状さまざまなキャッシュレス決済サービスが競い合い、優勝劣敗は当面決まらないと思います。消費者の幅広いニーズに対応し、システム障害などをリスクヘッジする意味でも複数種類のサービスに対応しておくことが賢明です。

──今後のキャッシュレス化の進展をどう予想しますか。

田中 キャッシュレス決済の肝はデータの活用にあります。例えば日々の経理業務では、取引データと連動して会計システムへの仕訳入力を省力化でき、効率化が進むでしょう。
 企業金融の現場でも変化が起こっています。金融機関への融資申し込み時、これまでは決算書などの書類を提出し、審査されるのが一般的でした。金融機関が取引データを日々把握できるようになれば、運転資金を一時的に借り入れる際など、審査に要する期間の短縮化が期待できます。先に述べたトランザクションレンディングですね。
 こうした動向を見すえ企業の参入が相次いでいるのが、信用スコアの分野です。中国ではクレジットカードの支払い履歴、交通違反などの情報を元に個人レベルまでスコアリングするサービスが始まっていますが、日本でも信用情報を元に個人向けローンの審査の際に、信用スコアを活用する動きが見られます。

──キャッシュレス決済時のポイント還元により、消費者はキャッシュレス決済できる個人経営の青果店や鮮魚店を利用したいと感じるようになるでしょうか。

田中 新たな顧客を開拓する上で一定程度の効果はあるものの、本質的な解決にはつながらないと思います。集客のカギは、店の魅力をいかに高められるかにかかっています。キャッシュレス化により浮いた時間とコストを、有効に活用する方法を考えるべきです。

掲載:『戦略経営者』2019年2月号