2010年1月19日、日本航空(JAL)は経営破綻した。戦後最大の負債を抱えて倒産した巨大企業。「もはや再建は不可能」との声に、敢然と立ち向かったのが京セラの名誉会長だった稲盛和夫氏。1年後に過去最高の1800億円、2年後には2000億円を超える営業利益を上げる超V字回復を遂げた。なぜ、稲盛氏率いる再建チームは不可能を可能にしたのか。稲盛氏を補佐し、JAL再建を成し遂げた大田嘉仁氏に聞いた。

プロフィール
おおた・よしひと●1952年鹿児島県生まれ。立命館大学卒業後、京セラ入社。ジョージワシントン大学ビジネススクール修了(MBA取得)。秘書室長、取締役執行役員常務などを経て、2010年、日本航空会長補佐・専務執行役員に就任。15年、京セラコミュニケーションシステム代表取締役会長、17年に顧問に就任(18年退任)。現在は稲盛財団監事、立命館大学評議員、日本産業推進機構特別顧問、鴻池運輸社外取締役ほか、新日本科学、MTG等、数社の顧問を務める。

──ご著書の『JALの奇跡』が発売以来、驚異的な売り上げを記録しています。

日本航空元会長補佐 大田嘉仁 氏

大田嘉仁 氏

大田 意外でした。JALブランド、稲盛ブランドのおかげです。

──当初、稲盛さんは、JAL再建を手がけることには二の足を踏まれていたとか。

大田 他にも、錚々(そうそう)たる実績をお持ちの候補者が挙がっていましたからね。80歳間近という年齢や、業界が違うという問題があって、当初は受けるべきではないと考えておられたようです。

──心境の変化はいつ?

大田 当時、リーマンショックの後遺症が深刻で、JALがこのままだと、日本経済がますます落ち込んでしまう。その認識をお持ちの上で、適任者は他にいるだろうと……。ところが2009年の暮れ、企業再生支援機構から改めて「ぜひ稲盛さんに」との強い要請があり、そこで初めて真剣に考えられたようです。トップが未定のまま再建はできません。稲盛さんは「義俠心(ぎきょうしん)」とおっしゃっていますが、日本経済のため、JALの社員のために「ここで逃げるわけにはいかない」という思いがあったのではないでしょうか。

──2010年1月19日に会社更生法の適用申請がなされ稲盛さんの会長就任が発表されました。

大田 その日、稲盛さんは盛和塾の開塾式に出席する予定があり、私が代理で記者会見に出席することになりました。「私ではまずいのでは?」と言うと「約束は守るべきもの」と一喝。困りました。マスコミの方々が山ほどおられましたが、みなさん稲盛さん不在にがっかりされたと思います(笑)。

──確かに、稲盛さんが記者会見に出席するか否かは、再建とは関係のないことですね。

大田 「単なるセレモニーだろう」と思われていたのかもしれません。少し話を戻すと、「JAL再建を手伝ってくれ」と稲盛さんから頼まれた時には、想定外だったので正直迷いました。なにしろ日本中が注目する案件なので、失敗すればバッシングは確実。稲盛さんや京セラの評価も下がるでしょう。リスクは大きい。しかも、マスコミは「誰がやっても再建は無理だろう」という論調の嵐。はい分かりましたとはすぐには言えなかったのは確かです。

──そのときに稲盛さんから「KDDIものがたり」をもう一度やろうと励まされたとか。

大田 それもありましたが、結局は長年お世話になった稲盛さんから「一緒にやろう」と言われれば、受けるのが筋だということでした。妻も「当然そうだね」と。新聞に載るようなことだから家族の承諾も必要でした。

──大田さんが担当されたのは主に意識改革でした。非常にご苦労されたそうですね。

大田 いまから思えばそうですね。しかし当時は無我夢中でした。批判が巻き起ころうが、いちいち反応する余裕はありません。

──就任してすぐに役員から部長クラスまでの幹部の方と話されたと思いますが、最初の感じは?

大田 幹部の方たちが、驚くほど冷静にJALの現状を見ておられることが印象的でした。評論家として優秀なんだなあと。ただ、国交省が悪い、組合が悪いと、言い訳に終始していたので、このままでは再建は無理というのが実感でした。当事者意識がないのです。

カリスマを身近に感じる

──つまり、責任を感じている幹部がいなかったわけですね。

大田 おっしゃる通りです。私が始めた教育に関してはとにかく反対がすごかった。なぜ、実績のある幹部に最初に教育を施すのかと。一方、私の方は、ここで引いたら負けという覚悟でした。その迫力が彼らにも伝わったのでしょう。また、社長に就任されていた大西賢二氏(元JAL執行役員、日本エアコミューター社長)を説得して巻き込めたのも大きかったと思います。外様の私だけでは実行不可能でした。ともあれ、その年の6月から幹部の意識改革のための勉強会を週4回のペースでスタートすることができました。

──その際、稲盛さんの講義やコンパを節目節目で開催されたそうですが、それらが潮目を変えた部分はありましたか。

大田 稲盛さんについては、当初JAL社員からみて、とっつきにくいのでは、怖いのでは、などといったイメージがあったようですね。しかし講義を行い、コンパでは社員に混じってざっくばらんに話し冗談も言う稲盛さんを見て、次第に誤解が解けていったのではないでしょうか。

──カリスマ的な経営者を身近に感じたことが、意識変革へのきっかけになったということですね。

大田 それと横のつながりですね。それまでは、ここが絶望的に弱かったのです。

──研修やコンパが部門横断の助けになったと。

大田 従来、幹部同士は話をしてはいけない雰囲気でした。官僚の世界などでは、事務方が根回しをして最後に大臣などトップが会って握手をするというのが普通ですよね。JALも官僚的組織でしたからそういうところがありました。ところが、われわれが入ってからは、ほぼ毎日、研修等で顔を合わせるので、自然と相手のことを知るようになるわけです。

自前でフィロソフィを創る

──意識改革のための取り組みは、最終的にはJALフィロソフィとなって結実するわけですが、ここでもご苦労があったとか。

大田 京セラフィロソフィのようなものをJALにも根付かせたいという思いでした。そこで、人事部にお願いして10名ほどを選抜してもらい、JALフィロソフィ作成に向けて議論してもらいました。ところが、彼らの大半が否定的だったんですね。

──なぜでしょう。

大田 実は、JALではそれまでも、何度も似たような取り組みを実施して、そのすべてが失敗に終わっていました。「JAL手帳」をつくり、そこに理念などを書き込んで社員に配っても、一向に効果がなかった。しかも京セラはメーカーで航空業界とは業種的に違いすぎる。京セラのフィロソフィを参考にしても意味がないというわけです。しかし、私は、以前の取り組みと今回はまったく違うと主張しました。

──京セラフィロソフィは言うまでもなく「自前」ですよね。

大田 はい。全社に浸透させるには借り物ではなく、自前でつくったものでないとダメです。とにかく、講師も教材もすべて自前でやるんだと。これを徹底しました。そして、これができれば絶対に社員の意識が変わると。〝魔法の言葉〟になるから、一度つくってみようよと説得しました。

──それで、40項目のJALフィロソフィ(『戦略経営者』2019年1月号P35左図表参照)ができあがりました。意識改革やフィロソフィ作成は、どういう成果を生み出しましたか。

大田 最も変わったのは、前述の通り、横のつながりが極めて良くなったことです。従来のJALは典型的な縦割り組織でした。花形であるパイロットやキャビンアテンダント(CA)は、勤務形態が特殊なこともあって、他の職種との接点はほとんどありませんでした。それが当たり前だったんですね。一方で、整備やスタッフ部門、あるいは非正規社員もたくさんいるわけです。たとえば、空港のカウンターの女性は地元のバス会社の委託社員だったりします。彼ら彼女らは、JALの経営がどうあろうが関心がありませんでした。一方JAL側も、委託社員だから口を出してはいけないとの雰囲気もあったようです。

──意識の乖離(かいり)ですね。

大田 はい。すべての社員が一緒にフィロソフィ教育を受けることで、パイロット、CA、営業、現場の意思の疎通がはかれ、お互いを思いやりながら仕事が行えるようになりました。さらに言えば、委託社員もJALフィロソフィの記載された手帳を常に携帯することで、サービスが目に見えて向上した。同じJALの制服を着ている人たちすべてが、共通の理念や考え方のもとにサービスを行うこと。それが稲盛さんの言う「全員参加の経営」の意味なのです。

──それらの取り組みを人事考課にもリンクさせたのだとか。

大田 評価の項目に、人間的な部分を入れ込みました。よしんば定量的な成果は見込めなくとも、定性的なところで頑張っていれば評価される仕組みです。これによって、会社はちゃんと見てくれていると実感でき、モチベーションアップにつながります。

売上を最大に、経費を最少に

──以前のJALでは計数管理の意識が弱く、とくに部門別管理がまったくできてなかったとか。

大田 部門別はやろうとしていたようですが、いくつか阻害要因があるということでした。予約と現実の搭乗件数の食い違いや、国際線の売り上げの確定に時間がかかることなどですね。つまり、正しい数字がすぐには出るはずがないという先入観があったのです。稲盛さんが要求する「フライト当たり採算管理」はどだい無理だという声が大勢でした。「素人は無理をいうから困る」と。しかし、これはやり方次第なんです。われわれは、未確定の部分は仮の数字を当てはめて計算し、あとで順次修正していくという方式をとりました。これで十分に経営戦略に使えるデータがとれます。

──結局、手間を嫌っていたのでしょうか。

大田 要するに、数字で経営しなくてはという発想がなかったのです。しかし、もう一つの意識改革の柱である「売上を最大に、経費を最少に」とのマインドを現実のものにするには数字による経営が必須です。数字が明確になれば、「赤字幅を減らそう」との意識付けができる。逆にいえば、「売上を最大に、経費を最少に」のマインドがないと、いくら数字をオープンしても効果は見込めない。つまり「意識改革と計数管理」は渋沢栄一翁の『論語と算盤』と同様、切り離せないものなのです。

──本書ではJAL再建は「意識改革」と「アメーバ経営」だけで実現したと書かれています。どんな業種でもこの二つさえあれば再建できるということでしょうか。

大田 アメーバ経営のための組織の細分化も、目的は「全員参加の経営」です。それを実現するためには全社員を納得させる必要がある。「全従業員が物心両面で豊かになる」ことを目標に、全社一丸となってできうる限りのことをやる。当然、不正をしてはいけないし、仲間同士は協力するべき。単純ですが、これがフィロソフィの根幹です。

──稲盛さんは、人生や仕事の成功は「考え方」×「熱意」×「能力」とイコールだとおっしゃっています。従来のJALには前者二つがなかったと。

大田 そうかもしれないですね。考え方も、熱意も変化しますから、高いレベルで維持するのはとても難しい。とくに中小企業だと、業績が上がり始めると「ちょっと楽をしても」となる。アップダウンが激しくなるわけです。考え方や熱意を常に高く保ちながら、全員参加の経営を実現すること。これがとても大事だと思います。

世の中のためになる仕事を

──稲盛さんの印象的な言葉に「利他の精神」があります。

大田 その精神があったからこそ、リスクを顧みずJALの再建を引き受けたのだと思います。稲盛さんは決して典型的なワンマン経営者ではありません。稲盛さん自身「自分が思いつきで発言すると、部下がその通りに動くのでこわい」とおっしゃったことがあります。また、情報不足は間違いのもとなので、大事な話は時間をとって会議の形で行うことを徹底されていました。違う業種だったJALの場合はとくにそうで、現場の声を常に聞きながら判断されていた印象があります。

──いま、錚々たる世界的企業が、株主至上主義を脱し「世の中や社員のため」を前面に押し出しつつあります。これは稲盛イズムが世界に広がりはじめたといえないでしょうか。

大田 稲盛さんの場合、利他の精神をコアにして、そこからブレなかったからみんながついてきたのだと思います。いま、企業は弱肉強食的な考え方では成り立たなくなっています。中堅・中小企業は、ガツガツと利益だけを追求しないと立ち行かなくなるとの考え方もありますが、それはむしろ逆。規模が小さいからこそ、みんなが納得するような目標を掲げ社員の一体感を高め、成長につなげる必要がある。成功した会社だから世の中のためを考えるのではなく、世の中のためになる仕事をするから成功する。こう考えてみてはいかがでしょうか。

(本誌・高根文隆)

掲載:『戦略経営者』2019年1月号