娘と結婚するなら会社を継いでほしい──。この先代の頼みを忠実に守り、2011年に社長に就任したのは、DIY業界で最新のトレンドを生み出している大都の山田岳人社長(48)である。会社継続の方法を必死に探り、見事に業態転換を遂げて事業承継を成功させた道のりをたどった。

プロフィール
やまだ・たかひと●1969年、石川県生まれ。大学卒業後にリクルートに入社、6年間の人材採用の営業を経て大都に入社。2011年、代表取締役に就任。社団法人日本DIY協会が認定する「DIYアドバイザー」の資格を持つ。
山田岳人 氏

山田岳人 氏

 東京・二子玉川駅前のショッピングモール「二子玉川ライズ」内に、全国のホームセンター関係者が視察に訪れるショップがある。大都が運営する「DIYFACTORY二子玉川」だ。厳選されたDIYアイテムがセンスよく陳列されていて、メーカーごとに専用の棚が用意されているのがユニーク。スタッフが講師を務めるレッスンなど体験イベントが頻繁に開催されているのも大きな特徴になっている。

 同社は、DIYやものづくりに必要な電動工具や塗料、ガーデニング用品などを販売するネットショップ「DIY FACTORY ONLINE」を運営。取り扱いアイテム数は約100万点を越える日本最大級のDIY工具通販サイトだ。安定した収益基盤を持ちながらあえてリアル店舗を出店した理由は何か。そこには山田社長の並々ならぬ決意があった。

 1号店の大阪店を2014年4月にオープンしたときは、「ネットで売り上げは伸びている。どんどんリアル店舗が閉店しているこの時代になぜ出店するのか」と金融機関からは大反対されました。しかし私はどうしても消費者が気軽にDIY体験できる場所をつくりたかった。そこでメーカーに定額で場所を貸すという方法を思いついたのです。結局25社のメーカーが手を挙げてくれ、その利用料だけで家賃がペイできました。

 若者や女性が気軽に立ち寄れるDIYショップとして人気が出たことで、業界関係者が大挙して押し寄せたが、山田社長はノウハウの流出を意に介さなかった。日本にDIYの文化を根付かせたいという一心ではじめた店舗だからである。実際コンセプトや内装の雰囲気をそっくりそのまままねた店舗が各地に誕生したが、市場そのものの拡大につながるとむしろ歓迎した。目先の利益より大事なものを目指していたのである。

 日本では戦後、衣食住のうち「住」の部分がないがしろにされてきました。やはり壁に穴一つ開けられない賃貸住宅ばかりが流通している状況はおかしい。しかしそれが2011年の震災以降、自分たちの住まいや生活は自分たち自身でつくりあげていくという流れが巻き起こっています。それはDIYという言葉が検索ワードの上位に来るようになったことからも明らかだと思います。

 いち早く時代の流れをつかんだ山田社長の経営手腕に、業界の雄であるカインズが目を付ける。2017年にオープンした「カインズ広島LECT店」を同社がプロデュースしたのである。プロ用と一般消費者用に売り場を明確に分けたレイアウトが人気となり、ホームセンターの業界紙「ダイヤモンドホームセンター」が毎年発表している店舗ランキングで2017年度の1位を獲得。その後両社は、カインズが大都の10%株主となる資本提携を行うなど、活発な協業を行っている。

スーツ脱ぎトラック運転

 業界大手からも一目置かれる存在となった同社だが、少し前までは、日本に無数にある中小卸売企業の1社にすぎなかった。都築俊男氏が昭和12年に創業した金物工具の産地問屋を一人息子で2代目の俊一氏が継承。ホームセンターとの取引を開始し会社規模を拡大させたその先代の一人娘の結婚相手が、山田社長という系譜である。

 私がこの会社に入社したのは1998年。先代の一人娘である妻と交際していた私が結婚を決断し、先代にあいさつに行ったところ「後継者になってほしい」と頼まれました。業界のことは全く知りませんでしたが、もともと起業志向だったこともあり、その場で快諾しました。

 前職は、多くの起業家を輩出していることで知られるリクルート。経営者魂に火が付けられた。しかしいくらリクルートで鍛えられたからといって、転職先でその経験がすぐに通用するわけではない。扱っている商材や商習慣に慣れるまで、困惑の連続だった。

『フロムエー』などの採用情報誌の営業担当から、いきなり建築現場の職人に工具を販売する会社に移ったわけですから、本当に面食らいました。例えば入社してすぐに電話番を任されたのですが、まず電話先で「俺やけど」と名乗らない人がいる。「こないだもらったあの赤いやつもう5個追加で」と商品名も言わない。商品名を言ったとしても『エビ』(ロブテックス製のモンキーレンチ)などの俗称を使うので何が何やらさっぱり分かりません。とにかくまずは商品名を必死になって覚えました。

 出勤初日に着ていったスーツもすぐに脱ぐことになった。配達で4トントラックの運転を任されたからである。生まれてはじめてのトラック、生まれて初めてのマニュアル車。何度もエンストを起こし、先輩社員から「情けないやっちゃなあ」とぼやかれる日々が続いた。それでも肩書が専務になり、少し余裕ができるようになると、山田社長は得意の営業の能力を発揮するようになる。しかしそれもすぐに行き詰まった。

 既存事業を何とか伸ばしたいと思い、飛び込みで新規開拓に力を入れました。リクルート時代にどぶ板営業のノウハウはしっかり身につけていたので、確かに取引先は増え成果を出すことはできました。ところが肝心の利益が出ない。そこではじめて卸売業のビジネスの厳しさを痛感したのです。メーカーから仕入れて同じように販売する問屋は他にいくらでもあります。商品が同じなら、1円でも他社より安く売るか、配達する頻度を増やすなどしなければなりません。大量に仕入れて単価を下げることができる大手が勝つルールになっているのです。

Eコマースに活路

 入社後にはじめて知らされたが、業績も芳しくなかった。このままのビジネスモデルを維持したままではじり貧は必至だ。入社後数年たち、既存事業の全体像を把握してから、山田社長は新規事業に挑戦することを決断した。幸運だったのは、先代の全面的な後押しがあったこと。山田社長は、その人柄に何度も救われたという。

 先代の夢は小売りに挑戦すること。とにかく人が好きで、顧客と直接ふれあえる小売店を持ちたいと言っていましたが、当時それだけの投資をする余力はありませんでした。なんとかできないかと模索していたところ、たまたまパソコンに詳しい幼なじみから、「これからは通販の時代だ」と聞いたのです。そのすぐ翌日にパソコンを買いにいって、Eコマースに取り組み始めたのが2002年のことでした。この時うれしかったのが、「新規事業は次世代を担う若い人が好きにやりなさい」と先代が言ってくれたこと。今思えば、後継者になることを条件に娘との結婚に賛成したことについて「大変な役割を背負わせてしまって申し訳ない」と心の中で思っていたのではないでしょうか。常に気を遣ってくれていたように思います。

 大手ネットモールに登録したものの、従業員の大半がパソコン経験皆無。「まとまった量を販売して成り立つ商売なのに、1個の商品を個人相手に売って会社のためになるのか」と社内の目も冷たかった。しばらくは商品登録から送り状の作成、出荷作業に至るまで一連の業務をすべて山田社長一人で行った。昼間はトラックに乗って配達、夜はパソコンで通販の作業というハードワークである。ITに詳しい社員を採用してから売り上げは大きく伸びたが、赤字続きの本業の落ち込みをカバーするまでには至らなかった。

 手形の不渡りや競争激化などで卸売り事業の収益の落ち込みが激しく、一時廃業を検討したこともあります。顧問税理士も「自社ビルの売却などで借入金を精算できる。やめるなら今だ」という意見でした。悩みに悩んだ末先代に相談したところ、「なんとか会社だけは残してくれ」と言う答えが返ってきました。しかしズルズルと不採算事業をいつまでも続けるわけにはいきません。社員全員を集めて会社の苦境を説明し「もう1年だけ頑張る。それでもだめだったら卸売り事業から撤退し、みんなにも辞めてもらうことになる」と伝えました。

オリジナルブランドも開始

 それから1年間、全社を挙げて収益改善に取り組んだが、その努力は報われなかった。規定通りの退職金を支払い、Eコマース部門をのぞく大半の社員を解雇。苦渋の人員整理だった。顧客に迷惑がかからないよう、既存の取引先には同業他社を紹介し、今まで通りの条件で商品を入手できる手はずを整えた。さらに資金繰りの改善にも着手。Eコマース事業の拡大でキャッシュフローの状態が改善したので、手形取引の削減を図ったのである。

 ネット通販は事前入金が基本で、代引きでも1週間後に口座に入金されます。取引先が当たり前のように180日サイトの手形を切っていた卸売りのビジネスとはまるで違いました。大口の取引先の手形がいったん不渡りになってしまえば当社も連鎖倒産してしまいます。この経営リスクをできるだけ減らすために、取引の現金化を進めました。まずは仕入れ先のメーカーに対する支払手形を自主的にやめ、それからまだ取引を継続していたホームセンターなどに対し、キャッシュによる支払いに切り替えてもらうよう交渉しました。

 交渉が決裂して取引が終了したとしても、卸売り事業の段階的縮小を既定路線としていた同社にとっては想定内。不採算部門からの撤退と好調なEコマース部門で一挙に収益は好転した。中国にデータセンターを開設し商品登録数を増やす戦略を採用したことも奏功し、他社との競合にも勝利。2010年ごろから倍々ゲームで売り上げが伸びた。右肩上がりで業績が推移しているこのタイミングを山田社長は逃さなかった。

 この頃私は先代に、いつでも社長を交代してもいいですよと伝えていましたが、先代は個人保証の問題をずっと気にしていたようです。借り入れがある程度減った段階で引き継ぎたいと考えていたのでしょう。しかし私はすでに覚悟ができていたので、「厄年があけたら交代しましょう」という理由を付けて説得しました。その時はすでに先代から引き継いだ卸売りの売り上げはほとんど残っていませんでしたが、仕入れ先との関係は今でも変わらず継続しています。その人柄で仕入れ先との良好な関係をつくりあげてくれた先代のおかげだと感謝しています。

 10月7日から9日までの3連休、多くの買い物客でにぎわう二子玉川ライズ中央広場で、同社はイベントを開催した。そこでお披露目したのが、初のオリジナルブランドである。DIYで作る組み立て家具を中心としたライフスタイル関連商品160点をラインアップ。ネット通販やリアル店舗で消費者と直接つながってきたこれまでの実績から「ユーザーがほしがっている」商品として自信を持って送り出した。卸売りからネット通販、そしてSPAへ――新たな事業ドメインを次々と開拓しながら成長を続ける同社は、「家業」から「企業」への脱皮を見事に果たしたといえる。

(インタビュー・構成/本誌・植松啓介)

沿革
1937年 大阪市天王寺区にて利器工匠具の販売を開始
1952年6月 大都金物有限会社設立
1980年11月 株式会社大都に変更設立
2002年7月 インターネット通販事業に参入
2007年4月 本店サイトオープン
2009年 中国成都でのオフショアリングスタート
2010年 GLS大都南港物流センター開設
2012年 事業者向けホームセンター「モノトス」オープン。
楽天ショップオブザイヤー DIY部門大賞受賞。
ヤフーショッピング 年間ベストストア賞受賞
2014年4月 体験型DIYショップ「DIY FACTORY OSAKA」オープン
2015年4月 体験型DIYショップ 「DIY FACTORY FUTAKOTAMAGAWA」オープン
2015年7月 DIYメディアサイト「DIY FACTORY COLUMN」オープン
2017年5月 GreenSnap株式会社 100%子会社化。
2017年8月 株式会社カインズと資本業務提携
会社概要
名称 株式会社大都
創業 1937年4月
所在地 大阪府大阪市生野区生野東2-5-3
売上高 約38億円
社員数 67名
URL https://www.diyfactory.jp/

掲載:『戦略経営者』2018年11月号