愛知県など東海地方を中心にステーキレストランを展開するブロンコビリー。備長炭による炭焼きで供されるステーキ、約20品目そろうサラダバーが老若男女幅広い客層を引きつけている。外食業界で上位を争う経常利益率も注目の的で、2016年12月期は15.6%を記録した。竹市靖公会長が目標に掲げる「日本一のステーキハウス」へのあゆみを語る。

プロフィール
たけいち・やすひろ●1943年生まれ。1978年愛知県名古屋市にステーキレストラン「ブロンコ」を開き、創業。1983年株式会社ブロンコ設立、代表取締役社長に就任。1995年株式会社ブロンコビリーに商号変更。2013年代表取締役会長に就任。
竹市靖公 氏

竹市靖公 氏

 名古屋市北区にステーキハウス「ブロンコ」を開いたのは1978年です。以前は夫婦で喫茶店を経営していました。当時、ステーキを食べる習慣はあまり根付いていなかったですね。それでもステーキハウスをオープンしたのは、より大勢の仲間と働き、より多くのお客さまを幸せにしたかったから。十分なノウハウや知名度もなく、まさに徒手空拳でのスタートでした。

 1983年にブロンコビリーの前身である株式会社ブロンコを設立。名古屋市内から愛知県郊外へ進出していった。徐々に出店ペースを加速させ、2000年には47店に。順調な成長を続けていた矢先、倒産の危機に見舞われる。世にいうBSE騒動である。

 2001年9月、日本国内でBSEの疑いのある牛が発見されたと報じられました。5年間で40店舗を出店して借り入れがかさみ、財務状況はあまり芳しくなかった。一方、世の中はデフレ一色。手間とコストを減らすべく、炭焼きを鉄板焼きに変え、サラダバーを廃止していました。つまり低価格競争の波にのまれてしまった。そこへBSE問題でしょ。

 その後、米国で9・11のテロがあり、BSEをめぐる報道は収束するだろうと期待したんです。ところがBSEに感染した牛の映像がテレビで繰り返し流れる。年の後半はかき入れ時ですから、明らかにマイナスです。案の定、お客さまの足は遠のき、例年の6割まで来店客数が落ち込みました。

 そのとき真っ先に懸念を抱いたのは、従業員のことです。何も悪いことをしていないのに会社が倒産し、大勢の従業員を路頭に迷わすわけにはいきません。当時はまだ社長でしたが、自分の報酬を半分にしました。取締役の役員報酬も15%カットさせてもらった。そして退職金の積立金を取り崩すなどして従業員の給与額を維持し、取引先への支払いも滞らせず、何とか経営危機を乗り切ることができました。

 経営が傾くと、目端の利く人は辞めていく。でも03年にかけて辞めた社員はほとんどいませんでした。このことは何よりも誇りに感じている出来事です。倒産を覚悟していた社員も少なくなかったようです。BSE騒動の3年後に開いた全社員が集まる会議で、当時倒産すると思ったか尋ねたところ、3分の2の社員が挙手していましたから。

ドラッカーの一節に感銘

 BSE問題が響き、01年度は5億円の赤字となりました。経常利益率はマイナス8.5%。これを05年度には17.2%に引き上げることができた。5年間で会社の体質を変え、国内外食企業の経常利益率ランキングで一気に第3位になったんです。うちは12月決算だけど、実は8月まで20%をこえていた。数字が下がったのは、年末に全従業員に牛肉をプレゼントするのを復活し、ボーナスの金額もアップさせるなど、多少大盤振る舞いをしたからです。

 赤字に陥るとたいていの経営者なら、まず黒字にするのを目指すでしょう。私が目標に掲げたのは経常利益率20%への挑戦でした。従来のやり方を踏襲していてはとても達成できない数字です。そこで、白紙の状態から経営戦略を考えた。具体的には「得意」「好き」「高い評価」の3つのフィルターを通して事業の方向性を見つめ直しました。

 たまたま当時読んでいたドラッカーの本の一節に「不得意なことで成功した人はひとりもいない」と書かれていたんです。ひざを打つ思いでした。ならば得意なことを経営に取り入れ、お客さまや従業員にお店を好きになってもらい、その結果高く評価される会社を目指そうと。

 得意なこととして思い浮かんだのは仕入れと加工でした。オーストラリアなどの牧場に足を運んで交渉を重ねていたため、幸い良質なお肉を大きな固まりのまま仕入れることができます。仕入れのタイミングにもコツがあり、クリスマスすぎなどの年に数回、相場が下がる時期がある。担当者は虎視眈々(たんたん)とそのタイミングを狙って仕入れています。それと自社工場に最新の機械設備を数多く保有していたり、お肉のすじや脂身を取り除く加工技術にも自信がありました。

 あとは得意な事柄を店にどう落とし込むか。他社にまねできないことを組み合わせようと考えました。炭焼きステーキとサラダバーの復活、そしてかまど炊きご飯の3つです。お肉を炭で焼くと結構熱くなるし、燃費がかかる。ステーキ肉以外にもハンバーグやチキンなど種類も複数あり、温度の変化が激しいから、焼き加減がむずかしい。でも電気やガスよりも表面はこんがり、中はジューシーに焼き上がります。

 サラダバーも季節にあわせて年に5回メニューを変えるなど、手間をかけています。ことしの夏にはスイカを追加したところ、大きな反響を呼びました。20品目の豊富な品ぞろえに加えて、店頭にお出しする直前にカットするため新鮮さもうり。女性のお客さまに特に人気です。

 もうひとつ、かまどで炊くご飯は産地にこだわり、魚沼産コシヒカリを使用。コンピューター制御の大かまどを用い、最適の加減で炊きあげています。お茶わんに盛って提供するのも珍しいかもしれません。最後まで温かい状態でお客さまに召しあがっていただくための工夫です。

 得意なことを追求した結果、価格競争にしばられない「ブルーオーシャン」にたどり着くことができ、客単価は940円から1600円に跳ね上がりました。ただ、同業他社もブルーオーシャンを目指して泳いでくるので、常に変わりつづけなければならないと思っています。

5000万円超の損害

「外食産業は教育業」というのが私の持論で、従業員教育には資金を惜しみなく投じているつもりです。今日は、社員を対象に行っている「経営改革委員会(KKI)」を中座してきました。社員に甘く温かい会社ではなく、厳しくても温かいを目指していこうといった話をしてきたところです。KKIでは店長、2番手、3番手……というように同じ職階の社員が全国から集まり、1泊2日の合宿形式で店舗運営の課題などをディスカッションしあいます。これによって、社員同士ヨコのつながりができるし、同じ悩みを共有する仲間が増え、社員の離職率低下につながっています。

 得意なことを掘り下げ、あえて手間のかかる方向へかじを切った竹市氏。地道な取り組みが功を奏し、業績は次第に回復、2012年には東証1部に上場を果たす。翌年社長を退き、会長に就任した。が、好事魔多し。間もなく従業員のとった「ある行い」が世間の耳目を集めることになる。

 アルバイト従業員が、冷蔵庫の中に入った写真をSNSに載せてしまったのは軽い気持ちからだったと聞いています。魔が差したというか。もともと悪い子ではなかった。羽生くんにしろ真央ちゃんにしろ、アイススケーターは努力して有名にならないとテレビに出られないけれど、冷蔵庫の中に入るだけでメディアに取り上げられてしまう。あの冷蔵庫に入った写真も一時期何度も放送され、ある種異様な雰囲気でした。

 オープンしてまだ2年の比較的新しい店舗でしたが、思い切って閉店しました。お店を閉じる前に、店舗で働いていた従業員と居酒屋で送別会をして、近くに出店するときはまた力を貸してほしいと伝えました。自分がいればあんなことはさせなかったと話してくれたアルバイト従業員もいた。損害額は総額で5300万円ぐらい。でも損害賠償請求をするつもりは、はなからありませんでした。

 この一件で気づいたのは、会社の企業理念やフィロソフィーがいかに現場の従業員に浸透していなかったかということ。

 まず、すべての部署で行っている朝礼で企業理念を全員で唱和するようにしました。企業理念は4カ条の「全従業員の使命」と5カ条の「私の行動指針」からなります。そして、フィロソフィーの中からひとつの項目を選び、感じたことを毎月レポートに書いてもらうようにしました。フィロソフィーの大半は、私がこれまで講演などで話してきた内容です。提出してもらったレポートは文集にまとめ、優秀な作品を書いた従業員を年末に表彰しています。今までに提出されたレポートを積み上げると私の背丈をこえるほどになりました。

「無名有力」を志向する

 企業理念とフィロソフィーは少しずつ浸透していると感じますね。外食業界は従業員が定着しないといわれますが、うちのお店は比較的長く勤めてくれる人も多くいて、30年以上勤務している「ぬし」のようなベテランもいますよ。工場にもお肉のすじや骨片をカットするのにたけた、トリミングの達人もいます。ジャスダック上場後の07年には勤務歴8年以上の従業員に持ち株を譲渡しました。BSEによる経営危機を共に乗りこえたことに感謝の気持ちを表したかったからです。SNSの騒動が起こった当時、300通をこえるメールをお客さまなどからいただきましたが、ほとんどは励ましの内容でした。数年後には閉店した店舗の近隣にお店を新たに出店できた。高い授業料を払うことになりましたが、お店を閉じた決断は間違いではなかったと思っています。

 経営が苦境に陥った時期を知らない社員が増えているのは少し気がかりな点ですね。振りかえると、妻とふたりで創業して以降、成功よりも失敗した経験の方が多かった。外で鳴いている時間よりも土の中にいる時間の方が長いセミのようなもの。これからも折にふれて、企業理念やフィロソフィーをしっかり伝えていきたいと思っています。

 こうして「内」と「外」からおそった危機を乗りこえたブロンコビリー。2018年には創業40年をむかえる。店舗はいまや関東、関西地区にも広がり、120店に迫るいきおい。食べ物屋と屏風(びょうぶ)は広げすぎると倒れると俗に言われるが──。

 規模が大きくなると、いいこともたくさんあります。働いている人が夢を持てる。がんばって成果を残せば店長になれるとか、商品開発を任せてもらえるとか……。社内にいろいろな部署や職種があるし収入面も安定するから、将来の人生設計が立てやすい。喫茶店を経営していたころは、そうはいかなかった。もっとも、社員が増えると企業理念を浸透させるのは大変ですが。

 同業の会社の中にはメディアに頻繁に取り上げられているところもあるけど、私はインタビュー取材を原則お断りしているんです。母校の高校から依頼された創立100周年講演も断ったぐらいですから。あまり勉強しなくても、社会に出てからがんばれば大丈夫と話したら、先生方から怒られるでしょ(笑)。中国には「有名無実、無名有力」という言葉があります。花を咲かせ実がなる木の根や幹は、だんだん弱ってくるもの。われわれはあくまで「無名有力」の生き方を目指していきます。

(インタビュー・構成/本誌・小林淳一)

【沿革】
1983年12月 株式会社ブロンコ設立
1993年6月 愛知県春日井市に自社工場を開設
1995年1月 株式会社ブロンコビリーに商号変更
2007年11月 ジャスダックに上場
2008年9月 東京都での第1号店を開店
2011年8月 東証2部、名証2部上場
2012年8月 東証1部、名証1部に銘柄指定
2013年3月 竹市靖公氏が代表取締役会長に、竹市克弘氏が代表取締役社長に就任
会社概要
名称 株式会社ブロンコビリー
設立 1983年12月
所在地 愛知県名古屋市名東区平和が丘1-75
売上高 180億円
社員数 490名、パート・アルバイト3,987名
URL http://www.bronco.co.jp/

掲載:『戦略経営者』2017年11月号