大方の予想を覆し、離脱派が勝利した欧州連合(EU)残留の是非を問う英国の国民投票。結果が判明するや世界的な株安が進み、日経平均株価も一時、1万5000円を割り込むなど市場に大きな衝撃を与えた。離脱の連鎖はさらに広がるのか、リーマンショックなみの経済危機は再来するのか。不透明な行く末を経営コンサルタントの小宮一慶氏が占う。
- プロフィール
- こみや・かずよし●株式会社小宮コンサルタンツ代表。1957年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業後、東京銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行。米ダートマス大学タック経営大学院留学、MBA取得。岡本アソシエイツ、日本福祉サービス(現・セントケア・ホールディング)を経て96年小宮コンサルタンツを設立。近著に『ビジネスマンのための最新「数字力」養成講座』(ディスカヴァー携書)、『知っているようで知らない、お金の貯め方・増やし方』(PHP研究所)など。著書は120冊をこえる
小宮一慶 氏
──今回の国民投票の結果をどう受けとめていますか。
小宮 多くの人たちと同じく、よもやEU離脱派が勝つとは予想していなかったのでとても意外でした。そもそも国民投票を提唱したのはキャメロン前首相で、自身の訴えた政策によって首相の座を追われるという皮肉な結果になってしまいました。
──選挙期間中、EU残留を主張する議員が殺害され残留派が優勢になるのではと予想されていました。こうした結果になったのはなぜでしょう。
小宮 多くの英国民が豊かさを実感できていないからではないでしょうか。一時の感情だけで1票を投じてしまうこわさが大衆にはあります。判断材料にしているのは以前より暮らし向きが良くなっているのか、あるいはまわりと比べて恵まれているのかといった事柄。同じことが起こっているのが米大統領選での〝トランプ現象〟ですよね。今回の国民投票では、英国民は生活実感が上向かない要因を移民問題やEUの政策に求めたわけです。
しかしながら、さまざまな経済指標を冷静に眺めてみると英国経済の状況は決して悪くありません。2016年4~6月期の国内総生産(GDP)は実質年率2.4%であるのに対して、EUの優等生といわれるドイツは1.7%、通貨ユーロ圏が1.1%です。直近3年間のGDPを見ても英国はドイツ、ユーロ圏を上回っています。それから失業率も英国は足元で2.2%ですが、ユーロ圏は10.1%ですから英国の方がはるかに低い状況です。
つまり、英国の経済状況をマクロ的に捉えると他のEU諸国より好調だったのは間違いありません。それでも大衆は経済指標などあまり気にとめないものです。
──国の進路が感情論に左右されてしまったと。
小宮 企業経営にも通じるところがあって、ほとんどの従業員は勤めている会社の数字を知りません。松下幸之助さんは会社の規模が町工場ほどだったころから、社員全員に売り上げや利益を開示していました。これはとても大事なことで客観的な数字を知らされないと、自身が恵まれているのか社員は実感できないわけです。
観光業に水を差す
──気になるのは日本経済への影響です。
小宮 英国に進出している日本企業は1380社ほどあり、数多くの部品メーカーが日立製作所、日産などの大手企業とともに拠点を構えています。短期的にはポンド安にふれているため、輸出環境は若干好転している面はありますが、中長期的には英国・EU間の自由貿易協定交渉の行方が大きな不安要因です。万一自由貿易協定が締結されないとEU域内への輸出品に関税が課されるため、EU向けの輸出基地にしているメーカーにとって少なからぬ影響がおよぶでしょう。
──英国に輸出拠点を置くメリットがなくなるわけですね。
小宮 ロンドンの金融街シティーには数多くの邦銀が現地法人を構えているので、資金調達面においてもメリットがありました。しかし、英国金融当局の営業免許によりEU域内で事業展開できる「シングルパスポート制度」が失われる可能性があり、金融センターを目指している独フランクフルトをはじめとして、金融機関の誘致合戦が始まっています。
他方、国民投票の結果を受けて円高が進んだため、国内観光業への影響も懸念されます。一時は1ドル=125円近くまで円安が進んでいたのが足元で2割以上円高にふれましたから、欧米からの観光客が減る可能性があります。人民元が安くなり、アジアに行くなら中国に行こうと考える人も増えるかもしれません。訪日観光客数は年々増加していますが、中国人による爆買いが下火になり百貨店の客単価は激減しています。
──中国などを経由した間接的な余波もありそうです。
小宮 中国の輸出相手国を見ると北米と欧州がそれぞれ18%台を占め、EU経済の影響は日本以上に波及しやすい状況にあります。その中国経済も鉄鋼などの過剰生産問題を抱えて減速気味ですから日本経済に悪影響をもたらす可能性はあります。
──英国のEU離脱によるプラス要素は何かありますか。
小宮 経済学では「リスク」と「不確実性」という言葉を使って現象を説明しますが、リスクとは経験上ある程度予測ができることを指すのに対して、まったく予測できないことを不確実性と呼びます。英国のEU離脱という事態は後者に当てはまるので、将来を見通すことは困難です。
もっとも、英国民は時計の針を戻す決断を下したわけですから、離脱によるメリットはあまり期待できないと思います。今起こっている現象に限っていうと円高がこのまま進めば、海外から原材料を輸入している企業の業績にはプラスに働くかもしれません。ただ、日本経済は基本的に輸出産業が下支えしているので、楽観はできません。
家計支出がポイント
──2020年の東京五輪開催を控え活性化している産業もあるようですが。
小宮 東京五輪の開催自体は私も賛成です。開催予算は最終的に2兆円を上回るといわれていて、東京都心部の景気は多少良くなるかもしれませんが、前回の東京五輪の時のように日本経済全体が浮揚すると見込んでいるとしたらそれは大きな誤りです。
もうひとつ心配しているのは、都心のマンションを中国人がたくさん購入している点です。「2020年までは大丈夫」というのが彼らの口癖で、裏返せば東京五輪開催までには売るということ。何らかのきっかけで一気に売却に転じるおそれもあります。節税や投資目的で都心のマンションを購入するなら、五輪開催後の方がいいかもしれませんね。
いずれにしろ、東京への一極集中が今後さらに進みます。都心部がバリアフリー化され住みやすくなれば、老後は地元に戻ろうと考えていた人も東京に住みつづけるかもしれません。地下鉄の整備や首都高速道路の拡充など将来も活用できるインフラを整備してほしいですね。小池新都知事の手腕の見せどころですが。
──不確実性が増している時代にあって、われわれはどんな経済指標を注視するべきでしょうか。
小宮 先に述べたように中国経済の成長率の推移と日本国内の家計支出の動向ですね。家計支出はGDPの6割弱を占めますが、消費税が8%に増税されて以降、長らく低迷したままです。家計支出が伸び大企業の業績が改善しないことには中小企業の景況感も上向いてこないでしょう。
それから9月20日の日銀金融政策決定会合でこれまでの金融緩和政策がどのように総括されるのか。日銀はマイナス金利付き量的・質的緩和を行っているわけですが、350兆円もの国債を買い入れています。日銀の資産額は米国の中央銀行である連邦準備制度理事会(FRB)の保有している資産とほぼ同額で、金融緩和策導入前のおよそ3倍以上にのぼります。明らかに異常です。バブルがはじけたように、異常な政策はいつまでも続くわけではありません。米国は年内に利上げすると思いますが、日本でも政策を正常な状態に戻す過程で金利が上昇する可能性があることを認識しておくべきです。
──最近、ヘリコプターマネーを実施すべきという主張をよく耳にします。
小宮 ヘリコプターマネーとは、中央銀行が大量の貨幣を市中に供給する政策をいいます。日銀は大量の国債を買い入れているので、実質的にヘリマネ政策を採用しているようなものです。このような政策が話題になること自体、いかに日本経済が追い詰められているかを示す証左です。安倍政権は第3の矢である実効性ある成長戦略を打ち出さなければなりません。
伊国民投票が分水嶺に
──英国では7月にテリーザ・メイ氏が新首相に就任しました。2017年にはフランス大統領選やドイツ連邦議会選が行われます。メイ首相は交渉相手が決まってからEU離脱申請を行うのではという観測もあり、離脱交渉は長期化が予想されています。
小宮 英国としては拠点を置いている企業の国外移転を防ぐためにも、できるだけ早期にEUと自由貿易協定を結びたいはずです。ただ、EUの基本理念はヒト、モノ、サービス、資本の自由移動を実現することですから「移民だけはお断り」という、いいとこどりはさせたくない。前例をつくってしまうと他国が追随するおそれもあります。
直近の政治イベントで最も懸念しているのは10月にも行われる予定のイタリアの国民投票です。憲法改正の是非がテーマで、上院議員の削減や予算承認権限の廃止など上院の権限を大幅に縮小し、政権の安定化をねらいにしています。レンツィ首相は憲法改正案が否決された場合は辞任し、結果のいかんにかかわらず2018年に総選挙を行うと表明しています。
イタリア国内では「五つ星運動」というポピュリズム政党が台頭していて、6月に実施されたローマ市長選で五つ星運動の女性候補が圧勝しました。その主張の筆頭がEU離脱なのです。イタリアの経済状況は銀行が大量の不良債権を抱えており、かんばしくありません。もし、五つ星運動が政権をとるようなことになれば、ユーロ圏崩壊の危機を迎える可能性もあります。
つまるところ国民投票はレンツィ政権に対する信任投票になるとみています。
──各国が内向きになってEUの理念が揺らいでいるわけですね。
小宮 日本にいるとあまり実感できませんが、欧州ではテロの脅威が身近にあるため、内向きになるのは仕方ない面もあります。今後は自由貿易協定などの多国間交渉は進展しづらくなるのは間違いありません。環太平洋経済連携協定(TPP)承認の見通しも微妙で、米大統領選でクリントン氏も大衆受けをねらって脱退を主張しています。今のところクリントン氏が優勢ですが、大統領に就任すれば主張を覆す見込みもあります。日本の農業を強くするためにもTPPは導入すべきだと思います。
──経営状況を社員にオープンにするのが重要だという指摘がありました。会社の規模を理由に自社の数字をあまり公にしたがらない経営者も中にはいます。
小宮 おそらく見られたくない数字が含まれていたり、やましいことがあるからでしょう。当社では会員企業向けにセミナーを開催していて会員数は400社ほどにのぼります。そのほとんどは中堅、中小企業で、一代で上場を果たしているなど、これまでさまざまな経営者と接してきました。成長できない会社は不正とまでは言いませんが、会社のお金を公私混同していることがとても多い。社長が私的に使い込んでいたら、従業員はなぜ働かないといけないのかと思うじゃないですか。公私混同せず全てオープンにしたほうが会社は成長します。成長してたくさん報酬をもらえばいいのです。まっとうに得た報酬であれば使い道に誰も文句は言いません。
※インタビュー実施日 2016年9月5日
(インタビュー・構成/本誌・小林淳一)