「開放(休眠)特許の活用」が日本の産業界、とくに中小企業の活性化に効果があると言われはじめて久しい。しかし、遅々として進んでいないのが実態だ。そんな状況に風穴を開けようとしているのが富士通である。行政や金融機関、大学などを巻き込みながら、開放特許活用を大きなムーブメントにしようとしているのだ。主導する同社法務・コンプライアンス・知的財産本部ビジネス開発部の吾妻勝浩部長に話を聞いた。
吾妻勝浩 氏
――年間、どれくらいのライセンス供与を?
吾妻 年平均で5~10件くらいでしょうか。対象はほとんどが中小製造業です。企業特許は、大学などの特許と比較すると即効性のある技術が多く、ふたを開けて中身を見せてあげれば、翌日から中小企業がものづくりに生かせるといった類のものが多くあります。供与技術によるライセンシーの収益目標は1000万円/年~1億円/年においています。年商でいえば数千万~数億円の中小企業が確実に収益を見込めるビジネスづくりを想定しています。
社長の心のハードルを下げる
──もともと技術者でいらっしゃったとか。
吾妻 入社後、通信応用システムの設計開発を10年、それから自治体の情報システムの営業支援を10年担当し、2004年に当時の「特許渉外部」に配属されました。
──そこで中小企業への特許ライセンスビジネスを手がけられたわけですね。
吾妻 はい。しかし最初は苦労の連続でした。大企業の「特許渉外部」という堅い肩書きの名刺を出すと、警戒されるわけです。「技術を盗まれるのでは」と。
──意図はまったく違うのにもかかわらず……。
吾妻 そうなんです。当社には約9万5000件の特許がありますが、それらを維持するだけでも大変な費用になります。だったらそれを活用して、得られたロイヤルティーを再度研究開発に回せばいいし、中小企業の底上げにつながれば社会貢献活動にもなる。そういう意図のもとにスタートしたのですが、実際には、「何か裏があるのでは」と見られてしまう。
──どうされたのですか。
吾妻 まずは経営者の心のハードルを下げる必要がありました。方法は大きく2つ。1つは、その開放特許を活用して創出したビジネスの出口戦略をライセンシーと一緒に考えること。われわれは、ある程度出口戦略を固めてからライセンスを供与します。2つ目は、その出口戦略を推進する場合、地方自治体や金融機関、あるいは産業振興財団などのコーディネーターとコラボして動くことです。
──具体的には?
吾妻 経営者の意図をよく理解して、そこに合致した特許を選択すること。それから商品開発はもちろん販売戦略やマーケティングの相談にものり、場合によっては当社事業で必要な製品であれば当社自身が購入する。とはいえ、当部署はわずか3人ですから、われわれの力だけでは出口戦略まで十分にお世話することはとうていできません。だからこそ自治体など外部機関の協力が必要なのです。
──地方自治体と協働するというアイデアはどこから?
吾妻 われわれがこの事業をスタートした当初、当社本店がある川崎市内の中小企業100社に、案内の手紙を出しましたが、反応はゼロでした。まったく信用されてなかったんですね。ところがその後、2007年のことですが、川崎市経済労働局の職員様が来社され、「川崎の中小企業のために技術を開放していただけないだろうか」というお話をいただいたのです。これは渡りに船でした。以降、当社と川崎市と川崎産業振興財団の3セットで中小企業に訪問しはじめました。その時点より成果が現れ、現在まで、川崎市では16件の開放特許による事業を創出しています。
二輪駆動から四輪駆動へ
──それが、いわゆる「川崎モデル」というわけですね。
吾妻 いまや、北海道から九州まで多くの地方自治体が大手企業との知財マッチング事業を推進しています。川崎モデルの特徴は、やる気のある中小企業への支援を全力で行う事。とても良いおせっかいな活動です。
それから重要な役割を果たすのが信用金庫などの地域金融機関です。われわれは、信用金庫の支店長様を集めてもらい、知財活用の勉強会を無償で行ったりしています。支店長が当該活動を理解するとその配下の若手が動けるようになります。われわれがたった3人でムーブメントを起こせたのは、これらの方々が地域で動いてくれているからです。地域金融機関は地元の中小企業の盛衰が自社の存立にかかわってきますからね。真剣にやってくれます。
──地域全体で取り組めと。
吾妻 図表(右)をご覧ください。特許がエンジンだとすると前輪がライセンサーと中小企業。これが従来型のライセンスビジネス。ところが、後輪に自治体・金融機関とコーディネーターを配置すれば安定した四輪駆動車になる。こうなればとたんに動き出します。中小企業経営者への安心感と、なにより情報量が違ってきますから。それとアイデアもどんどん出てくる。
──大学も巻き込んでおられると聞いています。
吾妻 2012年に専修大学経済学部と連携し、当社の5件の特許を題材にビジネスを考えてもらいました。ここまではよくありますが、その後が違います。産業振興財団や信用金庫にライセンシー候補の中小企業を紹介してもらい、そして実際にその会社にみんなで訪問するわけです。財団職員や信金マンは地域の情報を豊富に持ってますからたとえば「抗菌技術ならあの会社だよね」などと即断できるし、社長の性格まで把握しています。そこで社長から「ここをこうして」などと注文が出たらしめたもの。6カ月後に発表イベントを行ったのですが、そのときにはすでに水面下で事業化が決まっていたものもありました。
──ほかの大学にも広がりつつあるとか。
吾妻 翌2013年には埼玉大学経済学部と連携して同様のイベントを行いました。このときは、NHKの首都圏ネットワークで学生の取り組みが放送され、NEWSLINEで世界140カ国に配信されました。さらに翌年には西武信金様に取引先を集めていただき全国大会を中野で開催しました。たとえば横浜国立大学は、当社の集音マイク技術を使って大きなコンサートホールのソロ演奏者の録音をうまくできるシステムをプレゼン。実際に学生がクラリネット演奏をプレゼン内に取り入れたすばらしいものでした。ちなみに新年度の全国大会は昨年以上の大学が参加の予定です。
──川崎モデルのほかに埼玉モデルもあると聞いています。
吾妻 埼玉モデルとは、特許を核とした商品アイデアをインターネットで募集し、それをバイヤーなどの目利きが評価・推奨。それ以後は川崎モデルと同様に進めていきます。ここでもすでに成果がでつつあり、ほかには「札幌モデル」という海外(ロシア・モンゴルなど)への売り込みを前提としたプランもあります。
研究者にも好影響が
──富士通としてのメリットは?
吾妻 多々あります。まず、事業として黒字であること。ロイヤルティーや契約一時金をいただくので、ライセンシーとはあくまでウィンウィンの関係ですし、協力者がたくさんいるのでコストもそれほどかからないのです。それからこの事業そのものがマイケル・ポーターのいうCSV(共有価値の創造)を実現していること。社会価値と企業価値を同時に創り出している。そして大きいのが、研究者たちのモチベーションアップです。研究成果が活用されないことほど研究者ががっかりなことはありません。社外とはいえ活用・製品化されれば、モチベーションはまったく違ってくる。さらにいえば、高い技術力を持つ中小企業とのつながりを保つことで、将来的には共同事業へと踏み込んでいけるかもしれません。
──これまでどのような成功事例がありますか。
吾妻 光触媒の技術では大ヒット商品も出ています。もともとはキーボードなどを抗菌する技術だったのですが、それをマスクやまな板、ボールペン、カーペットなどに応用して、それぞれヒット商品になっています。とくに「吸着分解マスク」は2008~9年のインフルエンザ騒動の際には約数百万個売れました。また、「拡大視認装置」はプリント基板の異常を自動で見つけて拡大する技術なのですが、当時使用していた装置が古くなり、ライセンスを川崎市の製造業に供与して製作してもらうことにしました。当社はこの製品を数十セット購入しています。これも、出口戦略を見据えたライセンス供与といえるでしょう。
──今後は?
吾妻 よく、「なぜ富士通さんだけが開放特許の供与で実績を上げることができるのですか」と聞かれるのですが、われわれは地道に地域の関係者と中小企業を回りライセンシー候補と会話しているだけです。そんな現場重視の泥臭い活動を今後も続けていくつもりです。
(インタビュー・構成/本誌・高根文隆)