気に障る、堪忍袋の緒が切れる、ブチ切れる……「怒り」を意味する言い回しは多い。その怒りをコントロールする手法として「アンガーマネジメント」という考え方が注目を集めている。ビジネス、日常生活につきもののやっかいな感情に冷静に向き合うには──。

プロフィール
まつむら・せいや●東証1部上場コンサルティング企業で営業職に従事、北海道東北地区を担当しトップセールスの成績を収める。その後教育事業会社の立ち上げに関わり、学校、学習塾向け教育プログラムを開発。大手塾のチェーンマネジメントに携わるほか、経営者、講師向けに「指導法」をテーマとした研修も行っている。
松村聖也氏 日本アンガーマネジメント協会 第一支部 代表取締役

松村聖也 氏

──日本アンガーマネジメント協会の公認ファシリテーターとして活躍されていますが、日ごろの活動内容を教えていただけますか。

松村 簡単に経歴をお話しすると、以前はコンサルティング会社に籍をおき、中小企業の経営戦略策定、従業員教育のコンサルティングを行っていました。学校で学ぶことと社会に出てから必要とされる能力のギャップに悩む学生たちの支援をしたいと思い、教育事業会社の立ち上げにも携わりました。
 ファシリテーターの活動としては、学校の先生方にアンガーマネジメントをテーマにした講演を行ったり、アンガーマネジメントを教えていただける指導役の教員の育成を手がけています。体罰問題がクローズアップされるようになってから、教師にかかるストレスの負荷は一段と高まっていると感じます。

──松村さんのような公認ファシリテーターは何名ぐらいいるのでしょうか。

松村 約500名のファシリテーターが全国で活動しています。2日間の指導者養成研修を受講し、資格を取得した後は、各自研鑽を積み研修会等を開催しています。看護師や介護福祉士、教育関係者など、さまざまな業界の人が資格を保有しているのが特徴です。 

怒りの正体「べき」

──そもそもアンガーマネジメントとは、どのような考え方なのか教えてください。

松村 アンガーマネジメントとは怒りの感情を配分することを意味する、米国発の考え方です。誤解されていることが多いのですが、仏様のような怒らない人になりましょうと言っているわけではありません。怒る必要のあることとないことをしっかり区別できるようになるのがアンガーマネジメントの目指している姿です。

──怒りを無理に抑えこむ方法ではないわけですね。

松村 怒りは人間にとって自然な感情のひとつであり、完全に消し去ることは不可能です。怒りの裏には不安や嫌悪、むなしさなどの1次感情が潜んでいて、それらがコップの中に満ちあふれてしまったとき、怒りという2次感情となって表れるとアンガーマネジメントでは考えます。

──人が怒る際には、引き金となる出来事があります。

松村 私たちを怒らせる原因は人にあるのでしょうか、それとも物事でしょうか。実は怒りの正体は「べき」という考え方にあります。会社はこうあるべき、部下はこう振る舞うべきといった自分が考える理想と現実の間にギャップを感じると人は怒るものなのです。「べき」は図表3(『戦略経営者』2014年12月号P73図参照)のように3つの境界に分けられます。すなわち、自分の考え方と同じ(①)、少し違うが許容できる(②)、自分と違う、許容できない(③)というエリアがあり、人が怒るのは③の状態に至ったときです。

──怒りの原因が「べき」という思いにある点は腑に落ちました。②の領域を広げる努力をするべきなのでしょうか。

松村 許容範囲を広げるためには、自分と少し異なる価値観をもつ人と交流するのがいいと思います。許容範囲の狭い人は頻繁に怒ってしまうと同時に、自分が怒られたりクレームを浴びせられたときにその理由がわからない。②の領域を広げるより、気分や好き嫌いで怒っていると受けとめられないためにも、境界線を安定させることのほうが重要です。無理をして許容範囲を広げてしまうとストレスが増し、1次感情のコップに不満を注ぐことになりますから。

怒るときのNGワード

──企業経営にアンガーマネジメントが有効だと考えたきっかけをお聞かせください。

松村 コンサルティング活動を通して企業経営者から最も寄せられた悩みは、人材育成に関することでした。言い換えると、いかに社員がやる気を持ち成果を生む仕組みを整えるか。マネジャー層には企業経営とは、あるいは仕事とはこうあるべきという強い思い入れがあるものですが、目指している企業像やあるべき社員の姿を必ずしもうまく部下に伝えられていない。一方、社員一人一人にも自分の考えがあり、両者の間には隔たりが存在します。そのギャップにストレスを感じ、いっときの感情にまかせて部下を責めても事態は好転しません。人が育たないことへの焦りが1次感情として蓄積され、新たな怒りが生まれるという負のスパイラルに陥る経営者もいます。したがって怒りをうまくコントロールすることは、経営者にとって必要なスキルなのです。

──確かに記者会見などの公の場で、感情を爆発させる経営者をたまに見かけます。

松村 以前、食中毒事件を起こしたある焼き肉チェーン店の社長が謝罪会見で、納品業者が悪いと言わんばかりの発言をして非難を浴びたことがありました。のちに土下座で謝罪することとなり、ついには営業停止、廃業に追い込まれました。怒りを適切にコントロールできないがゆえに発してしまったひと言で、会社の評判や価値を大きく損ねた例は枚挙にいとまがありません。

──経営幹部層の「べき」のハードルはおのずと高くなりそうです。

松村 ありがちなのは「べき」のハードルを社員誰もが理解できる具体的な基準として提示できていないケースですね。たとえば売上目標を達成できなかった営業担当者に対して「販売商品に対する思い入れが足りない」とか「商品にもっと愛情を持て」などと漠然と伝えがちです。言いたいことはわかりますが、熱意や愛情を持っているとはどんな状態を指すのか明確に示す必要があります。職場の同僚と商品について2時間語れるとか、たとえ自腹で商品を購入しても惜しくないとか、状況を明示した方がいいでしょう。

──明確な基準を例示するのが大切だと。

松村 部下に仕事の進捗状況の報告を求めるとき「適宜報告してほしい」と伝えても、適宜という言葉の解釈は人によって異なります。それを「○時に」とか「○○時まで」と明確に決める。ルールに逸脱したらその場で怒ればいいわけです。

──ここは怒らないといけないという場面では、どんな点を心がけたらよいでしょう。

松村 最近では怒ると落ち込んでしまう部下が多いとか、誰からも怒られずに管理職についてしまい、怒り方がわからないといった相談をよくいただきます。怒るときはその理由、ルール、目的の3つが明らかになっているか、まず自らに問いかけてみてください。
 そして使うべきでない言葉がいくつかあります。例を挙げると「いつも」とか「必ず」などの言葉。「いつも遅刻する」「必ずミスする」といった表現を用いると、以前から思っていたことを殊更蒸し返しているように感じられ、相手のモチベーションを下げるだけ。無駄にエネルギーを使ったことになり、後悔につながります。後悔の感情が1次感情のコップに注がれ、やがて次の怒りを生むという悪循環に陥るので注意してください。

エネルギーに転化させる

──コップの中に貯まった1次感情をリセットすることはできるのでしょうか。

松村 私自身が実践している気分転換法は、一人の時間を設けることです。仕事中は常に誰かと接していますし、自宅に戻れば家族がいて一人の時間がなかなかとりづらい。帰宅する前に喫茶店等で30分ぐらい本を読んだり、パソコンに向かったりしてリフレッシュすることを意識しています。

──アンガーマネジメントを活用し、成功を収めている著名人もいるとか。

松村 米国のプロスポーツ界ではアンガーマネジメントが広く取り入れられていて、アメリカンフットボールの新人選手はアンガーマネジメントの講習を受けることが義務づけられています。試合中にカッとなって退場となったり、プライベートで暴力沙汰を起こして引退に追い込まれたりするのを防ぐためです。アメフトの選手寿命は一般的に4年といわれ、その間に一生過ごすことのできる収入を稼がなくてはなりませんから、キレてしまって反則を犯すと取り返しのつかないことになってしまいます。
 プロテニスプレーヤーのロジャー・フェデラーもアンガーマネジメントを学んでいると言われています。テニスは精神面が不安定になるとスコアが一気に崩れることがあり、熱くなりやすかった気質を改善するのに役立てているようです。日本では去年からアンガーマネジメントを学び始めたプロゴルファーもいます。ゴルフもテニス同様、メンタルが勝敗を左右するスポーツなので、ラウンド中の怒りをコントロールする方法を学び、去年久しぶりに優勝できたそうです。

──ご自身でアンガーマネジメントを実践されてみて効果のほどはいかがでしょうか。

松村 妻と感情的に言い合いをすることがだいぶ減りました。カチンとくるようなことを言われたとき、反射的に言い返して、お互い言い過ぎたと感じつつ謝らないという状況がしばしばありましたが、アンガーマネジメントを学んでからは何に対して腹を立てているのか、相手の1次感情を気遣えるようになりました。

──怒りという感情は扱うのが難しい分、うまく付き合う必要がありそうですね。

松村 怒りというとマイナスイメージのある言葉ですが、ときに怒りの感情は物事を成し遂げるモチベーションにもなります。先日ノーベル物理学賞を受賞した中村修二・米カリフォルニア大教授は、怒りが発明の源泉だったという話をしていました。恨みを晴らすという考え方ではなく、結果で見返してやるという思いに怒りを転化できるといいと思います。

(インタビュー・構成/本誌・小林淳一)

掲載:『戦略経営者』2014年12月号