政財界の要人が世界中から集まる国際カンファレンスやコンベンション──その表舞台を裏から支えるプロフェッショナル集団として絶大な信頼を得ているのが、シェアトップを独走するコングレだ。昨年社長に就任した武内紀子氏に、経営戦略や業界の将来性などについて聞いた。

プロフィール
たけうち・のりこ●1986年大阪大学人間科学部卒業後、コンベンション企画運営会社勤務を経て1990年にコングレの設立に参画。2001年取締役営業企画部長、2005年常務取締役、2011年代表取締役専務を経て、2013年6月に代表取締役社長に就任。
武内紀子氏 コングレ 代表取締役社長

武内紀子 氏

──国際会議や学会などの運営を専門的に行う企業があることをはじめて知りました。

武内 よく「そんな仕事があるんですね」と言われます(笑)。世界的にはプロフェッショナル・コングレス・オーガナイザー(PCO)という業態になりますが、国際会議やコンベンションの企画運営を専門的に手がける分野に限っていえば、おかげさまでシェアは首位です。ここ数年、経済界のなかで聞かれるようになったMICE(マイス)ということばでいえば「C」の部分ですね。最近では人材派遣や、文化施設、カンファレンス施設の運営など事業領域を広げつつありますが、看板事業はいまでも「コンベンション運営」です。

──そのMICEですが、経済活性化策として最近注目を集めつつあります。

武内 訪日客の増加にともなう消費や人的な交流の促進、学術的な貢献などを考えると日本経済の活性化策として非常に効果的だと思います。日本は少子高齢化で内需拡大への期待は薄いですが、政府は何とか海外の活力を国内に招き入れて活性化につなげたいと考えているようです。地方自治体のなかでも、MICEを積極的に誘致しはじめるところも見られるようになりました。修学旅行生よりも各国のオピニオンリーダーの方が使うお金は確実に多いでしょうからね。1964年に日本で初めて国際通貨基金・世界銀行年次総会(IMF世銀総会)が開かれたときの大蔵大臣だった田中角栄元首相は、国際会議の開催を「100の見本市に勝る」と言ったそうですが、これは核心を突いていると思います。各国中央銀行や投融資を担う団体のリーダーが大挙してくる場が、日本の姿をアピールする絶好のチャンスであるということをよく理解していたのだと思います。

──歴史に名を残すような国際会議も多数手がけられていますね。

武内 やはり首脳会議をオペレーションする政府系の仕事や国際機関の要人が集まる会議の認知度は高いですね。2008年の北海道洞爺湖サミット、2012年に東京で開催されたIMF世銀総会、2005年に沖縄県で開催された米州開発銀行(IDB)総会などはいずれも代表的な業務といえます。

──具体的な業務の範囲について教えてください。

武内 政府系の仕事でいうと、当該官庁にコンベンションの企画提案をし、総合評価や企画コンペ、入札を経て当社が受託できるかどうか決まるわけですが、仕様書の作成から仕事を行うこともあります。実際に受注が決まった後は、IMF世銀総会の例でいうと会場の設営やパーティーのアレンジ、アトラクションの企画、宿泊先の手配──このときは188カ国の事務スペースをつくるため帝国ホテルを全館貸し切りました──、それから会議の円滑な進行に協力してくれるボランティアの募集も当社の仕事です。大規模な会議ではボランティアへの取り組みが盛んになってきましたが、スタッフが面談し各人の配置を決め、事前の研修や当日のオペレーションを行います。またバスやハイヤーの手配も重要な業務のひとつ。セキュリティー面では警備会社と協力して金属探知機の設置などを行いました。
 会議の運営だけではありません。日本側としてはなんとか自国の効果的なアピールをしたいと考えていたので、政府をサポートして企業見学ツアーをアレンジするなど、日本の「おもてなし」や、ものづくりなどの長所をPRできるような事業の企画も担当しました。そのほかメディアセンターの設営や運営など広報の業務も行うので、まるでひとつの会社を立ち上げたような感じになります。期間終了ですぐに解散になってしまいますが(笑)。

成長を実感できる仕事

──準備期間はどれくらいですか。

武内 会議の内容によってまちまちですが、IMF世銀総会のケースでは通常3年ほど準備期間があります。3年のうち2回は本部のあるワシントンで行い、1年を海外でするという決まりになっているからです。ところが2012年の総会では「アラブの春」の影響を受けてもともと予定地だったエジプトでの開催が中止に。そこで大震災からの復興を世界に示す意味合いをこめて代替地として日本が手を上げたのですが、それが決まったのが開催前年の2011年の6月のことでした。国際会議の実績が豊富なこともあり最終的にコンペで当社が受託することになりましたが、実質的な準備期間は1年もなく大変な緊張でした。首脳会談が急きょ組まれることもある政府系の業務は、2~3週間前に発注があるといったこともままあります。

──緊急事態に常に備える必要がありますね。

武内 期限に追われ、国際機関の会議などでは予定が直前になって変更されることもたびたびあるなど、かなりハードでストレスのたまる仕事だと思います。しかし一方で、現場のスタッフ一人ひとりにまかされる裁量の範囲が大きく、「成長したな」と実感できる瞬間がこれほど多い仕事もあまりないのではないでしょうか。無事に会議を終え、お客さまから感謝されたときは疲れが吹き飛びますね。
 また財務省の審議官などの要職を務め、私たちが運営した2012年のIMF世銀総会の事務局長を務めていた仲浩史氏が今年の春に世界銀行の副総裁に就任したのですが、急きょ決定した日本での総会を成功に導いた手腕が評価の要因のひとつだったそうです。裏方の私たちとしてもこれはとてもうれしかったですね。

──医学会議にも強いとか。

武内 国際眼科学会を今年の4月に東京で開催したのですが、過去最大規模の2万人が参加する史上まれにみる規模の学会になりました。通常国際医学会の参加者は数百人、大きなものでもせいぜい2000~3000人程度に収まることを考えると異例で、国際学術会議でこれだけの人を集めたのは、1万3000人規模だった94年の国際エイズ会議以来だと思います。あまりに多くの参加者が来日したため東京都内の外資系ホテルが軒並み満室になってしまい、横浜から通うことを余儀なくされた方もいらっしゃいました。ちょうど桜の時期と重なるように計画が立てられたのがよかったのかもしれません。

自社施設を大阪にオープン

──この業界に入るきっかけについて教えてください。

武内 大学生のとき、学内掲示板にあったアルバイト募集に応募したのがきっかけでした。大学内の教室を使用した学会の補助業務でしたが、そのときはじめて医学会や国際会議で働くという選択肢があることを知ったのです。その後就職活動でなかなか自分にぴったりの会社がなく悩んでいたところ、たまたま会議運営の専門企業の採用試験に通り、入社を決めました。

──はじめはどんな仕事を?

武内 この業界はどうしても繁忙期になるとほとんどの人間が現場に駆り出されてしまいますので、そうした繁忙期に運営以外の業務がストップしないよう、営業全般をカバーする仕事をしていました。また入社した会社は関西地区の医学会を中心に手がけていたのですが、ちょうど官公庁や行政、財界(関西)向けの仕事を開拓しようとしていた時期で、そうした新しい分野の業務も任せてもらえました。担当した仕事の主なものに、大阪で開催された花の万博(国際花と緑の博覧会)があります。

──4年間経験を積んだ後にスピンアウトし、90年に創業メンバーとしてコングレを設立したわけですが、当初はかなり苦労されたのでは?

武内 コンベンション運営は、企業の信用だけでなく、「あなただからお願いするよ」というような個人への信頼で発注することも多い仕事です。そうした昔からの人間関係を頼りに営業活動をしていましたが、91年春に京都で行われた日本医学会総会と名古屋で開催された米州開発銀行年次総会の仕事で、ようやくみなさんに認めてもらえたと思いましたね。それぞれ非常に大規模でグレード感の高い会議でしたが、少ないメンバーにもかかわらず同時並行でやり遂げことを各方面で評価いただき、その後会社の信用力がぐっと高まりました。

──国際会議だけでなく水族館の運営もされているとか。

武内 大阪市の水族館「海遊館」で施設運営を担当させていただいたのがきっかけです。コンベンションの運営に関してはスタッフの役割が大きく、そうしたおもてなし系サービスのノウハウが蓄積されてきていたため、当社では「本物のハードに本物のソフトを」というキャッチフレーズを掲げていました。そのねらいがぴったりはまったのが各種文化施設の運営だったのです。当時は警備会社が受付を担当するのが常でしたから、テーマパークとまではいかないもののもう少し能動的なサービスを提供していく「プラスアルファのある施設運営」をアピールしたところ、92年に名古屋港水族館から運営を受託、その後次々と全国からお声をかけていただくようになりました。いまでは全国80~90カ所の文化施設と何らかの関係を持たせていただいています。

──提案力を強みとしているということですね。

武内 はい。医学関係、政府系会議、団体系会議の経験値があり、リスク管理体制がしっかりとしていること、企画アイデアが豊富なこと、担当ディレクターの提案力が高いことが当社の強みですね。たとえば近年東京都では、ビルを建築する際に交流施設をもうければ容積率を緩和する「育成用途」と呼ばれる制度の活用が推進されていますが、その使い方についてのコンサルティングや受託運営をするケースが増えています。また指定管理者制度の普及で地方自治体の交流施設の管理運営の仕事も伸びているほか、各種イベントや展示の自主企画を手がける機会も増えてきました。事業領域を受託型から自主的な企画型に広げつつあるのが現状です。

──最近ではついにコンベンション施設の自社運営にまで乗り出しました。

武内 JR大阪駅北口の再開発エリア、グランフロント大阪に2013年5月、3000名級の会議に対応した大型コンベンション施設「ナレッジキャピタル コングレコンベンションセンター」を開設しました。駅から至近距離にあり情報発信機能や集客に大きく貢献するとして私たちが以前から提案していた計画案が採用されたもので、自社で設計施工にも関わった初の施設になります。これまでのビジネスモデルと異なり地域に根差した活動が求められますから、運命共同体として街とともに発展していけるような仕事を重ねていきたいですね。

(インタビュー・構成/本誌・植松啓介)

会社概要
名称 株式会社コングレ
設立 1990年6月
本社 東京都千代田区麹町5-1
弘済会館ビル6階
TEL 03-5216-5551
売上高 134億円(2014年3月期)
社員数 290名(契約社員約1400名)
URL https://www.congre.co.jp/

掲載:『戦略経営者』2014年10月号