下請けや卸売に特化していた企業にとって、BtoC事業への新規参入は魅力的な選択肢のひとつ。商品やサービスを一般消費者に直接販売できるため企業間取引のBtoBに比べ利益率が高く、アイデアと工夫次第で新たな市場の創造も見込めるからだ。一般消費者向け事業を軌道に乗せた中小企業を取材し、その成功の秘訣を探った。

 「ブリックハウス」のブランド名などでシャツ専門店を全国展開する東京シャツ。主に2,800~3,800円の手頃な価格帯のシャツで売り上げを伸ばし急成長中の企業である。直営店舗数は全国で200を超え、販売するシャツは年間350万枚を数えるというからすごい。最近では著名人や有名キャラクターを起用したキャンペーンで会社自体の認知度も急速にアップ。売上高がここ10年で4倍に拡大した、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの会社である。

 しかし実はこの直営小売店の全国展開というビジネスモデル、1949年にスタートした会社の歴史からいえばごく最近の出来事でしかない。長引くデフレ経済下で利益を出すのに四苦八苦していた同社を再生するため、起死回生の一手としてBtoC事業参入に踏み切ったのである。結果的にその選択が大当たりすることになるのだが、会社の浮沈をかけた英断を下した鈴木正利社長は当時の状況についてこう振り返る。

 「当社はそもそもワイシャツを主に百貨店に納入する製造卸でしたが、石油ショック後からずっと業績はかんばしくありませんでした。百貨店の成長率が鈍化したため納入掛け率のダウンや委託販売商品の返品増がわが社を直撃し、ほとんど利益が出ない状態になっていたのです。売り上げと同じくらいの借入金があり、金利を払うためにだけ働いている感じでしたね。従業員も毎年流出してしまうありさまでした」

 もちろん、百貨店相手の商いが低迷するようになったからといってすぐにBtoCに切り替えられるというものでもない。実際同社も、新しい生産システムを導入し最後の最後まで手を尽くした。

 「それまで大きなロットでのビジネスが主でしたが、だんだんと消費者の好みが多様化してくるのに応じて『小ロットかつ短期間で製品を供給しほしい』という百貨店側からの要望が強くなってきました。そこで当社は、業界ではじめてトヨタのかんばん方式を縫製工場で導入し、仕掛在庫の削減を通じたより効率的な経営を目指したのです」

 多品種小ロットの生産で威力を発揮したこのトヨタ・ソーイング・システム(TSS)だが、万事解決をもたらす救世主になるにはさすがに荷が重かった。

 平均25億円前後だった当時の売上高は横ばいのままで、目標に掲げていた30億円に届く見通しはまったく立たなかったのである。「利益が出ず従業員にまともな賞与も払えない状況」(鈴木社長)を抜け出すことはできなかった。

SPAへ業態転換

 こんな最悪の時期にトップに就任したのが、鈴木社長である。そして利益を出せる会社に生まれ変わるための戦略として真っ先に掲げたのが、製造から小売りまで一気通貫で提供するSPA(製造小売業)への業態転換だった。取引先の小売店が販売する商品と、消費者が求める商品との間にギャップが存在する事に気付いたからである。

 「営業担当の時代に百貨店の店頭に立ってシャツを販売する機会も多く、お客さまの生の声を聞けたことで需要の変化を直接感じることができたのが大きかったですね。日本全体がデフレ経済に入り、製品単価も下落していった当時、『ブランド品だからこんなにシャツが高いんでしょ』とよく言われたものでした。また海外のスーパーブランドのシャツを販売していたときには、『これと全く同じ縫製と生地でネームだけ外したものがほしい』というお客さまが出始めたことに驚いた記憶もあります。つまり消費者がブランドに対して抱く価値観がかなり希薄になってきたのです」(鈴木社長)

 ブランド品はいらないから安くて良いものがほしい──消費者の要求は変化しているのに、小売りの側がタイムリーにそれをとらえているかというとそうではなかった。百貨店のディスプレーに並んでいる商品は、「海外ブランドでいいものだと10,000円以上、ボリュームゾーンで6,000~7,000円」(鈴木社長)と相変わらず高めの価格帯だったのである。自分は消費者の求める商品を知っているのに、取引先はそれを売ろうとしない。であれば自らの手で品質の良いものをできるだけリーズナブルにお客さまに提供しよう、と鈴木社長が結論づけたのも当然といえば当然のことだった。しかも当時はまだシャツ専業の製造卸で小売展開を仕掛けるような企業はなかった。成功すれば先行者利益も狙える。

 「同業他社は、ほとんどが売上高100億円以上でわが社より大きな企業ばかり。そうしたなかで同じようなシャツを同じようなスタンスで同じような小売店に卸していてもはっきりいって勝てません。人・モノ・カネに使える基礎体力がすでに違いますから。だからといって当社がシャツ以外で何ができるかというと何もできない。コンペティターと同じ土俵で戦っても勝てないなら、直接エンドユーザーに販売していくしかないと考えたのです」(鈴木社長)

口コミでリピーター獲得

 直営店のコンセプトでとくにこだわったのは、トレンドを意識した高感度な商品の品ぞろえ。鈴木社長は実用品としてだけではなく、おしゃれの楽しみを満たす商品としてのシャツの地位を確立させたかった。

 「当時百貨店ではブランドもののベーシックなシャツが主流でしたが、色や柄、スタイルでトレンドを大胆に取り入れたファッション色の強いシャツをそろえたのです。しかも価格はできる限り買いやすい値段にする。一方、『安くてオシャレだけど品質が良くないね』では困りますので、品質には細心の注意を払いました。もっとももともと百貨店と取引していたので品質管理には自信がありましたが」

 こうして「高品質」「高感度」「値ごろ感」の3つのコンセプトを掲げスタートした小売り部門だが、なにせ直営店舗の運営経験は皆無。販売員の教育、売り上げデータの取り方、生産依頼の書き方などなにもかもゼロから仕組みづくりをするしかなかった。そんな試行錯誤の毎日で鈴木社長が最優先したのは、いかに来店客を増やすかということだった。

 「『売れるものを作ろう』という発想はひとまず脇に置き、どうしたらお客さまが店の中に入って来て商品を手に取ってくれるか、ということをまず考えたんですね。いろいろな商業施設をまわって研究に研究を重ね自分たちの店舗のスタイルを固めていきました」

 黄色や真っ赤などびっくりするようなビビッドな色使いのシャツを店頭の一番目立つ位置にディスプレー。何気なくシャツを見て興味を持った買い物客に「この価格と品質でこんなにオシャレなシャツが買えますよ」というメッセージを込めた。また扱うアイテムはあくまでシャツをメーンとし、ベルトやネクタイなどの派生商品の割合は3割を超えないようにした。シャツ専門店というブランドイメージを顧客に強く印象づけるためである。

 シャツそのものの見せ方にもこだわった。日本ではそれまでビニール製の袋に入れたまま販売するのが普通だったが、同社は袋から出し裸のまま陳列したのである。「汚れる」「B級品ばかりになってしまう」という社内での反対意見を押し切って鈴木社長が導入した試みだった。 「お客さまは実際に触る事ができますし商品の見栄えもいい。イタリアなど海外ではこれが一般的で、日本でも今ではどの会社もこのやり方を取り入れています」

 こうして経営トップが「俺が先頭に立ってすべての責任をとる」と言い切ってはじめた直営小売店。買い物客が入りやすい店舗づくりを意識した結果、売り場面積8坪の1号店(大阪梅田)は初年度に8,000万円、次年度は1億円の売上高を記録した。大成功である。最初の挑戦で失敗を回避できた要因を鈴木社長はこう分析する。

 「販促の仕方も分かりませんでしたが、クチコミによるリピーター獲得が大きかったと思います。商品そのものの質もさることながら、店舗の立地、ディスレプレーの工夫、いろいろな観点でお客さまの気を引いたのがプラスになったのでしょう」

 上々のスタートを切った同社は99年までに5店舗を出店、成長性に確信を持った2000年には本格的な多店舗化に乗り出した。その後は年間20店舗前後のペースで直営店を拡大、2002年にはついに卸業務から撤退し、BtoCビジネスへの完全移行を果たしたのである。

脅威の商品回転数を実現

 鈴木社長のリーダーシップによる「訪れたくなる店舗づくり」が成功した東京シャツだが、もちろん製造卸で培った経験も存分に生かされている。高い技術力を有する自社縫製工場と一体化した商品開発が強みになったのである。たとえば綿100%の形態安定シャツのヒットだ。

 「ポリエステルが混じったシャツは形態安定性が高いですが、綿100%のシャツが放つ光沢のある高級感が失われます。一方綿100%のシャツは価格が高いうえに、しわをとるためのアイロンがけがどうしても必要でした。綿100%生地のこの2つのデメリットを解消させた商品として当時はまだ珍しかった綿100%の形態安定シャツを開発・販売したところ、現在まで続くロングセラー商品になったのです」

 さらに画期的だったのは、シャツのサイズ構成比の刷新である。通常ワイシャツのサイズは「38─80」のように首のサイズとゆき丈(首から肩を通った袖口までの長さ)で表示される。それぞれの組み合わせをひとつひとつそろえると、同じ色と柄で33ものサイズを用意しなければならない。しかし同社はこれをS、M、L、LLのわずか4種類に簡素化したのである。

 「それぞれのサイズに80と84の2つのゆき丈があるので全部で8通りのサイズで済むことになります。サイズの数を絞ったことで在庫の大幅な圧縮が実現し、在庫回転率が7~8倍と飛躍的に改善しました。在庫金額は年間売上高の7.5%、年間の商品回転数は13回と業界ではあり得ないほどの効率的な経営が可能になったのです」

 BtoCビジネスへの戦略的な進出で会社の危機を乗り越えただけなく、専門メーカーとして業界トップにまで躍り出た東京シャツ。今後は手薄だった都心への出店攻勢をかけ、国内300店舗、売上高180億円の達成を目指すという。

(本誌・植松啓介)

掲載:『戦略経営者』2013年10月号