空前のランニングブームである。人気の市民マラソン大会は数時間で定員となり、休日の有名ランニングスポットでは大量のランナーがひじをすりあわせるようにして行き交う。そんななか、このところ経営者ランナーの存在が注目されるようになった。彼らはなぜ走るのか。あるいは、走ることによる経営への効果はあるのか。取材してみた。

 「僕は何ごとにおいても、最初の動機は不純なんです」と笑う安田隆NTWInc.社長(43)。鳴り物入りで開催された2007年の第1回東京マラソンに、「記念になれば」との軽い気持ちから応募、当選してしまったのがすべての始まりだった。

 20代の頃にはクラブチームでラグビーに本気で取り組んでいた安田社長。けがも多く22歳で頬骨、25歳で鼻、そして28歳の時には香港の大会で顎の骨を折って引退を余儀なくされる。30歳を越えて会社を設立してからは、中国と日本を頻繁に行き来する多忙な生活が続く。スポーツどころではないし、夜のつきあいも多く不摂生を重ねていた。そんななかでの「当選」である。いきなり「厳しい節制」というわけにはいかず、事前のトレーニングもそこそこに「何とかなるだろう」と生来の楽観主義を発揮して、大会にのぞんだ安田社長。小雨が降って冷え込むなか、築地にさしかかった30キロ過ぎあたりでヘロヘロになってしまった。

 「とにかくつらくて前に進むのがやっとの状態。でも一方で不思議なことに、このまま走り続けたい、ゴールしたくないという思いがわき起こってきました」

 5時間28分での完走。その満足感よりも、終盤の不思議な感覚が気になった。ランニングの神様に見込まれてしまったような体験。

 翌年の第2回東京マラソンは高倍率抽選のより狭き門となっていた。が、安田社長は再び奇跡の当選。いまだその時のランニングの神様に襟元をつかまれていたのかもしれない。

 2回目にのぞむ安田社長は本気モードだった。

 スポーツクラブに出向いてトレーナーの組み立てたトレーニングスケジュールをこなしていった。自宅のある江東区森下から日本橋を通過して皇居を周回するコースと隅田川を下って佃島を折り返して帰ってくるコース。この2つのランニングコースを早朝か夜、週3回のペースで交互に走った。

 「やると決めたらやらずにはいられなくなる」性格。多忙な業務の合間をぬって、4カ月前から大会まで月間約150キロを走り、体重も普段より10キロ落とした。結果は4時間7分。1回目を大幅に上回るタイムでゴールテープを切った。

 「驚いたのは、また、前回と同じ不思議な感覚がわき起こってきたことです。一刻も早くゴールしたいというしんどさとは裏腹に、このまま歩を進めるとこの貴重な時間が終わってしまうという寂しさ――涙すら出てきそうな感じでした」

 その後は年1回のペースで大会に参加し続けている安田社長だが、ここ2年ほどは「トレイルランニング」にはまっている。トレイルとは舗装路以外の山野を走るランニングスポーツ。昨年4月の「青梅高水山トレイルラン30キロ」、今年5月には「TOKYO成木の森トレイルラン25キロ」に連続して出場。3時間前後で見事に完走している。

 「いまはマラソンよりトレイルです。飲料水を担ぎ、栄養補給をしながら高低差が900メートルもある山道を走り抜けるわけですからね。変化があってすごくおもしろい」

やるかやめるかは自分次第

 NTWInc.は、香港、中国の8つのプリント基板メーカーと提携し、国内の大手メーカーとの橋渡しをする会社。「現場商社」を標榜し、オンリーワンのビジネスモデルで年商30億円を稼ぎ出す(戦略経営者2011年7月号「戦略経営者登場」参照)。もちろん、新たな市場を切り開いている安田社長には並外れた体力と気力が求められる。

 「走るようになって身体の調子がいいのは確かです。家ではほとんどお酒をのまず、夜もできるだけ早く寝床につくようになりました。朝は5時に起きて7時には出勤。身体の調子が良いと当然、気力も充実してきます」

 マラソンにしろトレイルランニングにしろ、安田社長は基本的に一人で取り組む。ランニングサークルにも所属していないし、練習仲間もいない。音楽も聴かずにただひたすら走るのである。

 「最初はあれこれと思考がわき上がってきますが、走っているうちに頭のなかが真っ白になって何も考えていない状態になる。それが心地良い」のだという。

 「走った後は気分ががらっと変わる。頭のなかが掃除されたような感じです。脳と身体はつながっているんだなと実感します」

 座禅による「空」や「無我」に似た感覚なのかもしれないとも。

 マラソンと経営の共通点について、安田社長はこう語る。

 「作家の村上春樹さんのエッセイに“Pain is inevitable, Suffering is optional”という言葉が出てきます。痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(自分次第)という意味ですが、その通りだと思いますね。当たり前ですが、走るときつい。これは避けようがありません。でも、もうだめかどうかを決めるのはこちら次第。走るのをやめたって別に罰則はありませんが、でも走るわけです。経営においても同じでしょう。当社もこれまできつい場面ばかりでした。売り上げが順調でも人の問題でごたごたしたり、社内融和がうまくいっても利益が上がらなかったりね。どこまでいっても悩みはつきない。でも、そこで心を折ってしまうかどうかはあくまでも自分次第なんです」

 どんな苦しい状況においても、心折れることなく粘り強く前へ進む――マラソンと企業経営に必要な共通項である。

(取材協力・中根税務会計事務所/本誌・高根文隆)

会社概要
名称 NTW Inc.株式会社
設立 2002年9月
所在地 東京都千代田区神田駿河台4-1-2
TEL 03-5577-9953
売上高 約30億円
社員数 40名
URL http://ntw-web.com/

掲載:『戦略経営者』2012年11月号