いつ終わるとも知れぬ不況…職場の閉塞感は増すばかりである。組織活性化のためには思い切った“働き方の転換”が必要なのかもしれない。ユニークかつ斬新な雇用システムで成果を上げる企業を取材してみた。

 今、新しい働き方を模索する動きが出てきている。それは、いわゆる「日本型雇用システム」が少しずつ崩れてきている状況が影響しているのかもしれない。

 日本型雇用を欧米型の雇用システムとくらべた場合、ご承知の通り、新卒一括採用や終身雇用などが特徴としてあげられる。さらにもう一つ特徴を付け加えるならば、日本では大学を出て新卒で会社に入りさえすれば、全員エリートとみなされるということだ。

 実はこれは、日本の企業だけがもつ異質な文化なのである。欧米のほとんどの国ではエリートとノンエリートを入り口で厳密に区別している。日本でも官公庁の場合、国家1種試験に合格したキャリアと、国家2種試験のノンキャリアとではその後の出世に大きな違いがあるし、フランスの企業であればカードル、アメリカならリーダーシップ・プログラムと、エリートだけを厳選した新卒採用を行っている。

 ところが日本の企業だけは、入り口の段階で明確な区別をしていない。その後の頑張りしだいでは偉くなれるかもしれないというチャンスを平等に与え、社員たちはその期待を胸に仕事に邁進していく。ただ、「全員エリート候補」が続くのはだいたい課長になるまでで、部長以上になれるのはそのうちの何割かに絞られる。そこではじめて、エリートとそうでない者とにわかれるのだ。要するに20~30年かけて結論が出る仕組みである。

 日本企業はいったいなぜこんな仕組みをとるようになったのか。

 20~30代の時期において全員にやる気を失うことなく頑張ってもらうためである。もし、入社した時点で将来出世の望みがないことがわかってしまえば、死にもの狂いになって働こうという気持ちには当然ならない。せいぜい頑張ってくれるのはエリートを保証された一握りの社員だけとなる。これは欧米企業の内情を観察すればよくわかる。エリートの人たちは鼻血も出さんばかりに毎日必死に仕事をしているが、ノンエリートの人たちはワーク・ライフ・バランスを地でいくのんびりとした暮らしぶりだ。一方、日本では全員が一律にモーレツに働くほうが組織として強いと考え、独自の雇用形態を創出していったわけだ。

 とはいえ、日本型雇用がうまく回っていたのは80年代まで。バブル崩壊を機に、90年代以降は「課長職に見あうだけの給料」を全員に支給することが難しくなり、それが結果的に全員エリートの日本型モデルを崩す要因となった。

 そしてもう一つ理由としてあげられるのが、女性が総合職を目指すようになったことだ。企業は不況になってから一斉に新卒採用を絞るようになったが、とくにその影響を受けたのが秘書や庶務といった女性事務職(一般職)だった。その結果どうなったかというと、就職に有利なブランド大学を目指す女性が増え、さらに総合職での就職を希望するようになったのである。会社側も「優秀ならば」と積極的に総合職として採用していった。

 けれども、たとえ総合職の女性であっても、家事や育児をしなければならない状況は変わらない。そこで会社側は、仕事と育児の調和が図れるようにと、残業削減といったワーク・ライフ・バランスの制度を導入せざるを得なくなってきた。これによって「だれでも一律にモーレツに働く」という全員エリートのあり方が崩れたのだ。

お金とは違うインセンティブ

 以前は新卒で入った社員のおよそ9割が課長クラスになれた。しかし近年の賃金構造基本統計(厚労省)を見ると、大企業でも課長になれる人の割合は6割弱。係長までならほとんどの人がなれるという意味では、全員エリートの仕組みがなんとかギリギリのところで保たれている状態ともいえるが、これ以上出世できないと判断できる時期が5年ぐらい早まったのは確かである。

 そうしたなかで各企業に求められるようになってきたのが、お金・昇給とは違うインセンティブで従業員たちのやる気を失わせないようにする工夫だったり、何らかのアイデアで組織全体の業務効率を高めていくための新しい働き方だったのである。

 さらに女性という“変数”もそこに加わり、育児をしながらでも働けるようにと在宅勤務制度などを新たに導入する企業も増えてきている。

 他にも新しい働き方が求められるようになった理由としては、以前より少ないスタッフで仕事を回さなければならなくなったことがあげられるだろう。多少ユニークすぎると思えるようなものでも、どんどん試してみるといい。それが閉塞感漂う職場環境を変えるよいきっかけとなるだろう。

(インタビュー・構成/本誌・吉田茂司)

掲載:『戦略経営者』2012年7月号