中小企業の新卒採用コンサルティングで一世を風靡したワイキューブ。当時としては珍しかった「企業ブランディング」に力を入れ、メディアに取り上げられることもしばしばだった。しかし昨年3月30日、経営難を理由に民事再生法の適用を申請し、その活動に終止符を打った。いまあらためて、元社長の安田佳生氏にワイキューブの経営を振り返ってもらった。

プロフィール
やすだ・よしお●1965年、大阪府生まれ。高校卒業後渡米し、オレゴン州立大学で生物学を専攻。帰国後リクルート社を経て、1990年にワイキューブを立ち上げる。現在、境目研究家としてメルマガ等の執筆をおこなっている。
元ワイキューブ社長/境目研究家 安田佳生氏

安田佳生 氏

――ワイキューブの経営破綻から一年が過ぎました。気持ちの整理はつきましたか。

安田 社長でなくなったことの気持ちの整理がついたのは、去年の年末ぐらいですかね。
 ご承知のとおり、ワイキューブは昨年3月30日に民事再生法の適用を申請し、「カケハシ スカイソリューションズ」という新会社に事業を譲渡しました。私は社外から顧問として、その立ち上げをサポートしてきました。カケハシには、もともとワイキューブにいたスタッフが働いていて、副社長だった中川(智尚)氏が社長になっています。社名が変わっただけで、社員も役員もそこにいるし、取引業者やお客さんもさほど変わらない。そんななかで自分の居場所だけがなくなったわけです。ある日、朝礼に出てみると、以前は自分がしゃべっていたようなところで別の人間が話をしている。なかなか複雑な気分でした。それでも時間の経過とともに、そういうことにもしだいに慣れていきました。

――ワイキューブの「社員満足向上」(充実した福利厚生)の取り組みは素晴らしかったし、中小企業に新卒採用を根づかせた功績は大きかったと思います。いま振り返ってみて、ワイキューブの経営をどうお考えですか。

安田 社員を満足させるという点では一応、自分がやれることは全部やったという気持ちはあります。社員が無料で利用できる社内バーにはパティシエがいたり、カフェスペースにはバリスタがいたりと、会社は仕事をする場所であると同時に人生を過ごす場でもあるので、快適なほうが好ましいという気持ちは今でも変わりません。
 そして、新卒採用に目を向ける中小企業が増えたのは、それがワイキューブの影響かどうかは分かりませんが、そのこと自体はとてもうれしいこと。中小は余裕がないため、自分で育てるよりは他社が育てた人材を採りたいと思いがちですが、自分たちが育てた人材でないと本当の意味での戦力にならないし、やはり新卒からきちんと育てようという意欲を経営者自身がもっていなければだめだと思います。

――ワイキューブの絶頂期というと、いつ頃でしたか?

安田 06~07年ごろですね。年商46億円がピークで、そこで頭打ちになって、あとは下がっていく一方でした。

――社内バーや、若い社員でもグリーン車に乗せるといった制度がマスコミにたびたび取り上げられたのは、絶頂期に達する少し前のことだったと思います。

安田 入社2年目からグリーン車に乗れるという制度は、社員から反対されてその後やめました。福利厚生のためにいろいろやりましたが、うまくいったものもあれば、よくなかったこともあって、グリーン車に乗せたのはよくなかったことの一つでした。仕事ができない社員までも「2年目になったのでグリーン車に乗せてください」と当然のように権利を主張してくるようになり、モチベーションを高めるという本来の趣旨とは少しかけ離れてきてしまった。
 一方で、社内バーについては悪い影響はありませんでした。むしろ費用をかけた分の見返りは十分にありました。さまざまなメディアに取り上げられ、売り上げとして戻ってきましたから。

――奇抜な試みをして、メディアにどんどん取り上げてもらうというのがワイキューブの「ブランド経営」の極意とも言えます。

安田 とにかく「必要ないことをやる」ということと、「常識的な範囲を超えてやる」という2つはいつも意識していましたね。それは、もともと会社に必要とされるもので目立とうとするとお金がかかるからなんです。たとえばコピー機だったらふつう300万円前後しますが、そこに100万円を上乗せして高性能なコピー機を購入したところで、マスコミは飛びついてこない。しかし本来1円も使わないところに100万円、200万円とかけると「なぜなんだ?」と取材にきてくれる。結局、そのほうが安上がりなんです。もちろん福利厚生のためというのもありますが、残り半分は間接的な広告宣伝費として使っていたようなものです。

――33万部超のベストセラーになった『千円札は拾うな。』(サンマーク出版)をはじめ、ビジネス本をいくつも出していたのもブランド力を高めたいという目的から?

安田 最初はDMを打ったり、広告を出したりして会社をPRしようとしていました。でも小さい会社だったのでお金が続かない。そこで、できるだけお金を使わずに会社の知名度を上げる方法はないかと考え、本を書いたり、社内バーを作ったりしたわけです。

――それらの戦略は見事成功して、ワイキューブはたくさんの人に知られる企業となりました。

安田 当時、中小企業のなかでは一番知名度があったくらいです。大企業を含めた就職人気ランキングでは最高17位までいきました。
 じつは就職人気ランキングについては、本気で1位になることを目指していました。就職活動中の学生たちが、ほかの会社の面接に行った際、そこの面接官から「うち以外にどこを受けているの?」と聞かれたときに「ワイキューブです」と答えてくれれば、会社の評判はさらに高まる。そうなることを狙っていたのです。

市場が飽和状態になっていた

――しかし、やがてワイキューブの経営は傾いていきます。その原因はどこにあったのでしょうか。

安田 市場が飽和状態になって、投資した金額ほどに売上高が伸びなかったのが一番の要因です。期待していたよりも、新卒マーケットのパイが広がりませんでした。国内にある企業のうち、新卒採用を実施している中小企業の数はそう多くはなく、残りはガラ空きのマーケット。伸びしろはまだまだあると見込んで人やブランドに投資していたわけですが、積極的に新卒採用をしようという会社はそうは増えませんでした。当時の市場規模は、新卒採用がピークだったときで400億円ぐらい。それに対して、ワイキューブの売り上げは40数億円。つまり約10%のシェアをとっていたことになりますが、業界最大手のリクルートさんや毎日コミュニケーションさんなどの存在もあり、それ以上の拡大は難しかったんです。

――銀行から多額の借り入れをしていたのも、問題だった?

安田 借り入れをすること自体はなんの問題もありませんが、その借りたお金をどう使うかに問題があった。まあ、業績が悪化しだすと銀行が一括返済を求めてきて、その対応がたいへんだったのと金利が上乗せされたというのはありましたが。結局、借りた数十億円のうち7割方は使ってしまっていて一括返済するお金などないので、各行を走り回ってリスケをお願いし、少しずつ返していくことになりました。その後、会社をあげて「ケチケチ大作戦」を実行し、年商は落ちたものの利益は3億~4億円ほどは出せる体制へとあらため、そのお金を返済に回していきました。
 しかし、この調子でいけば全額返済も可能だと思いはじめた矢先の2008年秋、リーマン・ショックが起きた。それで売上高が3分の1に減少。経営破綻が現実味を帯びてきました。

――民事再生法の適用申請を決断したのは昨年3月10日、つまり東日本大震災が発生する前日だったそうですね。

安田 熊本への出張からの帰り、東京の品川駅前の喫茶店で役員2人と落ち合い、そこで民事再生に踏み切ることを正式に伝えました。そのころは借金を返すためだけに働かせているような状態で、役員も社員もみんな疲弊していた。民事再生してうまく事業が残れば、稼いだ利益が社員や役員に還元される。そうなることを願って民事再生の決意を固めました。

――そして安田さん自身もその後、自己破産することを決めました。

安田 自己破産をしないという選択肢もありましたが、きっちり清算したいという気持ちのほうが強かった。会社を清算し、元社長としての個人の生活も清算する。そのうえで不都合が起こるとしても、それらをすべて受け入れたかった。

――会社経営における“数字”の管理という面で、なにか反省点があればお聞かせください。

安田 私には数字を管理するという意識が欠落していましたね。売上高をあげるとか、利益率をあげるとかはわりと好きだし、得意分野でもある。しかしいくら稼いだところで、それ以上にお金を使ってしまっていたら利益として残らない。そのあたりの意識が希薄でした。
 あと、銀行から借り入れた資金を使って社員の年収アップをしたのも完全な間違い。せめて給料ぐらい高くなければ優秀な人材は集まらないと思い、社員の平均年俸が400万円だったのを3年間で1000万円に引き上げようとしたんです。それも自分たちで稼いだ利益を原資にするのではなく、銀行から借りたお金を使って。「利益を出してくれたら、いくらでも給料を払いますよ」というのが一般的な経営者の感覚でしょう。つまり利益が先で、給料はあとからついてくるという考え方です。しかし例えばメーカーの場合でも、まず製品を作ってから利益を手にする。そうした流れしかあり得ない。それといっしょで先にお金を使って優秀な人材をまずは確保し、その人たちに稼いでもらうという順番もアリだと思ったんです。結局、750万円にまで引き上げたところでお金がなくなりました。

――今後、会社の社長をやるとしたらそれらの反省を生かす?

安田 もう社長はやらないと思います。人には向き不向きがあって、私は“社長業”には向いていない。いまは形式的に「株式会社安田佳生事務所」の社長ですが、社員はいません。今年3月に『私、社長ではなくなりました。』(プレジデント社)というタイトルの本を出したのは、もう社長はやらないということを宣言するためでもありました。

――その本の前書きにあった「ワイキューブは私たちが子どものように夢を見てつくった会社である」という一文が、とても印象的でした。

安田 ワイキューブを立ち上げたのは25歳のときでした。実際に子どもだったんですよ。まともに考えられるようになったのは30代半ばになってからですね。
 もっとも最近の若い経営者は、明らかに自分とは違うような気がします。日本をよくしたいとか、教育改革とか、社会貢献だとか、素晴らしいビジョンを持っていたりする。私にはそんな高尚な会社経営のビジョンはありませんでした。「自分たちが自由に生きていくためには自分たちの会社が必要」という、ただそれだけの理由で会社を起こしたようなもの。そういうところがまるで子どもでした。

友だちと親友との“境目”は?

――現在、安田さんはカケハシの顧問をする傍ら、「境目研究家」としての活動も始めています。境目の研究とは一体どんなものですか。

安田 たとえば「いい会社とよくない会社の境目」とか、「効果がでるブランド経営と効果がでないブランド経営の境目」といったことを考えるのが境目の研究です。ほかにも経営とは関係ないテーマとしては、「友だちと親友の境目はどこにあるか」などがあります。そういうのを考えるのが昔から好きだったんですよ。ただ考えるだけでは収入にならないので、「絵日記」など境目をテーマにした作品を創り、それをネット等を通じて直接消費者に売っていけたらいいなと考えています。

――それともう一つ、NPO団体を立ち上げ、そこの理事長を務めているのも今のお仕事です。

安田 NPO法人ヒトコトネットといいまして、「中小企業共和国」というサイトを作り、中小企業10万社を束ねることを計画しています。1社あたり1万円ずつ会費を徴収していくと、10万社で月10億円になる。そのお金で「中小企業に必要なインフラ作りをやろう」というのを一つの目的にしています。
 ワイキューブでは、オフィスに社内バーを設けたりしましたが、それらを中小企業が1社単独でやるのはなかなか大変。しかし複数の企業が出資し合えば、みんなが共同で使える会議室を作ったりと、いろんなことができる。それぞれの会社が会議室を作ったり、コピー機を買ったり、受付をつくったりしていたのではもったいないじゃないですか。シェアできるものはシェアしたほうがいいんです。タニタの社員食堂だって、大企業だからできることであって中小企業では難しい。でも、たくさんの会社が集まればできなくもありません。ライフワークとしてそんなことをしていきたい。

――最後に一つだけ、バカな質問をさせてください。結局、千円札は拾ったほうがいいのでしょうか、拾うべきではないのでしょうか?

安田 拾うべきではないと思いますよ。10人中9人が、あるいは自分のまわりにいる人たち全員が右だと言っていても、本当の答えは左にある場合もある。「千円札は拾うな」というのは、常識は鵜呑みにしないほうがいいということのたとえなんです。固定観念はまず疑え、という考え方は今でも変わってはいません。そういえば、冗談でよく千円札を目の前で捨てられましたね。その場合はいつも拾っていました。拾ってあげるとみんな喜ぶんですよ(笑)。

(インタビュー・構成/本誌・吉田茂司)

掲載:『戦略経営者』2012年6月号