国の威信を賭け各国が毎年性能アップにしのぎを削っているスーパーコンピュータ(スパコン)。世界最速の次世代スパコン「京」を開発した富士通の藤崎正英氏によると、シミュレーション解析を行う基盤としてスパコンは、「ものづくりニッポン」を支える不可欠の存在になるという。スパコン世界一の意義や中小製造業におけるシミュレーション解析導入の必要性などについて聞いた。
- プロフィール
- ふじさき・まさひで●1962(昭和37)年、東京都生まれ。84年、富士通入社以来、スーパーコンピュータVPシリーズや超並列計算機APシリーズ上でさまざまな科学技術アプリケーションの高速化を主に担当。2000年からは、科学技術分野のグリッド技術に関する3つの産官学連携の国家プロジェクト(ITBL,VIZGRID,NAREGI等)に企画段階から参画し、開発を推進。10年からは、TC分野のビジネス開発としてTCクラウドソリューションを推進中。
藤崎正英 氏
――「京」が世界最速を達成したというニュースは、昨年の明るい話題のひとつでした。
藤崎 スパコンの性能を競う国際的なコンテストである「トップ500」が年に2回、6月と11月に行われるのですが、富士通と理化学研究所が共同開発した次世代スーパーコンピュータ「京」が2期連続で世界最速を記録することができました。日本とアメリカが交互にトップを獲得するような時代を経て、実はここ10年ほどずっとアメリカ勢の後塵を拝してきたので、久々の快挙といえます。2010年には初めて中国勢がトップを獲得するなど新興国の隆盛も著しく、「これではまずい。世界で一番速いスーパーコンピュータを本気で作ろう」と文部科学省肝いりのプロジェクトを官民で立ち上げたのが実を結びました。
――世界最速というのは具体的にどれくらいの速さでしょう。
藤崎 名前の由来でもありますが、この「京」は1秒間に1京回の計算をすることができます。これは、東京ドームの観客5万人が1秒間に1回の計算をしたとして約6400年かかる計算を1秒でしてしまうことに相当します。普通のパソコンとの比較をする場合には、CPUの数に注目すると分かりやすいでしょう。一般のパソコンのCPUはたかだか1~2個ですが、「京」には70万個あります。これを同時に動かすので、おおまかに言えば数十万倍以上の性能がでる計算になります。
日本のものづくりの結晶
――計算機を並列で増やせば増やすほど速くなるのでしょうか。
藤崎 そうとは限らないですね。実際上は2倍のCPUですべてのアプリケーションの処理速度が2倍になるわけではありません。なぜなら1つの計算をする際にCPUとCPUの間でデータのやりとりをしなければならないことがあるからです。入力データを配って、その結果を待つとなればそれだけ速度が落ちることになりますし、2つのCPUの計算に関連がある場合はデータを渡してやらないと次の計算に進むことができません。複雑な計算ではそうした膨大な数のデータのやりとりがCPU間で同時に行われます。しかもそれがすぐ隣のCPUであればまだいいのですが、遠くにあるCPUまで伝えなければならない場合はさらにロスが出てしまいます。東京ドームの例で言えば、問題を配って、それを回収する作業に大きく時間をとられてしまうといったところでしょうか。ですから全体を網羅するネットワークが相当速くないとCPUの理論値に近づくような性能は実現できません。この実質的なスパコンの能力のことを実行効率といいますが、その値が93%と極めて高いのが「京」の非常に優れている点で、中国勢やアメリカ勢を大きく引き離しています。
――なるほど、圧倒的な性能を誇っているのですね。それにしても日本のスパコンが1位を奪還したことには大きな意義があります。
藤崎 一般的なものに比べ極めて速度のはやいコンピュータを総称してスーパーコンピュータと呼んでいますが、私は、パソコンの心臓部であるCPUからオールジャパンでつくっているこの次世代スパコン「京」は、世界に対し「日本のものづくり」の結晶をアピールする非常に重要なプロジェクトだと考えています。たとえばパソコンの心臓部ともいえるCPU。現在インテルやAMD、IBMなどの海外メーカー数社に供給が限定されていますが、「京」では日本の富士通が開発・設計したCPUを使用しているわけですからね。さらに計算を行うアプリケーション、全体のシステム、最先端の技術を使いながらアプリケーションをチューニングする技術など、まさにエンジニアのノウハウがすべて詰まっています。
――聞けば聞くほど官民総力を挙げた取り組みだということが伝わってきます。
藤崎 車で例えるなら乗用車ではなくF1に用いるレーシングカーだと思ってください。とにかくすごいマシンなので、建物などのファシリティーも高いレベルが要求されます。普通、パソコンの熱は空冷で対処しますが、高い消費電力により「京」ではそれとは比較にならないぐらい大量の熱が発生するため、張り巡らされたパイプに水を循環させ冷却する「水冷」方式を採用しました。マシンが設置してある神戸市の専用設備は体育館1個分の建屋ですが、その横に独立して冷却専用の建屋があるほどです。とにかく最高のマシンとそれに特化したチューニングを実現させる人的資源の総合力が勝ち取った世界一の座なのです。
シミュレーションで活躍
――ところで企業はスパコンをどのように利用しているのでしょうか。
藤崎 今まですごく時間がかかっている計算をあっという間に終わらせることができるので、目に見えないナノレベルの物質の挙動やモノの構造、空気や水の流れなどを物理法則にもとづいて解析するコンピュータ・シミュレーションで活用するのが一般的です。製造業の分野ではCAE(コンピュータ・エイデッド・エンジニアリング)という呼称がおなじみでしょうか。たとえば、これまで1週間かかっていた計算が半日で終わるとなると、その日の午後のうちに解析結果を踏まえて次のステップに進むことができますから、仕事の仕方が決定的に違ってきますよね。リアルな実験をまったくしなくてよいというわけにはいきませんが、パラメーターを変えて何種類もの条件で実験を繰り返す必要がある場合はシミュレーションでそれらを代替することができるので、すでに大手企業はスパコンによるコンピュータ・シミュレーションの利用を盛んに推進しています。
――どんな分野で利用されているのでしょう。
藤崎 たとえば自動車業界。新車を開発する際には車体の安全性を確保するために衝突実験を行いますが、何度も自動車を試作してぶつけて壊してしまうのは時間も費用もかかる。衝突実験のシミュレーションは、車の構造や素材、衝突の速度などのたくさんの要素が複雑に作用する膨大な量の計算が必要ですが、スパコンの性能向上で短時間に解析することが可能になりました。試作回数の削減による開発時間の短縮に大きく貢献することから、いまではCAE解析は自動車の開発になくてはならない工程になりつつあります。CAE以外でもコンピュータ・シミュレーションは資源・エネルギー開発や気象予報や防災、バイオ医療などの分野の研究開発プロセスで欠かせないツールとなっています。
――実験の代わりにシミュレーションをすることでどれくらい費用が削減できますか。
藤崎 富士通では携帯電話を設計するうえで電磁波がどのように周囲に伝わるかという実験を行っていますが、これにシミュレーションを導入した結果、開発費、原価低減、工数の削減などに寄与しトータルで4.2億円(2005年に試算)削減することに成功しました。
――そのような効果が「京」ではもっと期待できるということですね。
藤崎 「京」のような次世代スパコンの登場でこの動きはさらに加速するでしょう。一般的な部門のスパコン(1TFLOPS*)を1とすると「京」は同時に処理できるデータ量が8000倍、計算の速さも1万倍と飛躍的に性能が向上するため、これまでのスパコンでは諦めていた難しい計算が可能になるからです。たとえば波(流体)と船(構造)のような異なる性質を持つ物体のシミュレーションを組み合わせることにより、現実の波の上で船がどういう力を受けるかということを予測することができます。または飛行機が着地するときに出てくるランディングギア(降着装置)の形状。タイヤ付近で発生する乱気流の計算量などが膨大で飛行機の着陸に与える影響がこれまでよく分かっていませんでしたが、次世代スパコンによって飛行機全体と併せて設計できるようになります。「部品単体だけではうまくいくが、全体のシステムではうまくいかない」ということはよくあることですが、その原因を解明することが可能になってくると考えています。完成品の一部として動くことを想定したうえで部品のシミュレーションができるようになるというのは非常に大きなポイントです。
*1秒内に1兆回の計算をする
職人の勘だけでは無理
――中小企業もそこまで精緻なシミュレーションが求められるのでしょうか。
藤崎 はい。職人の勘で解決できない領域が増えつつあるからです。1つは自動車や飛行機に限らず、ものづくりをするうえで物自体が複雑化しています。したがって一つ一つのモジュールを組み立てたときに全体のモデルでどういうことが起きるか以前よりわかりにくくなりました。2つ目は物資の特性がまだ十分には明らかになっていない新材料が増えてきたこと。カーボンや金属などで次々に新しい材料が開発されていますが、その新材料、特に複合材料を扱った製品開発で困っている企業は多いと聞いています。既存の物質と違って職人の経験が生かされないからです。そこで、実験とコンピュータの計算を両輪でやる必要性が生じるのです。たとえばある製品の製造が可能だと判断します。しかしそれを落としたときにどのように壊れるかは実験で確認できますが、なぜ割れるのかということはなかなか分からない。実験ではあくまでも「壊れる」という現象しか明らかにならないからです。しかしCAEを使って解析すれば壊れるメカニズムを解明することができるので、「この部分はもう少し固くて軽い材料に変えよう」と改善につなげることができる。うまくCAEを活用することによって職人の経験を補足していく必要があるのです。
――そうするとCAEのニーズは今後拡大が見込めるというわけですね。
藤崎 はい。そうした予測のもと弊社では高性能スパコンを使って解析専門に特化したサービスを提供する「TCクラウド」を昨年からはじめ、ものづくり企業の支援をさせていただいています。これは専用アプリケーションや専門家による人的サポートも含めた解析シミュレーションをクラウド環境でご提供することによって、「解析を常時やっているわけではない」「もっと速く解析したい」という企業のニーズに応えようとしたものです。需要の変動に応じてアプリケーションのライセンスと計算プラットフォームを使いたい分だけ増減できるので、これまでの定額サービスに比べてかなり柔軟に解析を行うことができます。ものづくり企業自らが計算機を資産として持つ必要がなくなりますし、計算機がなくなれば当然ITのサポートはわれわれが行うので、企業がITの専門家を雇う必要もありません。このように固定費の削減が可能になります。
――利用状況はいかがでしょうか。
藤崎 計算機の並列処理性能などに応じて「ハイパフォーマンスクラス」「スタンダードクラス」の2つのクラスを用意しています。そして個別提供している「ハイパフォーマンスクラス」の方ではニコン様に使用していただき、「短時間で解析業務が開始できた」「メンテナンスが不要というのが大きなメリット」などと評価していただきました。月額38万円からの価格で販売を開始した「スタンダードクラス」は自動車、電機、精密機械、建設、鉄道など幅広い分野から引き合いをすでに多数いただいています。自動車業界ほど大規模ではないですが、他の業種にもCAEに対しての需要は存在しています。この2つのクラスに加え、中小企業でも十分ご利用いただけるサービスの販売も今春以降に計画しています。
CAE解析で競争力向上を
――中堅・中小企業にどう普及させるかが課題です。
藤崎 そうですね。CAEを戦略的に用いる姿勢を鮮明にしている企業の多い海外に比べると、日本ではまだその流れが大企業だけにとどまっています。しかし円高などで生産拠点が海外にシフトするなど国内生産減少のリスクを抱える震災後のものづくり戦略を考えると、CAEの一層の活用による企業競争力強化は避けて通れないのではないでしょうか。自動車業界では、国際規格を満たすために必要な書類に、実験データに替えてシミュレーションの計算結果を付すのが当たり前になってきています。一部では納入の品質をみるためにCAE解析の結果を部品企業に求めるようになったメーカーもあると聞いています。
――CAE導入が成長のカギを握るかもしれませんね。
藤崎 金型を用いた成形のシミュレーションを試しに使っていただいたあるプレス加工メーカーの現場担当者の方が「新材料などでカンが働かなくなってきている。CAEの解析の需要は確実に増えると思う。今後、簡単な解析は海外でもできるようになってくるだろうから、難しいCAE解析が製品の差別化上重要になってくる」とおっしゃっていました。中小企業の製造現場でもすでにこのような声が上がっている。まさにその通りだと思います。
(インタビュー・構成/本誌・植松啓介)