新宿・歌舞伎町にクレーム対応の名人として知られるホテル支配人がいる。暴力団員やモンスタークレーマーがたむろし一般人が敬遠していたいわく付きのホテルを、清潔で親しみやすい地域ナンバーワンのホテルへ変えた伝説の女性・三輪康子さんだ。数々の理不尽なクレームを体当たりで受け止めてきた三輪さんにクレーム対応の極意について聞いた。

プロフィール
みわ・やすこ●青森県八戸市生まれ。往診に奔走する開業医の父の姿を見て育ち、「人の役に立つ人間になりたい」と決心。東京・銀座の画廊やアパレル企業勤務を経て2004年9月にホテル業界に転身、支配人となる。グループチェーン内で過去何度も売上高日本一を記録、2010年度にはその実績とチームワークのよさ、クレーム対応、地域への貢献度などが評価されMVP賞を獲得した。

怒りを全部吐き出させる

大手ホテルチェーン歌舞伎町店支配人 三輪康子さん

三輪康子 氏

――初の著書『日本一のクレーマー地帯で働く日本一の支配人』では暴力団員や理不尽なモンスタークレーマー相手の壮絶な顧客対応の実体験がつづられていますが、どんな相手にも淡々と対応する三輪さんの姿が印象的です。

三輪 お客さまとスタッフとの間にトラブルが起きたときに「嫌だな」と思うのではなく、「また呼ばれちゃった」「人気者で困っちゃう」などとポジティブな気持ちで対応することにしています。クレームを「処理」するのではなく、あくまでも顧客対応だと考えればいいわけですね。といっても、私はこれを意識的にしているわけではありません。「前向き思考」は生来の才能ですね。

――クレーム対応の原則は何でしょうか。

三輪 ホテル側に不手際があった場合などは言うまでもありませんが、何よりもまず謝ることが先決です。「申し訳ありません」と口にするのはサービス業にとって「職務」ではないでしょうか。スタッフだって人間ですから、ときにはいわれのないクレームに憤りを感じることもあるかもしれませんが……。そして謝った後は、お客様の言い分を全部黙って聞く。人間の心情ですから、どうしてもどこかのタイミングで事情説明なり言い訳なりこちらの主張を言いたくなりますが、それはダメですね。怒りという感情は必ずどこかでガクンとエネルギーが落ちますから、その瞬間が訪れるまでとにかくお客さまの話を全身で受け止める姿勢を保ち続けることです。
 その際大切なのは、まばたきをしないくらいしっかりと目を見つめること。目と目を合わせて話すことで、お客さまの心理状態や性格などを敏感に感じ取ることができるからです。驚かれるかもしれませんが、私は大丈夫だと判断した場合に冗談をいうときもあります。とにかく最優先すべきはお客さまの傷ついた心を少しでも和らげること。言いたいことを吐き出す力は、必ず尽きます。クレーマーが言葉を失うまで徹底的に待つことが非常に重要なのです。とはいえ、もう「落ちた」と判断してこちらが話しかけたとたん、再び感情を高ぶらせてしまったという失敗例も数多くありますが……。

――しかし押し黙っているだけでは逆効果のような気がします。

三輪 そうですね。ただうなずいているだけだと「おまえ人の話聞いているのか」となりますよね。難しいですが、そこは雰囲気を読むしかありません。人間の性格は十人十色ですので「この人はどういう人か」ということを自分なりに即座に判断しなければならないのです。その意味では、クレーム対応でマニュアルはほとんど参考になりません。確かにマニュアル通りにやれば非の打ち所がない完璧なクレーム対応ができるかもしれませんが、「心」が伝わらないのです。それがクレームを言っている人に分かってしまうとかえって火に油を注ぐ結果にもなりかねません。一生懸命さや必死さをとにかく伝えること、それに尽きると思います。

「上から目線」は禁物

――顧客の見た目や肩書きによって態度を変えないところも素晴らしいと思いました。

三輪 相手が暴力団員だろうとホームレスだろうと、大企業のどんなに偉い人であろうと、お客さまであることには変わりはないですから。ネットでツイッターのコメントなどを見ていると、私のことを「女だから」「運がいい」などと書き込んでいる人がいますが、それは違います。カーッとなったヤクザ相手では一つ間違えれば大変な危険が待っていますからね。ではなぜこれまでうまくいったのでしょうか。それはクレームを言う人に対し、「上から目線」を絶対にしてこなかったからです。身なりや年齢、国籍などで差別をしてはいけない、という人間の基本的な心構えで対応することがクレーム対応の大前提なのです。

――それが顧客のどんな要望も真正面から受け止める「お客さま目線」につながるわけですね。

三輪 はい。ある高齢の女性のケースですが、その方は腰痛がひどくなり部屋で動けなくなってしまいました。ホテルには人を運ぶ担架などありませんから私は客室まで台車でお迎えに行ったのですが、彼女は「私は荷物じゃない」と猛烈に怒り出したのです。私は「抱っこやおんぶした場合には転んでけがをしてしまう危険があります。お客さまの安全を考慮に入れた場合、この台車で運ぶのがベストです」と丁寧に説明しました。顧客の安全を第一に考えているのだという姿勢が通じたのか結局納得していただき、タクシーまで台車に乗せてごろごろ運びました。
 またこれも高齢の女性ですが、「閉まっているドアをすり抜けて部屋の中に幽霊が入ってきた。そして買ったばかりの靴下をとっていってしまった。何とかならないか」というクレームもありました。完全におかしな話ですが「おばあさん、寂しいんだな」と感じました。おばあさんは私に畳み掛けるように話しかけてきます。「支配人さん聞いてくださいよ。寝ているときドアが閉まっているのに幽霊が入ってくるんですよ。分かります?」。私は「そうなんですか。本当ですか」ととりあえず話を聞くわけです。決して「そんなことあるわけないですよ」とは言わず、話を聞きながら部屋の中を探し出し始めました。案の定シーツの中から靴下を発見したのでそれをおばあさんに見せると、バツが悪そうに「ありがとう」と言ってくれました。このおばあさんは話し相手が欲しかっただけだったのかもしれません。たとえ理不尽なクレーム対応であろうと「何をすれば顧客がうれしいと感じるか」ということを考えるのが大切なことではないでしょうか。

――「ドアの前で立ってろ事件」も印象的でした。

三輪 エレベーターのちょうど前にある客室に宿泊されたお客さまから、「酔った乗降客がうるさくて眠れない。部屋をかえてくれ」と強い要求がありました。部屋は満室だったので何とかご了解いただこうとしたのですが、「それじゃあ値下げしろ」と……。
 私は、このお客さまが安眠できるために自分は何をしたらいいかということを考えました。そして「エレベーター前で朝まで立っていて、ドアの前を通行されるお客さまに注意しましょう」と請け合ったのです。私の注意する声がうるさくては元も子もないですから、そのフロアで降りてくるお客さまが大声で話をされていた場合には、口に人差し指をあてて「シーッ」っとやりました。そうやってトイレにも行かず一晩中エレベーターの前に立ち続けたのです。朝普通にそのお客さまに「おはようございます」とあいさつをしたら、その方は本当にびっくりしていましたね。そしてチェックアウト時に「たいしたものだ。また泊まりに来るよ」と言われたので、私は「笑ってホテルを後にしていただいて本当によかった」と思いました。クレーマーがファンに変わった瞬間でした。

――クレーム対応で安易に金銭的な解決はしないのだとか。

三輪 あきらかにこちらに不備がある場合をのぞき、いわれのないクレームで返金や値引きに応じるつもりは一切ありません。確かにホテルの宿泊料単価は高が知れています。値下げや返金に応じてしまえばものの5分でトラブルが済んでしまうことはいっぱいあります。しかしそのたったひとつの前例が口コミで広まり同様の事態が起こってしまうことにもなりかねませんから、それを避けるために「ケチだ」と言われても私はいっこうにかまいません。
 たとえばチェックアウト時に時間延長分の1000円を請求したところ「そんな話聞いていない」と支払いを拒否されたお客さまがいました。その時は結局4時間話し合ったあげく、結局払わないまま出て行ってしまいましたが……。借金取りではないので「是が非でもお金をとってやる」というつもりはありませんが、「決められたお金はいただきます」という姿勢は貫き通します。

――とことんまで顧客の言い分を聞く一方で、譲れない一線は守り通すということでしょうか。

三輪 そうですね。「ホテルに泊まったがためにパソコンが壊れた、弁償してくれ」というクレームがありました。もちろんそんなことはあるはずがありません。それでも最大限の対応はしました。エアコン使用時に外気との温度差で結露が生じ、その水滴がキーボードに落ちて故障する可能性を考えました。メーカーにも電話で問い合わせ、保険会社などでそういった事例を調べてもらった結果、こう伝えたのです。「あらゆる可能性を検討しましたが、ホテルで使用したから壊れたということはあり得ません。ホテルの責任ではないのでこのままお返しいたします」と。そのお客さまは激高し、最後まで私を罵倒し続けました。
 ヤクザからは「つぶす」「殺す」「いさせなくしてやる」、一般のお客さまからは「支配人から下ろしてやる」「首にしてやる」と幾度となくすごまれました。そうしたことを言われないために、戦略的に「イエス」といってしまえば簡単かもしれません。「うちの不備です」「値下げします」とすぐに認めたり、菓子折りを持ってきて決着を図ろうとすれば短時間ですむこともあるでしょう。しかし私はそれを「誠意」だとは思わないのです。
 ですから場合によっては、きっぱりとお断りすることも大切です。若い男女3人から「フロントスタッフの接客がなっていない」と激しいクレームを受けたときがありました。まずは彼らの言い分を聞きました。同時にスタッフからも事情を聴取します。総合的に判断した結果「お客様はここにいてはいけない」という結論に至り、「あなたたちにそう言われる筋合いはございません。お帰りください」と言ったのです。当然「客に向かってその態度はなんだ」と怒鳴られましたが、「たった今からお客様ではございません」と返しました。捨て台詞を吐かれたり、怒鳴られておさまりがつかずクレーム対応に失敗したときは本当に後味が悪いものですが、それも勉強のうち。人間十人十色でいろんな性格があるように、クレーム対応もひとつとして同じ対応はありません。経験を積み重ねることが何よりも重要です。

優しさは何よりも強い

――人間を見る目を養うことが大事なわけですね。

三輪 人の価値観は本当にいろいろです。カップ麺を客室に忘れていったお客さまが、わざわざ往復の電車賃をかけてまで取りに来たときもあります。人の価値観に標準というものはなく、時々私がおかしいのか、お客さまがおかしいのか、と分からなくなるときもあります(笑)。ある意味接客業というのは占い師の仕事に似ているところがあるのではないでしょうか。占い師はその人の悩みを全部受け入れてからはじめて答えを出すことができる。接客業やサービス業も同様で、話を受け入れ常にお客さまの立場になって考えることが必要です。

――顧客の感情を読み取りながら素早い判断を下さなければいけませんね。

三輪 判断は素早くないとダメ。クレーム対応は「待ったなし」ですから。5分以内に対応していれば問題がなかったものを10分かかってしまったためにクレームが大きくなってしまった、ということはたくさんありますからね。たとえばフロントが、「今支配人が電話中なので折り返しかけさせます」と対応したとします。その「折り返し」が1時間になってしまうと、「折り返し時間を何分だと思ってるんだ」とトラブルになってしまうわけです。

――クレームを大きくしない工夫もするべきだと。

三輪 たとえば謝って怒る人と、謝らないがゆえに怒る人がいます。連泊しているお客さまで私物を整理整頓すると「触ったな」と言って怒る人、そのままにしておくと「なんで片付けないんだ」と怒る人がいます。でどうするかというと、「モノがなくなった」と言われると困るので、そのまま触れないでおくことにするのです。位置を直さないことについてクレームがきた場合には「仮にモノが紛失した場合にはホテル側の責任になってしまう」と説明すればたいていの場合納得してもらえます。またなかにはコップの水を捨ててきれいにすると「大切な水だったんだ」と怒る人もいらっしゃいます。捨てた水は取り返しがつきませんから、水も捨てないことにしています。「なんで取り替えないんだ」と怒られたら「申し訳ありません」といってすぐに取り替えればいいわけですから。誠実にクレーム対応するとともに、少しでもクレームが大きくならないようにする事前の対応も重要です。

――最後に今後の目標を教えてください。

三輪 これからもずっと、「怒鳴られたら2倍の優しさで返す」という精神を持ち続けたいですね。日本ではいま年間3万人を超える多くの自殺者がいますが、みんながほんのちょっとずつ優しさを出し合うだけでひとつでも多くの命が救われるのではないでしょうか。優しさが嫌いな人はいません。「優しさは何よりも強い」のです。当ホテルはグループ内での売上高ナンバーワンを幾度となく獲得していますが、それもクレーム対応を含めた顧客対応で「相手の立場だったらどう感じるだろうか」「自分だったら何をしてもらいたいだろうか」と常に考えることを徹底していたからこそ。もてなしの心で人が人を呼ぶ環境づくりに成功すれば、お金は後からついてくるものなのです。

(インタビュー・構成/本誌・植松啓介)

掲載:『戦略経営者』2011年11月号