大震災の余波で、やや注目度が薄れた感のあるTPP(環太平洋パートナーシップ協定)だが、日本という国の採るべき有力な選択肢として、その存在感はいまだ健在だ。しかし、国際政治経済学者で参議院議員の浜田和幸氏はTPP参加に反対する論陣をはり、「拙速な決断は日本の破滅を導く」と主張する。

プロフィール
はまだ・かずゆき●昭和28(1953)年、鳥取県生まれ。東京外語大卒。米ジョージワシントン大学で政治学博士号取得。米戦略国際問題研究所等を経て現在、国際未来科学研究所代表。昨年、鳥取県から参議院議員選挙に出馬し初当選。
参議院議員 国際政治経済学者 浜田和幸

浜田和幸 氏

――今日お聞きするのはTPP(環太平洋パートナーシップ協定)についてですが、いわゆる「リング・オブ・ファイヤー」(地殻変動によって地震が頻発する環太平洋地域)で起こった先般の東日本大震災と、なんとなくつながっているような気もします。

浜田 まず、被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 今回の地震は確かに想定外の規模でしたが、福島第1原子力発電所の問題も含め、起こった後の危機管理には日本政府の大きな弱点が露呈されたのではないでしょうか。その意味では人災の部分もある。そこをクールに判断し、教訓にしていかないことには被災者も浮かばれないと思っています。このことは別の機会に是非喋らせてください。

オバマ政権の選挙対策か…

――浜田さんは日本のTPP参加に強く反対する立場で、最近ご著書も出版されました。そもそもTPPとは何なのでしょうか。

浜田 もともとは、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの4ヵ国による、ごくごく小規模の自由貿易協定案(「P4」協定)だったのですが、昨年、アメリカが参加を表明してから、あらためて大きな注目を浴びるようになりました(後にオーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアが加わり現在9ヵ国)。そして、表明直後に来日したオバマ大統領が、日本にも参加を促したという流れです。

――なぜアメリカはそんなローカルな協定に参加したのですか。

浜田 アジア攻略の突破口をつくりたかったのです。そもそもでいえば、リーマンショックから立ち直り切れないアメリカ経済が背景にあります。オバマ大統領が公約した雇用拡大は果たせず、貧富の差や地域間格差も拡大の一途。加えて、昨年の中間選挙で国民はオバマの政策にノーを突きつけました。なんとか国内景気を浮揚させ、雇用を拡大させなければ、2年後に迫った大統領選挙は極めて厳しい戦いになります。そのためにはやはり成長著しいアジア太平洋地域を狙うしかない。
 アジア太平洋地域は、すでに日本を含めて約170もの多国間の経済協定が網の目のようにはりめぐらされています。ところが、これまでアメリカはまったく仲間に入れなかった。そこにどうしても絡みたいわけですが、アメリカンスタンダードを押しつけられるのではとの各国の警戒感も強い。そんなとき、たまたまラッキーにもTPPがアメリカの目にとまった。しかも、参加国が親アメリカ国ばかりで、簡単に言うことをきかせられる国々だと(笑)。つまり、TPPという既存の枠組みを利用すれば、露骨な形ではなくアジアを取り込めるかもしれない…と考えたわけですね。

――アメリカの目的は日本を取り込むことだったのですか。

浜田 とりあえずはそうでしょう。韓国、中国をも取り込めればベストでしょうが…。日本を急いで取り込んだ上で、今年11月にオバマ大統領の故郷であるハワイで開催されるAPEC総会の場でキックオフを宣言するというシナリオだと思います。

――日本経団連など産業界は概ねTPP参加に賛成のようですが。

浜田 当然、輸出産業はそうでしょうね。ライバルの韓国は欧米諸国と2国間のFTA(自由貿易協定)をどんどん結んで、国際競争力を増しつつあります。だから、できるだけ早くTPPに参加して、輸出競争力を維持したいというのがメーカーを中心とした産業界の思惑です。気持ちは分かりますが、TPPは輸出産業以外の経済活動に甚大なダメージを与えることは確実です。加えて、TPPによって外資によるM&Aが容易になるので、日本の優れた技術やノウハウが次々と外国に流れてしまう事態も考えられます。そうした産業全体への影響の検証はまったく進められていません。そもそも、情報開示がなされていないなか、勢いだけで参加の道筋をつけることは、あまりにもリスクが大きい。
 私は、「質問主意書」を通じ、菅総理に「TPP参加のメリット・デメリットを明らかにして欲しい」と再三尋ねました。ところが回答は、毎回「お答えする立場にはない」です。これでは国益を守るべき国会議員として、とてもじゃないが承服するわけにはいきません。

食の安全が脅かされる?

――当然のことながら、大きなダメージを被る産業の代表格は農業だといわれています。

浜田 農林水産省の試算では、TPPに参加すると現在40%(カロリーベース)の食糧自給率が、半分以下の14%まで激減するそうです。まあ、この数字は大げさとしても、相応のダメージを受けることは間違いないでしょう。
 そもそも、日本の農産物にかかる平均関税率は世界的に見て決して高くありません。自給率40%という先進国で例を見ない低い数字は、それだけ市場を開いているということですからね。欧州各国は、食糧安全保障の観点から、農産物に非常に高い関税をかけて自給体制を守っています。また、農家への支援も日本に比べて極めて手厚いし、国民はそのことを納得している。一方、日本では「農家を甘やかすから農業が育たない」「既得権を撤廃することが日本農業の強化につながる」などという論調が幅を効かせています。日本の農業は努力が足りないと…。
 でもそれは誤りです。確かに、問題点もありますが、日本の農産物の品質は世界一だし、実際、国際的な評価も高い。我々日本人も、スーパーでは「国産」を選ぶじゃないですか。品質と安全性に信頼を寄せているからです。

――浜田さんがもっとも懸念するのは、その安全性だとか。

浜田 ええ。日本は残留農薬やポストハーベスト(収穫後に散布される農薬)、遺伝子組み換え作物などに対して、非常に厳しい基準を設けています。しかし、TPPに参加すれば、これらの規制が“非関税障壁”としてやり玉に挙げられる可能性が高い。多国間の貿易協定は規制の緩い方に合わせるのが基本ですからね。つまり、アメリカ式に適応する必要が出てくるわけです。
 いま、アメリカでは、トウモロコシ、大豆、小麦など、健康への影響がはっきりしていない遺伝子組み換え作物がどんどん市場に出回っています。ラベリングの表示義務も緩いので、もし日本市場でアメリカ式が採用されれば、消費者は、知らず知らずに遺伝子組み換え作物を口にすることにもなりかねません。

――とにかくアメリカは日本に農作物を売りたいわけですね。

浜田 そうなんです。そこに我々が踊らされてはいけない。いま、北アフリカや中東各国での混乱のベースにあるのは食糧問題です。グローバルな異常気象の頻発で食糧危機のリスクも年々増加している。危急のときに、どれだけ自国内で食糧をまかなえるか。これが国力のバロメーターだし、政治の最重要課題でもあります。
 気になるのは、今回の大災害を期に、TPP推進に拍車をかける動きが出てきていること。「外国に頼らないとやっていけないんだから、もっと国を開くべき」という声です。しかし、それこそアメリカの思うつぼ。福島原発事故もあって、アメリカは農産物を売りつける千載一遇のチャンスが来たと思っていることでしょう。

建設、医療分野にも悪影響

――農業以外の産業も大きなダメージを受ける危険性があるということですが。

浜田 建設業も危ないですね。まだまだ日本はインフラ整備が遅れていて、今後、全国で50兆円規模の公共工事の需要があるといわれています。加えて今回の大震災による復興建設特需も早晩出てくるでしょう。この巨大な需要を海外企業は虎視眈々と狙っています。
 現在、地方で行われる公共工事は、23億円以下なら海外企業に門戸を開く必要がありません。しかし、TPPがベースにしている「P4」協定では、7億6500万円以上の公共工事は海外企業にもすべての発注案件を公示しなければならないとされています。となると、行政は英文などでの情報開示が義務づけられ、煩雑な事務手続きにも悩まされることになります。日本語自体が非関税障壁というわけです。また、欧米の大手ゼネコンや建設関連業者が、労働力を人件費の安い東南アジアあたりからごそっと連れてきて工事を請け負う案件が増えてくるでしょう。現に、東南アジアでは、中国などの業者がそうした手法で次々と受注を獲得しています。そうなると当然、国内雇用の大幅な減少は避けられません。

――サービス業、ことに医療・介護の分野での影響も懸念されています。

浜田 アメリカは、日本の病院・診療所の株式会社参入の拡大を目論んでいます。外国資本が日本の医療サービス分野へ参入できるようにするためです。あるいは、アメリカの最先端医療機器や薬の認証を早め、医療特区や自由診療などで、日本人にどんどん使わせることを意図しています。つまり、TPPによる医療の自由化を進め、これらを一気に進めようというのがアメリカの思惑です。
 当然のことながら、株式会社は利益の最大化が目的です。いきおい、コスト削減はもとより、効率の良いお金持ち向けの「自由診療」に重きを置く経営がなされるようになるでしょう。一方、利益を出しにくい過疎地域などからは撤退し、医者のいない自治体がますます増えることになります。それどころか、公的保険による診療を中心とする病院がたちゆかなくなり、これまで我々が営々と築き上げてきた国民皆保険制度が崩壊する恐れさえある。

――恐ろしいですね。

浜田 さらに、コスト削減の観点から、近隣諸国から日本での資格を持たない、あるいは日本語ができない医師や看護士、ヘルパーなどを大量に雇う医療機関や施設が増加するでしょう。これは、間違いなく医療や介護の質の低下につながります。

会計サービスにも米の脅威が

――金融・保険の自由化はどうなるのでしょう。

浜田 ある意味、この分野はアメリカの最大の狙いかもしれません。当然、TPPによって、保険分野への自由参入を求めてくると思います。そして、現在の簡易保険や共済を“非関税障壁”と位置づけ、民間の保険と同様に扱うよう要求するでしょう。これは、毎年のように「年次改革報告書」でアメリカが要求し続けてきたことで、成就すれば、これまで主に国債と地方債で運用されてきた簡易保険や共済の莫大な資金が、かなりの部分外国の金融資本に流れてしまう可能性があります。
 さらに、医療分野との関連でいえば、自由診療が増大することで、その費用に対するリスクヘッジとしてアメリカの民間保険が上陸してくることが予想されます。ここでも、日本の資産が海外に流出することになるでしょう。

――会計の分野にも激震が走りそうだとか。

浜田 アメリカとの資格の「相互乗り入れ」という意味では、弁護士と公認会計士が代表的なものになります。とくに会計サービスの分野は、アメリカ、日本ともに数年後に執行が予想される国際税務報告基準(IFRS)がベースになると思われるので、相互乗り入れは弁護士よりも容易になると思います。
 IFRSは欧州でつくられましたが、実はアメリカの4大監査法人が設定母体に出資しており、裏で操っています。エンロン事件で失墜したアメリカの会計業界が考えた姑息な手段といえなくもない。まずそこが大きな問題です。それから、IFRSの内容を簡略化していえば、市場価値のある資産は時価評価し、そうでないものはコンピュータシミュレーションで将来収益を予測するというものですが、これは、日本企業にとって大変なコスト負担になります。会計制度自体を大きく変える必要があるとは誰も思っていないにもかかわらず、“これがグローバルスタンダードだ”というキャッチフレーズに日本企業は弱く、すでに、IFRS対応のために人とお金をかけはじめています。今後、コンサルティングやソフト開発の分野で、アメリカ企業の売り込みが本格化するでしょうし、日本がTPPに参加すれば、会計サービスはかなりの部分がアメリカ勢に占拠されるかもしれません。

2国間のFTAの方がベター

――現状として、日本がTPPに参加する可能性はどれくらいあるのでしょう。

浜田 菅首相は6月に参加するか否かを表明する予定でしたが、今回の震災で先送りになりました。いずれにしても、現在の状況では参加は難しいのではないかと考えています。というのも、地方自治体の大部分が、反対あるいは慎重姿勢を示しているし、参加9ヵ国の間でも“例外条項”をめぐっての駆け引きが続いているからです。アメリカでさえ保守派のいわゆる“ティーパーティー”がTPPに反対の姿勢を示していて一枚岩とはいえません。
 ただ、今回の国家存亡の危機を突破する切り札としてTPPを位置づけ、「戦後焼け野原から奇跡の復活を果たしたように生まれ変わろう」というスローガンで政府が突っ走ったなら、ひょっとしてという懸念はあります。それが一番恐いですね。

――TPPのほかに、経済のグローバル化に対応する手段は?

浜田 私は、韓国がEUやアメリカとの間で交渉しているような2国間でじっくりと条件をつめるFTAが妥当だと思っています。逆に、なぜFTAではダメなのかと言いたいですね。ただ、TPPのような多国間協定でも、日本の国益を十分に考えた上でじっくりと交渉を重ね、戦略的に参加するのであればとくに反対する理由はありません。が、今回は中身の分からない福袋を見せて「きっと良いモノが入ってますよ。買ってください」ですからねえ…。
 経済産業省は、日本がTPPに参加した場合、2.4兆~3.2兆円の経済効果が期待でき、GDPが年間0.48から0.65%伸びるといい、一方で、農林水産省は、農業分野だけで8兆円近いGDPの損失が出ると主張しています。少なくとも、プラス・マイナスでいえばマイナスになる可能性が十分にある。要するに、そんな国益を左右する大問題に、「バスに乗り遅れそうだから」というだけの理由で参加するのはいかがなものか…というのが私の基本的な考え方なんです。

(インタビュー・構成/本誌・高根文隆)

掲載:『戦略経営者』2011年5月号