高級品だったシュークリームをはじめて庶民のお菓子として広めた老舗企業、「洋菓子のヒロタ」。そんなヒロタが2001年10月に経営破綻してしまう。その“再建請負人”として立ち上がったのが、21LADY(トゥエニーワンレイディ)の広野道子社長。その後、見事な手腕でヒロタの再生を成功に導いたことから一躍脚光を集めた。広野社長にヒロタ復活の道筋と企業再生の持論について語ってもらった。
- プロフィール
- ひろの・みちこ●京都府生まれ。関西学院大学卒業後、大手コンサル会社ベンチャーリンクに入社。その後、数多くのFC事業のコンサルティング業務に携わる。2000年3月に現在の21LADYを創業。ライフスタイル産業の総合支援に乗り出す。02年6月から、経営破綻した「洋菓子のヒロタ」(現100%子会社)の再建スポンサーとなり、復活に導く。
再建スキームの柱は9割が赤字の直営店再生
広野道子 氏
――企業再生の支援をする21LADYの広野社長は、経営破綻した「洋菓子のヒロタ」をわずか3年で立て直しました。もともと関西出身の広野社長にとってヒロタは馴染みのあるブランドだったとか。
広野 子供の頃からシュークリームといえばヒロタでしたね。関西人にとってはそれくらい馴染み深いブランドなんです。そんなヒロタが経営破綻したという事実を聞かされたときは正直驚きました。
――ヒロタが業績不振に陥った理由はどこにあったのですか。
広野 バブルのときに新工場への過大な投資をしたのが大きな要因です。担保さえあればお金を貸すという金融機関の後押しもあって東京・江戸川区に50億円もの費用をかけて新工場を建設したのですが、それがバブル後の消費低迷のなかで重い足かせとなっていったようです。
他にも、経験のない新規事業への参入が裏目に出たという理由もあります。本業の洋菓子販売の不振を補おうと、喫茶店やパスタ料理のチェーン事業に多額の資金を注ぎ込んだものの、成果はいまひとつ。結局、95年の阪神大震災によって主力の関西地方の工場が使えなくなったのをきっかけに経営が立ち行かなくなったのです。それで、2001年10月に民事再生法の申請に至りました。
――そのときの再建スポンサー募集に対して、21LADYが手を上げたわけですね。
広野 ええ。全部でおよそ15社がスポンサー候補として名乗りを上げました。いずれも21LADYよりもはるかに規模が大きくて実績のある会社ばかり。常識的に考えれば当時まだ無名の21LADYが選ばれるわけはありません。それでも私たちが選ばれたのは、あくまでヒロタのブランドを残して会社ごと引き受けて再建させるスキーム(計画)を提案していたからでした。他の投資ファンドやベンチャーキャピタルが主張していたのは、資産の“切り売り”による再建プラン。ヒロタの二代目、三代目を中心にする旧経営陣はそれを快く思わなかったのです。21LADYがヒロタを100%子会社化するかたちでスポンサー契約を結びました。
――そこから広野社長のヒロタ再建ストーリーが始まります。
広野 私が思い描いたヒロタ再生の基本方針は、一言でいえば「本業回帰」。新規事業から足を洗い、ヒロタの主力商品である4個入りオリジナルシュークリームやシューアイスを徹底的に売るというシンプルなものです。その方針のもと、直営店の建て直しを図ろうと考えました。かつて銀行の人たちは、9割が赤字にある直営店の全廃を求めていたそうですが、私はその逆をやろうとしたわけです。
再建スポンサーとして正式に手を上げる直前に、首都圏や京阪神にある直営店の様子を見て回ったのですが、どこもひどかった。店のレイアウトは今のトレンドとは逆行するようなもので、オシャレなイメージとはほど遠い。あんな店構えでは、若い女性は絶対に入りませんよ。さらに接客も最悪。直営店のなかで売上上位の新橋駅前店でさえ、私がお店に入って商品を見ていても「いらっしゃいませ」の一言もないんです。店内には年配の男性スタッフがいたのですが、カウンター内で何やら事務作業をしているだけでお客を完全に無視している。本当にあきれてしまいました。ただ、立地に関してはどの店もまずまずだった。出店場所のコンセプト自体は悪くなかったのです。これならば、うまくやればお客を増やせると思いました。
――その具体的な方策は…。
広野 ハード(店舗)とソフト(人員)の両面から改善を図りました。ハードに関しては、店舗リニューアルを通じて「私たちが自分でも入りたい、買いたい」と思えるような女性消費者の視点に立った売り場づくりを目指しました。例えば、シンボルカラーの変更がその一つ。以前は黄色とオレンジを基調としたレイアウトでしたが、それをブルーと白に変えました。消費者アンケートを実施したところ「時代遅れで古くさい」という回答が多かったからです。ブルーと白は、もともとヒロタが創業当時から使っていたシンボルカラー。それを前社長がCI導入を期に変えたのですが、また元に戻したわけです。他にも、「HIROTA」のロゴマークを創業時に近い書体に改めたり、ロゴの下に「since1924」と加えるなど、老舗・ヒロタのブランドイメージを最大限に利用する工夫も行っています。
――ソフト面の改善については?
広野 大幅な配置転換を実施して、能力のあるスタッフを登用しました。以前のヒロタは典型的な年功序列の人員配置で、長く会社にいる社員ほど大きな店に配属されていたり、若い女性客の好みなどわかるはずもない年配の男性が本社から現場を管理している状態でした。そうした組織をフラットなものに変えて、中堅以下の若手社員、特に女性スタッフに権限を委譲する体制にしていったのです。
先述した新橋店についても、男性社員に変えて、現場を熟知した女性社員をストアマネージャー(店長)にしました。コアの購買客である女性に受け入れられる販売体制を築くためには、同じ女性を積極的に活用するべきだというのが私の持論です。結果的に、直営店のストアマネージャーの90%が女性となりました。また、複数の直営店を統括するエリアマネージャーについても、ヒロタ再生に高い意欲を持つ女性社員を抜擢し、大きな権限を与えています。
テコ入れ策が功を奏し6ヵ月後には黒字化達成
――女性社員を集めて商品アイテムの絞り込みもしたそうですね。
広野 経営破綻した当初、ヒロタが扱っていた商品は約150種類。明らかに多すぎです。他の洋菓子店でヒットしているというケーキ類や焼き菓子等をただやみくもにラインナップに加えていった結果でした。そこで、20代女性を中心にしたヒロタと21LADYの社員7、8人を集めて「試食・判定会議」を開き、最終的に60種類まで絞り込みました。商品数を減らしたことで主力商品であるシュークリームとシューアイスが店頭でより目立つようになり、ヒロタの方向性を消費者に明確に打ち出せるようになったと思います。
――広野社長の様々な取り組みが最初に目に見えて現れだしたのは、地下鉄駅構内にある直営店だったとか。
広野 ええ。いわゆる「駅ナカ」の店です。店舗リニューアルは約60店あるうちの30店を選出し、3ヵ月以内に全面改装することにしたのですが、最優先したのが大勢の人たちが毎日行き来する大手町、永田町、表参道の駅ナカ店でした。以前はまるで目立たず、キオスクと間違えるぐらいに存在感のない店でしたが、それを明るいイメージに改装するとともに、販売スタッフの積極的な“声掛け”によって多くの人たちの関心を引くように努めました。その効果はすぐに現れ、3店とも売上が2倍、3倍と急激に伸びだしたのです。その成功が他の店にも波及したことから、再生スタートからわずか半年間でヒロタは黒字化を成し遂げました。
――立地のよい店を数多く保有しているのは、老舗企業ヒロタならではの財産といえます。
広野 大阪にはJR駅構内にヒロタの店がありますが、それは創業者の廣田定一氏が当時の国鉄総裁と仲が良かったからだそうです。今は駅ナカに出店するのはなかなか難しく、どの企業もそう簡単にはできません。こうした他社が羨む経営資源があるにもかかわらず、以前のヒロタはそれを活かしてこなかったわけですね。ヒロタのシュークリームはブランド力もあるし、美味しさにも定評がある。そのうえ立地もよいとなれば、プロモーションの手法さえ間違えなければ確実に売れるはずなのです。
私がヒロタ再生のなかで意識して行ってきたのは、「本業回帰」「基本の徹底」「顧客の視点」といった、誰もが言っている当たり前のことを社内に浸透させることでした。そのなかで、「シュークリームを作って売ること自体には間違いがなかった」という点を強調しながら、社員のやる気と自信を呼び起こしていったのです。店舗リニューアルや商品の絞り込みといった顧客の目に映る変化よりも、ヒロタ再生を実現できたのはこの部分が大きかったと思います。当初5ヵ年でスタートした再建計画を2年前倒しし、2005年7月に民事再生手続きの終結を迎えられたのは、ヒロタ社員が懸命に頑張ったからに他なりません。
ダイエー再建に必要なのは「中内商法」への原点回帰
――あらためてお聞きしますが、広野社長の企業再生の理念とは?
広野 「創業の精神」と「経営理念」を大事にするということです。ヒロタに限らず、他の傘下企業である「CHOUFACTORY(シューファクトリー)」(焼き立てシュークリーム専門店)や「HUB(ハブ)」(英国式パブ)の再生を手掛けるなかでも、その考え方をずっと持ってきました。「何を目指して事業を展開しているのか」「創業のときの思いは何だったのか」ということを忘れると、会社というものは本末転倒になる。逆に、それを徹底的に追求することで、会社の向かう方向性と従業員一人ひとりが目指す方向性が定まっていきます。そして、その方向性に合わない人たちが離脱していくと、あとは同一のベクトルで全員が頑張れる。
――確かに業績不振にあった多くの企業が、本業以外の事業に手を出して失敗しました。
広野 あの手この手でいろいろやろうとしてもダメなんですよ。もっとシンプルに、本業のなかで圧倒的に強いオンリーワンは何かというところを追求していくことが大切です。シンプルなことができない、あるいは見失っている企業が多いのです。日本経済が不振を極めたとき、老舗企業がバタバタと倒れていきましたが、この部分が共通してみられました。老舗企業は何代も続くうちに、創業時の精神を忘れてどこかであぐらをかいてしまう。まず初代の社長がもの凄く頑張るわけですよね。で、二代目になって守りに入る。そして三代目になっていろいろ違うことをやって潰れてしまう。ヒロタがまさにこのパターンでした。存続している老舗企業は、本業の基盤をしっかり固めながらも、そのうえで新しいことにチャレンジしています。
――広野社長は最近、『ダイエーを私に売ってください。』(徳間書店)という著書を出しましたが、ダイエーも大型スーパーの老舗企業といえます。
広野 ご存じの通りダイエーは、創業者の中内功氏が二代目に跡を継がせようとするなかでだんだんとおかしくなりました。現在は、丸紅の支援の下に再建を目指していますが、どういう戦略で立て直すかは興味があるところです。もし仮に私がダイエーの再建をする立場だったら、中内氏の精神にきちんと戻るということを最重要課題にします。だから先日行った会社のマークの刷新などはナンセンスで、「主婦の店」という基本理念に立ち戻った店作りに取り組むべきです。
顧客の視点で考えたときに、あの店では私も消費者として行きたくありません。最近のスーパーマーケットは意外とグルメ志向で、高付加価値の商品が置いてあります。消費者にとってはそうした商品を探すのが楽しいのですが、ダイエーにはそれが全然ない。ただありきたりの商品を安く並べているだけです。他方、三越を抜いて小売業売上日本一を誇っていた「中内商法」全盛の頃は、その時代の消費者ニーズより少し先を行く提案をしていたといえます。今は半歩先ではなく、三歩ぐらい後に下がっている状態ですよ。特に女性は、よい商品だと認めれば高い値段でもお金を惜しまない一方で、安くても魅力を感じなければ買わないという傾向がある。ダイエーはその心理をわかっていないのではないでしょうか。ダイエーで働くパート主婦のなかにも「ダイエーでは買わない」という人がいるかもしれません。いずれにしても、小売業やサービス業が売上を伸ばそうとしたら、家計の大半を握っている女性の心理を読み取ることが必要です。
女性スタッフを「プロの消費者」として活用
――女性客の支持を集めるためには、何が大切だとお考えですか?
広野 例えば、会社には女性スタッフが大勢いるのだから、彼女たちを「プロの消費者」として活用することがあると思います。ダイエーの場合なら、パート主婦の意見を吸い上げる仕組みを築けば、今よりずっと顧客ニーズに見合った商品を店に並べられるようになるはずです。
ちなみにヒロタでは、社員に対してアンケートを頻繁に行い、商品開発や店舗運営の意見を集めています。現在、シュークリームやシューアイスの季節限定品や新商品の販売に力を入れていますが、それらの商品企画のなかで社内アンケートが重要な役割を果たします。一例を挙げれば、最近の新商品である『黒蜜黒豆』というシューアイス。「黒糖を使った商品はどうか」というストアマネージャーのアイデアから生まれました。さらに、それら新商品をどうプロモーションしていくかについてもアンケートすることがあります。
アンケートは本部の営業推進チームが中心になって実施しており、そのメンバーがアンケートの企画を考えます。営業推進チームの男女構成比は、6対4で女性が多い。年齢は20~40代がほとんどです。つまりヒロタのコアターゲットであるお客さんの年齢層に合わせているわけです。
――最後に、いま業績不振に苦しんでいる中小企業経営者にアドバイスをお願いします。
広野 やはり自分たちの会社を外から見たときに、何がオンリーワンの強みになるかをもう一度見直すことをお薦めします。そこを徹底的に磨くことが業績改善につながるはずです。私の座右の銘は、「温故知新」。「過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらく」という意味です。この言葉の通り、会社の原点に立ち戻り、どうすれば顧客の信頼を得られるかに配慮しながら新しい取り組みを行っていけば、大きく道を外れることはないと思います。
(インタビュー・構成/本誌・吉田茂司)
掲載:『戦略経営者』2006年9月号