いまや15人に1人がうつ病を患う時代。従来型経営のままでは、人材が限られる中小企業は早晩深刻なリスクファクターを抱え込むことになるだろう。適切かつ早期の対応が求められる。

 気分の落ち込みや自責の念がいつまでも続き、とてもじゃないが働く意欲がわかない…。うつ病をはじめ、「心の病」で悩んでいる社員が増えている。社会経済生産性本部メンタル・ヘルス研究所が2006年に実施した調査でも、回答した上場企業218社のうち61.5%が心の病を発症する社員が「増加傾向」にあるとした。しかしこの傾向は、なにも大企業だけに限ったことではない。厚生労働省が今年1月、東京都内の中小企業を対象に行ったアンケート(有効回答・55事業場)では、「抑うつ状態」とみられる従業員の割合が約25%にのぼった。過去の調査では13~18%。高い数値といえる。経営者ならすでに薄々感じていると思うが中小企業でも同様に、メンタルヘルス不全の社員が増えているという実態があるのだ。

 気付いていない中小企業経営者も多いようだが、うつ病社員の増加は会社にとって大きなリスク。メンタルヘルス対策を疎かにしていると、いずれ手痛いシッペ返しを食うことにもなりかねない。というのは、会社には社員の心の健康を守らなければならないという「安全配慮義務」があるからだ。近年、心の病をわずらっての過労自殺者が増えていることもあり、この安全配慮義務が厳しく問われるようになっている。職場のストレスでうつ病などの心の病にかかってしまった社員が裁判で過労自殺だと認定された場合、企業の安全配慮義務が不十分だと見なされると平均1億円もの賠償金を支払うはめになる。

 2003年3月、最高裁は職場のストレスでうつ病になった社員の自殺で初めて企業に損害賠償責任を認める判決を出した。いわゆる「電通裁判」だ。これを機に「社員が心身の健康管理を怠ったのが原因」という企業サイドの言い分が通らなくなった。続く「オタフクソース裁判」や「ニコン・ネクスター裁判」でも同様の判決がなされている。ちなみに電通が裁判により自殺社員の遺族に支払った損害賠償金と遅延損害金の総額は約1億6860万円。大企業であれば1億円以上の損害賠償金を払っても経営危機に陥ることはないが、中小企業の場合はそうはいかない。一発で会社が傾く恐れがある。

 また、企業に勤める社員が労災補償を請求するケースがここ数年で急増していることをご存じだろうか。1999年に旧労働省が「心理的負荷による精神障害にかかわる業務上外の判断指針」を示したことで、職場のストレスで精神疾患になった社員に対して労災が認定されるようになったのがその背景にある。06年度における精神障害等による労災請求の数は819件と、その4年前の2倍以上に増えている(図〔『戦略経営者』2007年10月号9頁〕参照)。今の若い社員の会社に対する帰属意識は、昔に比べてだいぶ希薄。「泣き寝入りはしない」という姿勢をむき出しにする社員が大勢いることを覚悟しておかなければなるまい。

 ともあれ、仕事のストレスで社員がうつ病になれば会社が責任を負う時代に変わってきているのは確か。いつまでも「うつ病は個人の問題。会社が面倒をみる必要はない」という古い認識のままではまずいのだ。

メンタルヘルス対策は「利益」につながる

 ここで、うつ病について簡単に説明しておこう。うつ病は医学的にいうと、「脳という臓器」の不調によって発症する病気。脳内における神経細胞が無数のネットワークを形成することで、人は複雑な思考をしたり行動ができる。ところが神経細胞同士のネットワークに欠かせないセロトニンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質の機能が低下すると、脳の働きが悪くなって結果的に思考力が落ちたり、意欲がどうにも湧いてこなくなる。それがうつ病なのだ。

 つまりうつ病は、神経伝達物質の代謝障害。強いストレスや慢性的な睡眠不足によりその状態になりやすい。しかし現在は、神経伝達物質の代謝を改善する薬が何種類も開発されており、ベストな薬を見つけて治療すれば半数以上が3ヵ月以内に回復できる。9割以上の患者が1年以内に回復しているという医学的データもある。にもかかわらず、うつ病社員を辞めさせようとする会社や、「会社に申し訳ないから」と言って辞表を出そうとする社員が多いのは、うつ病はすぐには治らない病気だという変な誤解があるからではないだろうか。まずはその認識から改めなければならない。

 うつ病が短期間で回復できる病気だとすれば、うつ病社員を安易に辞めさせてしまうのはコスト的にかなりもったいないといえる。その社員を一人前にするために費やした時間、給料、労力がすべてムダになるからだ。よく考えてみてほしい。新しい人材を一から育てるよりも、今まで第一線で活躍してきた社員を復帰させるほうが低コストですむ。それに、うつ病社員をしっかりバックアップする会社の姿勢を見て、他の社員たちが「従業員を大事にする働きやすい会社」だと思ってくれれば、社内の士気は高まる。つまりメンタルヘルス対策は利益につながる活動でもあるのだ。「業績を上げるために」「社員の士気を高めるために」「もっと儲けるために」といった具合に、前向きな気持で取り組んでみてはいかがだろうか。

 ところで、なぜうつ病社員が増えだしたのか。とりわけ多いのが30代の社員である。その一因として考えられるのは、職場環境の変化だ。たとえば「成果主義」の急速な進展。職場内に競争原理が働くようになり、隣の同僚もライバルとなった。社員同士の助け合いの意識が減ったギスギスとした職場環境のなかで、ストレスをため込んでしまう社員が多いのである。他にも、就職超氷河期のなか企業が新卒採用を絞ってきたため、今の30代社員は後輩ができず、いつまでも立場が末端だったということも理由の一つにあげられるだろう。実際、上から押しつけられた仕事を何とかこなそうと無理を重ねるうちに心を病んでしまったケースが目につく。

 また、メンタルヘルス不全の社員をたくさん生み出す“ハイリスク職場”に共通していえるのは、長時間残業により睡眠不足に陥っている社員が多いことである。次の2つの項目のうち、いずれも当てはまる社員が多いようなら、社員のメンタルヘルスが崩れる危険信号とみてよいだろう。
(1)睡眠4時間以下が20週以上も続いている。
(2)時間外労働が月100時間を超えている。あるいは2~6ヵ月の間で時間外労働時間が月平均80時間以上になっている。

 本来、健全な「社員の心の健康」を守るには、1日平均7時間前後の睡眠が必要。睡眠時間が20週にわたって4時間を切るような状況が続けば、心の病の発症率が80パーセントに跳ね上がるという。こうした点に考慮して2006年4月、労働安全衛生法が一部改正された。常時50人以上を雇用する事業者は、月100時間を超す残業をした従業員が申し出た場合、医師の面接指導を受けさせることが義務付けられるようになった。これは法的な義務である。裁判や労災のときに不利にならないためにも、しっかりとした対応が望まれる。

心の病を引き起こさない職場づくりのポイント

 うつ病社員を出さないための“予防”にあたり一つお勧めしたいのが、全社員を対象にした「メンタルヘルスチェック」である。それをメンタルヘルス対策の担当者が定期的におこなう。例えば、「朝、新聞を読んだり、インターネットを見る余裕がなくなっていませんか?」「興味があったことに、喜びを見出せなくなっていませんか?」「最近、集中力が続かなかったり、物事が決められなかったりしていませんか?」などの質問項目を列記したチェックリストを作り、従業員の健康状態を把握するのだ。Eメール等をうまく利用すれば、それほど面倒な作業ではないと思う。

 また、うつ病には「仕事の能率が明らかに落ちている」「夕方から少し元気になる」「気分にムラが出てきた」「笑わなくなる」といった典型的な兆候パターンがあるので、日頃から上司が部下の様子に気を配っておくことも大切である。

 もし、それなりの費用を掛けてでも社内のメンタルヘルスケアを充実させたいというなら、「EAP」(従業員支援プログラム=Employee Assistance Program)を利用するのも効果的だ。EAPとは簡単にいうと、従業員が抱える業務以外の問題について専門のカウンセラーが相談に乗り、ストレスや心の重荷を軽くしてあげる福利厚生サービスのこと。社外のEAPサービス業者にアウトソーシングするのが一般的で、その費用対効果が認められたことから外資系や大企業の多くが導入している。「電話相談窓口の提供」や「求職者への復帰支援の実施」など、従業員にとって働きやすい職場環境をつくるサポートをしてくれる。

 EAPを提供するサービス業者はいくつもあるが、その選定ポイントとして注目すべきなのは、うつ病専門医がいる医療機関と提携しているかどうか。心療内科医とだけ提携しているところも多いが、うつ病社員のなかには高いレベルの医療支援が必要になるケースもあるので、できれば専門医のアドバイスが得られるEAPを選んだほうがよい。

 しかし資金不足にいつも頭を痛めているような小さな会社の場合、予算の確保が難しいためEAPの導入にはなかなか踏み切れないかもしれない。そんな企業にこそ目を向けてほしいのが、公的な社会資源である。たとえば健康保険組合や保健所などの無料電話相談サービスなどを見つけて、社員にその利用を促す。都道府県の「産業保健推進センター」に問い合わせれば、その辺りの有益な情報をきっと与えてくれるはずだ。あるいは従業員数50人未満の中小企業ならば、医師・保健婦などが健康相談や産業保健サービスを無料で提供してくれる「地域産業保険センター」の利用価値も高い。

復職支援は慎重に再発防止の配慮が不可欠

 いくら予防に努めたとしても、うつ病社員が出るのはある意味仕方ない面がある。「風邪」のように誰もがかかるのがうつ病だからだ。現在、うつ病患者は15人に1人いて、7人に1人が生涯に1度はうつ病にかかるといわれている。しかしうつ病は、自殺によって「ガン」よりも多い死亡者を発生させている厄介な病気。うつ症状のある社員に適切に対応し、最悪の事態をいかに回避するかも企業に託された大事な課題である。

 うつの社員に対し上司が絶対にやってはいけないのは、説教や根性論で叱咤激励すること。部下を励ましたいという気持ちからだとしても、さらに精神的に追い込むことになるので絶対に避けるべき。それよりもむしろ、とにかく十分な休養を取らせることが肝心だ。

 社員が医師にうつ病と診断されれば、たいてい休職することになるが、医師からの禁止がない限り、定期的に連絡してあげたほうがよい。社員に「会社は君を見捨ててはいない」と安心感を与えるためだ。ただし本人がそれを望んでいない場合は、その意向を尊重して、本人ではなく家族に定期連絡をするにとどめるべきだ。

 そして、薬物療法などを経て病状が回復し、職場復帰を考えはじめた社員を応援することも会社の大切な役割といえる。注意したいのは、職場復帰のタイミング。社員の主治医が「復職可」の診断書を出したとしても、それをすぐに鵜呑みにするべきではない。とかく医師は「症状が治まった=会社で働ける」と考えがちだが、実際の現場できちんと働けるかどうかは別モノ。「障害者職業センター」で無料の職能判定・適職判定を受けてもらい、仕事をこなせるレベルにあるかを客観的に見極めるといったステップを踏んでから職場復帰を進めたほうが病気の再発防止に役立つ。

 また、医療機関や行政、民間などによる「復職支援プログラム」を積極的に利用し、職場復帰のリハビリとともに、メンタルヘルス不全に陥らないためのセルフケア法などを学ばせたうえで復職させるというステップを踏ませるのもお勧めだ。

 なお、会社に復帰してからは、その社員を受け入れる部署のメンバーに理解を促して、最初のうちは補助的な仕事を負担の掛からないかたちでやってもらうような措置をとることも大切。その後、少しずつハードルを高めていけばいい。とにかくあせりは禁物だ。

(インタビュー・構成/本誌・吉田茂司)

掲載:『戦略経営者』2007年10月号