中小企業経営者にとって「新市場参入」は、勇気のいる行為であり、ある種の「賭け」でもある。慣れ親しんだフィールドを離れ、勝手のわからぬ環境で、自らのポテンシャルを十全に発揮するには、よほどの覚悟と計画性、加えて運が必要だということは想像に難くない。とくに経営資源の少ない中小企業では、新規市場参入に必要な製品開発費やマーケティングコスト、携わる人材などヒトモノカネの不足が悩ましいところではある。とはいえ、少子高齢化や生産人口の減少、低成長社会という確実な未来に抗しつつ、企業体を継続させるには、新市場を見据えた商品戦略はマスト。そうした二律背反的ジレンマをどのように乗り越えていけばよいのだろうか。
国も「事業再構築」の掛け声のもと、補助金制度を拡充しながら中小企業にビジネスモデルの改変を含めたイノベーションを求めている。また、産業界の99%を占める中小企業経営者が、自社の事業を見直し、強み弱みを分析するとともに、新たな市場や顧客へのアプローチを模索していくことが、日本経済の行く末に良い影響を及ぼすことに、誰しも異論はないだろう。その意味で、多少のリスクをとってでも、新市場参入にチャレンジする中小企業を後押しする勢力の拡大、雰囲気の醸成が、今後ますます必要になってくる。
何をもって「新市場参入」なのか
では、何をもって「新市場参入」というのか。これについては経営学者であるアンゾフの「成長マトリクス」が参考になる。上図(『戦略経営者』2024年2月号P7)を参照してもらいたい。アンゾフによると、企業の成長戦略には、①市場浸透②新製品開発③新市場開拓④多角化の4つがあるとしている。①は既存製品・サービスを既存市場により浸透させる②は新製品・サービスを開発し既存市場に売り込む③は既存製品・サービスを新市場に売り込む④は新製品・サービスを新市場に売り込む……という戦略である。
新市場参入という意味では、③と④がそれにあたる。③はマーケティング戦略や「売る力」が成功のカギとなり、もちろん効果を上げることもあるだろうが、成熟市場ですみ分けができている性質のいわゆる「伝統的製品」では、難しい面もある。
一方、「多角化」に当たるのが④であり、これは、新製品の革新性や市場の選択によっては、大きな成果を上げることができる。つまり、これまでにない製品を開発し、後発の追随がむつかしいニッチ市場に投入するのである。これもまた、開発力とマーケティング力が求められ、③以上に困難を伴う。
しかし、困難であればあるほど、戦略がはまったときのリターンも大きい。
多角化にはコストがかさむというデメリットもある。まったくの新しい製品・サービスを右も左もわからない市場に投入するとなれば、開発やマーケティングコストがかさむからである。しかし、一方でリスクの分散というメリットもある。多角化によって本業外の収益源を確保することになり、事業環境の変化によって既存製品・サービスの売り上げが減少しても、それを補うことができる。また、ビジネスモデルには寿命があるので、新事業に手を伸ばしていくことは、企業の若返りを促進するという意味でも効果がある。
多角化をめぐる4つの形
もちろん多角化のなかにも濃淡のグラデーションがある。アンゾフによると、多角化には、水平型、垂直型、集中型、集成型の4つがあるという(『戦略経営者』2024年2月号P7 図表参照)。
水平型とは、既存事業と類似した市場に既存のノウハウを生かしながら新製品・サービスを投入する手法である。つまり、隣接した市場に「水平に」拡大するイメージだ。これは比較的「着手しやすい」多角化戦略であり、既存製品と新製品のシナジー効果がもっとも高くなるので、中小企業が、最初に検討すべき手法なのかもしれない。
垂直型とは、新しいノウハウをベースに開発した製品・サービスを、類似した市場に投入する手法。製造業が非製造業を買収して既存顧客周辺に販売するケースなどが考えられるが、自らが所属するサプライチェーンの川上や川下に、新製品・サービスを投入することで、顧客層のすそ野を広げていく手法も垂直型の一例だ。既存の顧客の周辺に売り込むことになるので、事業の拡大はしやすいものの、新たな設備投資やノウハウが必要になる場合もあり、水平型よりもリスクは高くなる。
集中型とは、既存の経営資源やノウハウを生かした製品・サービスを新しい市場に投入する手法。既存製品の延長線上の製品・サービスなので、比較的開発には苦労しないが、水平型や垂直型と違い、まったく「新しい」市場や顧客に投入するので、販路開拓などのマーケティングが重要になってくる。
集成型とは、製品・サービスも新しいもので、集中型と同じくまったく違う市場に参入する手法。これは、すべてにおいてノウハウのない分野での事業になるため、中小企業経営者にとってハードルはもっとも高くなる。このハードルを低くするには、コストを払ってノウハウを買う「フランチャイジー」として新市場に参入する形が一例として考えられる。
さて、今特集では、計4つのケースを取材し、新市場参入のエッセンスについて掘り下げる記事を掲載しているが、それぞれについて簡単に紹介しておこう。
広告事業から畑違いの農業へ
ケース1のエスアンドエムは、まさにアンゾフの「成長戦略」でいえば、④多角化の典型例であり、また、多角化のなかでも「集成型」という技術的にもっとも困難なカテゴリーに分類される。
同社の八須賀松夫社長は、広告事業などに携わる経営者で、農業とはほど遠い世界にいた人物。体調を崩した時に主治医とかわした「規則的で身体を動かすから(農業は)健康に良い」という何げない会話が、農業に興味を持ったきっかけだったという。農業は、エコロジカルなイメージから、比較的参入を志す経営者が多く、ノウハウがオープンであったことも、八須賀社長の決断を後押ししたのかもしれない。とはいえ、その後の参入への周到な準備と行動力には、成功への必然が隠されている。
何度も門前払いをくいながらも、ミツバ農家に頼み込み教えを請うこと1週間。ようやく許しを得て9カ月に及ぶ実作業を経験。一方で県内外の栽培施設の見学を実践。必要な設備について徹底的にリサーチした。その後、緻密な経営計画を策定して金融機関との交渉を行い、タフネゴシエートの末に1億円近い融資を獲得する。
今年度は1億2,000万円の売上高を見込んでいるエスアンドエムは「集成型」の高いハードルを、八須賀社長の徹底した事前準備で乗り越えたのである。
現状維持は衰退の始まり
ケース2の茨城木工は、やはり④多角化のなかの「集中型」の好例だ。同社は碁盤・将棋盤の製造で国内トップシェアを誇る。泉謙二郎社長は筋金入りのサウナ好き。新型コロナが流行ったことで、ソーシャルディスタンスが求められるようになり、サウナも例外ではなくなった。人数制限が設けられて気軽には立ち寄れなくなったのである。そこで泉社長は、自社の木工技術を活用してサウナを製品化しようと考えた。バレルサウナの製作である。リラクゼーションが見込めるヒノキでつくり、サウナ好きの泉社長のアイデアもふんだんに取り入れた。折からのサウナブームに合致したこの製品の売れ行きは絶好調だという。「現状維持は衰退の始まり」という泉社長の言葉が印象的だ。
自社技術を生かした製品開発
ケース3は、岩石を砕く破砕機の製造・販売を生業にしてきた晃立工業。岩を砂サイズまで砕く技術を生かしたマルチメディアシュレッダーが好評である。これも④多角化・集中型の例だ。情報媒体を復元不能なサイズにまで砕くシュレッダーは、いまや外資系企業や行政機関などから引く手あまた。やはり、苦労したのは販売ルートである。新製品へのニーズを確信していた福廣匡倫社長は、大手事務機器メーカーと接点を得て展示会に出展したり、一般オフィス向けにコンパクトモデルを開発したりと、数年間に及ぶ試行錯誤を繰り返す。結果、いまや堂々たる同社の主力製品となっている。
顧客のすそ野を広げる
ケース4の石塚は、文具雑貨の加工事業から、冷却効果を高める小売店向けのビニールカーテンの製造・販売へと転換しつつある企業。このケースは、すでにあった製品をブラッシュアップするとともに新たな市場に拡販していった例で、アンゾフの成長戦略でいうと④の多角化と③の市場開拓の中間型。販売ルートは主に工業用資材を扱う通販サイト。小売店以外にも食品、化学製品、鉄鋼、自動車など、多様な工場で採用されており、目的も空調効率の向上から防虫、風雨対策までさまざま。顧客のすそ野の広がりが、そのまま自社のリスクヘッジ、経営の安定につながっているのだという。
こう見てくると、中小企業の多角化の成功例として目立つのは、「集中型」である。つまり、自社技術・ノウハウを活用して新製品・サービスを開発し、それをまったく新しい市場に投入するという手法だ。しかし、このタイプに固執する必要はない。「水平型」や「垂直型」の方が、むしろ検討しやすいし、エスアンドエムのような「集成型」も、経営者の熱意と行動力があれば可能である。
重要なのは、経営資源を含めた自社の強みと弱みを分析し、経営者が覚悟を持って取り組める事業を選び取ること。選び取った後は、全社一丸となって突き進むことだろう。次ページからのケーススタディで、そうした機微を感じ取ってもらいたい。
(本誌・高根文隆)