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128年もの間、伊賀の山深い郷でこだわりの醤油を造り続けてきた福岡醤油店。 幾たびかの廃業の危機を乗り越え、企業としての力を着実に蓄えてきた。今、さらなる飛躍に向けた体制を整えつつある。

川向美香社長

川向美香社長

「私の最大の仕事は、後継者である双子の娘2人に家業をスムーズに承継することです」と話すのは、4代目の川向美香社長。創業128年を誇る福岡醤油店のトップであり、夫である3代目の川向啓造氏(現顧問)から、経営を引き継いだのは2年前のこと。

「社長を任されるとは思いもしなかった」という美香社長だが、伝統の製法を守りながら「攻め」の経営を実践する経営者としての顔も板についてきた。

 引き継ぐ側の2人は伶実さん(次女)と志季さん(三女)。一卵性双生児だが、大学では伶実さんは理系に進み遺伝子について研究。さらに1年間、発酵・醸造についても研究した。一方、文系の志季さんは商学部で経営学を学んだ。

「性格も全然違う」(美香社長)という2人が、伊賀市島ヶ原という山深い郷で、それぞれ同社の製造と販売を担当するというのだから、まるで創られたドラマのストーリーのようである。しかし、それも、福岡醤油店の「100年蔵」に入って歴史の醸し出す空気を体感してみれば、なぜかしっくりとくるから不思議だ。

伝統の製法で「深み」のある味を

厳選された丸大豆のみを使用し「百年蔵」で行われる伝統の醤油づくり

厳選された丸大豆のみを使用し
「百年蔵」で行われる伝統の醤油づくり

 登録有形文化財に指定されている蔵に入ると20本近い杉の木桶が"所狭し"と並び、薄暗い蔵内には「ほどよい」醤油の香りが漂っている。周りは土塀で固められており、見上げると立派な梁が走っている。かたわらには6メートルのケヤキの木がテコの役割を果たす「キリン式圧搾機」が圧倒的な存在感で鎮座する。まさに蔵全体が博物館のよう。外国人を含めて毎年多くの見学者が現れるというのもうなずける。

 次女の伶実さんが説明する。

「キリン式圧搾機を使用して、少しずつ力をいれながら1週間くらいかけて絞ると、70%の歩留まりでろ過され不純物を抑えることができます。結果、切れが良い、まろやかな味わいに仕上がります」

 これも登録有形文化財に指定されており、「実際に使用されているのはおそらくウチだけではないでしょうか」と川向社長は言う。

 原材料にもこだわっている。醤油の原料となる大豆と小麦は三重県産を使用し、とりわけ大豆は、ほとんどの醤油醸造所で使用している脱脂加工大豆ではなく「丸大豆」を使用しているため、味の「深み」が違うという。さらに、100年以上にわたって蔵全体にしみついた酵母菌の「ご機嫌をそこなわないような」(川向社長)環境を維持し続け、それが福岡醤油店の商品の「うま味」の源泉となっている。

 醤油の「うま味」はJAS規格で定義され「全窒素量」で量られる。それによると本醸造では、最上位の「超特選」が1.8%以上となっている。

「当店の本醸造『とこしへ』と再仕込み醤油『いにしへ』では、JAS規格の認定を取得していないものの、1.8%未満は商品として出さない規定になっており、今年は1.9%のおいしい醤油が出来上がっています」(川向社長)

 つまり、丸大豆による味の深みを担保した上で超特選クラスの醤油を常に提供し続けているのである。リピーターが積みあがるのも当然なのかもしれない。

 しかし福岡醤油店の歴史を振り返ると、決して順風満帆ではなかった。

 設立は1895年。戦後まもなくには台風による山津波で蔵が半壊したこともあった。地方色の強い地場産業だけに、販路を広げて成長への道筋を開拓することは難しい。高度成長のなかでの嗜好の多様化もマイナス要因となった。

 そうした状況のなか、創業家である福岡家から、従業員だった川向社長の父親である友宏氏が経営を引き継いだのが1960年。そして、福岡醤油店にとっての「第1のターニングポイント」を迎える。

「引き継いでまもなく、父は新しい醤油を開発するための研究をスタートしました。普通の本醸造の醤油にうま味成分を加え、加工醤油として商品化したのです」

 この醤油は「はさめず」と名付けられ商標登録される。昔の京で醤油のことを「箸ではさめない料理」という意味で"はさめず"と呼んでいたことに由来する。

 川向社長は続ける。

「いまでこそ刺し身醤油など加工醤油は多彩ですが、当時はほとんどなく、周囲からは否定的な言葉を投げかけられもしました。しかし、父は"これで行くんだ"という強い決意のもと"はさめず"を主力商品として育て上げたのです」

年商が一気に3倍近くに

キリンの首のようにまっすぐに伸びた丸太棒で搾る「キリン式圧搾機」。全国でも数少ない搾り機で、
おいしさだけを搾ることができる

キリンの首のようにまっすぐに伸びた丸太棒で搾る
「キリン式圧搾機」。全国でも数少ない搾り機で、
おいしさだけを搾ることができる

それ以降、「はさめず」が福岡醤油店の看板となったわけだが、日本人の生活レベルが上がり、消費社会が成熟するにつれて、食の分野にも料理ごとに適した「タレ」やドレッシングが百花繚乱のごとく登場しはじめる。相対的に醤油のステータスも徐々に揺らいできた。

「当時、父は、自分の代で店じまいをしようと考えていたようです。年商も3,000万円程度しかありませんでしたから」と川向社長。

 とはいえ品質は高いし、伝統をそのまま体現している「蔵」の話題性もある。知る人ぞ知る銘柄だけに1990年代に入ると、地元のテレビ局や各種メディアの取材を頻繁に受けるようになる。極めつきは、96年12月、NHKの「ひるどき日本列島」という番組に大々的に取り上げられたことだ。これが第2のターニングポイントである。

「それから問い合わせや注文が殺到し、年商が一気に3倍近くの8,000万円に跳ね上がりました(現在は2億1,000万円)。NHKの威力を感じましたね(笑)」

 えてしてメディア掲載による人気は一時的なものに終わってしまいがちだが、福岡醤油店の場合は違った。新規の顧客が次々とリピーターとなり、瞬く間にストックされていったのである。その大きな理由は、既述したような同店の商品独自の「うま味」にあった。

マネジメント力を強化

本醸造、加工醤油、再仕込醤油のほか酢、タレ、<br>ドレッシングなど商品ラインアップも広がってきた。

本醸造、加工醤油、再仕込醤油のほか酢、
タレ、ドレッシングなど商品ラインアップも広がってきた。

 圧倒的な品質によって徐々にファンを創り出してきた福岡醤油店だが、やはり地方メーカーの例にもれず、「弱み」は企業としてのマネジメント力だった。

 そこを補うために2004年法人化し、原大次郎税理士(税理士法人かなめ代表社員)を顧問として迎え、さらに09年、友宏氏が代表を退き、3代目として現社長の夫である川向啓造氏が社長に就任(現顧問)。原税理士の顧問就任も、元会社員で財務に詳しい啓造氏の働きかけの結果だった。こうして福岡醤油店は、会社組織としての新たな展開を模索し始める。第3のターニングポイントである。原税理士は言う。

「就任当初は旧態依然とした管理体制でした。ただ、啓造顧問が財務に明るかったので、自計化(会計ソフトを導入して自社で財務管理を行うこと)や人事管理、販売管理のシステム導入も一気に進みました。業績の把握など企業としての基本的な管理体制を整えることによって、利益体質が出来上がり、変動の激しい業界を乗り越えることができているのだと思います」

 こうした企業としての確固たるベースが、同社の活気と新たな取り組みを引き出しつつある。

 商品の多様化はその成果といえるだろう。たとえばドレッシングの開発もそう。今年に入って、『にんじんドレッシング』『藻塩のねぎだれ』『紅くるりドレッシング』と相次いで発売。『紅くるりドレッシング』は、啓造顧問が"はさめずファーム"で手掛けた自家製の赤大根「紅くるり」を使用した本数限定の商品だ。

「元料理人の工場長など従業員たちも一緒になって楽しみながら製品開発を行っています」と川向社長。

 さらに、ハラル商品への対応にも熱心だ。「ハラル醤油」はもちろん、他の業者があまり手掛けていない焼肉のたれやポン酢の製造を手掛け、麺つゆは商社を通して海外に供給している。

 そして何より大きいのが、大学を出て5年の伶実さんと志季さんという後継者姉妹の存在だ。伶実さんは、品質管理の担当として、商品の質の向上や新製品開発に力を発揮しつつあるし、志季さんは営業担当として展示会への出店や既存顧客への訪問営業に動いている。また、長女の佐和さんも、シンガポールに在住し、海外で「はさめず醤油」のマーケティングに従事。まさに家族一体となってのファミリービジネスである。

「このまま順調にいけば、10年後くらいには十分に事業承継を行える体制になるのではと考えています」と原税理士は言う。

 そうなれば、"双子の姉妹がツイントップの醤油メーカー"として、大きな話題となるかもしれない。

(取材協力・税理士法人かなめ/本誌・高根文隆)

会社概要
名称 株式会社福岡醤油店
業種 醤油製造業
創業 1895年8月
所在地 三重県伊賀市島ヶ原1330
売上高 2億1,000万円
社員数 13人
URL https://www.hasamezu.com/

掲載:『戦略経営者』2023年5月号