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いまやビジネスを行ううえで避けては通れない企業の「脱炭素」への対応。地球温暖化の基礎知識やさまざまな脱炭素技術の解説などをまとめた『最新図説脱炭素の論点2023-2024』を出版した共生エネルギー社会実装研究所の堀尾正靱所長に、脱炭素をめぐる国内外の現状や日本が進むべき道などについて聞いた。
- プロフィール
- ほりお・まさゆき●東京農工大学名誉教授。専門分野は、化学工学、流動層・粉体反応工学、環境・エネルギー工学・政策学。東京農工大学工学部、大学院生物システム応用科学研究科(BASE)等で化学工学系の教鞭を、また龍谷大学政策学部で環境・エネルギー政策系の教鞭をとる。2000年以降脱炭素分野に研究領域を拡大、2020年に一般社団法人共生エネルギー社会実装研究所所長。20年以上にわたり「地域に根差した脱温暖化」を追求している。
堀尾正靱氏
──地球温暖化・気候変動が企業活動に影響を及ぼす時代です。
堀尾 気候変動対策・脱炭素に対しどのような態度をとるかは、企業の存続にかかわる極めて重大なテーマです。温暖化・気候変動の影響は自然相手のビジネスで最も如実に表れます。海難や火災など異常気象による被害が増加し、早くから対応してきたのは損害保険業界です。農業では、収益を生む品種を栽培できる場所が世界的に移動しています。漁業でも取れる魚種が異なってきているのは良く知られていますが、魚そのものがやせてきたという報告もあります。これは海水温の上昇がプランクトンに影響し餌となる生物の減少を示唆していて、非常に危険な兆候です。気候変動はいまや危機的で、自然環境や社会のあり方全般に多大な影響を及ぼすので、当然あらゆる業界のビジネスで変革が迫られることになります。
──本書では脱炭素には2つに分類できると指摘されています。
堀尾 世界中の環境の専門家が警鐘を鳴らし続けた結果、いろいろな脱炭素対策が提案されていますが、それが自分たちの社会や経済、生活にどのように影響するのかは今まであまり議論されてきませんでした。そこでそれをイメージしやすいように私は脱炭素を①社会を元気にする脱炭素と②社会を疲弊させかねない脱炭素の2つに分類しています(『戦略経営者』2024年4月P37図表参照)。国際競争力を維持してより多くの利益を稼ぎ、持続的な成長を志向する企業の立場から考えれば、どちらを選択すべきなのかは明らかだと思います。
──①の社会を目指す場合、日本のエネルギーは再生可能エネルギーだけでまかなえるのでしょうか。
堀尾 環境省が運営している「再生可能エネルギー情報提供システム(REPOS=リーポス)」というホームページでは、日本の再生可能エネルギーの発電ポテンシャルを確認できますが、REPOSの設定よりもかなり厳しい条件で推計しても、日本全体の電力需要を十分まかなえることが分かっています。もちろん夜間や無風・曇天時などがあり、再生可能エネルギーの発電総量だけでは需要を満たせることにはなりません。しかし将来的には、送電網の強化による電力の融通と蓄電池(電気自動車(EV)の蓄電能力も含む)の活用で十分対応できます。「日本にはエネルギーがない」とよく言われてきましたが、それは化石燃料時代の刷り込みなのです。
──コストがかなりかかるのでは?
堀尾 北海道から首都圏、さらには九州までを海底ケーブルでつなぐなど送電線網を強化するコストは、ある試算によると最大で24兆円程度で済むことが分かっています。一方で現在日本がエネルギーを購入するために毎年支払っているコストは30兆円以上。脱炭素化への貢献やエネルギーの安全保障を考えた場合、「24兆円も」ととらえるよりも「たった24兆円」と考えたほうがよいと思います。
カギを握る「V2H」の普及
──蓄電池も高価で普及が難しいという意見もあります。
堀尾 EVのさらなる普及によって蓄電池の高コストという課題は解決できます。EVのバッテリーを蓄電池として家庭でも使えるようにするV2H(Vehicle to Home)を活用するのです。V2Hは昼間に太陽光発電の余剰電力をEVに蓄電し、夜間に住宅に供給する手法で、私はこのV2Hが再生可能エネルギーの普及のために極めて重要な鍵を握ると考えています。
──とはいえ日本では既存の発電所や製油所設備の高効率化や新技術の導入を目指す②のシナリオにも力を入れる方向です。
堀尾 そうですね。例えば火力発電所や製鉄所から排出する排ガスから純度の高い二酸化炭素(CO2)を回収・加圧して液化し、それを地中等の安全な場所に注入して大気から隔離するCCS(CO2回収・貯留)を推進するCCS事業法案が閣議決定されました。CCSは、石油掘削の既存技術でもあるので、油田のような安定した地下構造があれば、実用段階にあると言えますが、大きな懸念材料となるのが、安全性です。というのも、二酸化炭素は窒息性・催眠性のガスで大気中の二酸化炭素濃度が0.1%(1,000ppm)に達すると催眠効果が出始め、3%を超えると人間は意識を失いほぼ100%が死に至るという危険なガス。パイプラインから漏れた場合、CO2ガスは大気より重く地を這うように広範囲に広がるため、甚大な被害が出ることが予想できます。
さらに、地震の多い日本では、地中に貯留することが果たして実現可能かどうか疑問視する声も多く出ています。日本に埋める場所がないとすれば他国にお金を払って引き取ってもらうしかないわけで、燃料を輸入し、なおかつCO2の処理料金を他国に支払うとなれば、電気代の上昇は2倍にとどまらないでしょう。
水素社会やFCVは現実的か
──EVの販売に急ブレーキがかかっているというニュースも最近目立ちます。
堀尾 水素社会促進法案が閣議決定されるなど、日本はEVの推進とともに水素社会の実現に向けたインフラも整えようとしています。このような状況で「ハイブリッド車が売れている」というニュースも流れていますが、これはEVの波が本格的に押し寄せてくる前に、自動車メーカーが既存の生産ラインで利益を上げられるだけ上げようとしているとみることができます。民間企業としては当然のことだと思いますが、次世代の脱炭素型マーケットがどんどん広がっているのにあいまいな取り組みを継続していると、世界でのシェアを失うリスクが高まっていくことも考えられます。脱炭素社会への過渡期には、充電施設の不備もあり、PHEV(プラグインハイブリッド車)の需要があることは当然です。しかし、昨年12月、産油国UAEのドバイで、石油会社のトップが主導するかたちで開かれたCOP28でさえ、化石燃料からの「脱却」と、2030年までに再生可能エネルギー容量を3倍にし、かつ省エネ改善率を2倍にすることを決めているのです。バイオ燃料や合成燃料による内燃機関自動車の総合エネルギー効率はEVのそれに遠く届きません。EVへの大きな流れを認識しておく必要があります。
──日本においてはまだ脱炭素に消極的な雰囲気があると……。
堀尾 そうですね。総じて日本の大企業においては、再生可能エネルギーへの本格的移行に消極的な傾向がみられます。例えば、アンモニア混焼とCCSで石炭火力発電を続ける取り組みなど、エネルギー関連業界全体で既得権益を守る姿勢から脱却できていません。水素は工業的には重要ですが、水電解の効率や安全性を考えると、市中で利用する時代が来るかどうかは疑問です。
期待される分散型エネルギー
──再生可能エネルギーの構成比率は今後どのようになっていくでしょうか。
堀尾 当面は太陽光が主流になるでしょう。北海道では太陽光にくわえ風力がさらに伸びると思います。それから注目されるのは営農型太陽光発電です。これは太陽光パネルの下で農業を行うもので、遮熱効果もあり、農家の収益力向上、農業従事者の増加と耕作放棄地問題の解消、ひいては日本の食料安全保障に役立つはずです。
しかし、営農がいい加減なものや、農地の保全につながっていないものもあり、規制が強化される動きがあります。施設農業や農業機械の脱炭素化にもつながる営農型太陽光の適正な推進は、農業とエネルギーそれぞれの将来にとって重要な課題です。
──企業ではどんな取り組みが期待できますか。
堀尾 今後、さらなる省エネと、自前の再生可能電源の整備が求められてくると思います。省エネはやりつくしていると思われる方もいますが、オフィスの断熱強化などは手つかずのところが多いでしょう。一方、自前電源の確保は、なんといっても事業所、工場、駐車場の屋根などへの太陽光パネルの設置ですが、その先には社用車や従業員のEVを蓄電池として使用できるようにする、場合によっては隣の会社と電力を融通し合う、電力を売買する……などといったことも射程に入ってきます。また地域の新電力に出資をするなど地域全体で自前電源の確保により、脱炭素化と経済成長を両立させていく取り組みも活発化するのではないのでしょうか。
──分散型エネルギーに転換すれば、都市と地方の関係も変化しますか。
堀尾 都市集中型の石油エネルギー時代が終わり、再生可能エネルギーをより多く生み出す地方の存在感が高まることになると思います。再生可能エネルギーと送電網で北海道の発電量を拡大すると、軽く100万人ほどの移住者が見込めます。いずれにしろ日本社会は今後30年にわたり、脱炭素への対応によって大きな変革の時代を迎えることになるでしょう。
──経営者にメッセージを。
堀尾 各企業の経営者の方に申し上げたいのは、日本の脱炭素政策は玉虫色(玉石混交)で決して一枚岩ではないということ。また事業によっては将来性のないものも混じっており、それらを注意深く観察し、自らの頭で考え経営戦略の前提としてほしいということですね。気候変動の問題は、手をこまねいて何もしなければどんどん進行し深刻化していく、逃れることのできない課題だということをあらためて認識していただければと思います。
(インタビュー・構成/本誌・植松啓介)