同一労働同一賃金や長時間労働の抑制だけが目的じゃない──。働き方改革実現会議の議員を務めた三菱総合研究所の武田洋子氏に、マクロ経済の視点に基づいた働き方改革の真の目的と日本経済への影響について聞いた。

プロフィール
たけだ・ようこ●米国ジョージタウン大学公共政策大学院修士課程修了。1994年4月、日本銀行入行。2009年4月三菱総合研究所へ入所。政策・経済研究センター主任研究員、主席研究員を経て2017年10月より現職。専門分野はマクロ経済・マクロ経済政策。
働き方改革Q&A

 「働き方改革」の背景は?

 働き方改革が必要とされている背景には大きく3つあると思います。1つは労働力人口の減少。2つ目は「人生100年時代」が到来すると言われている国民の健康寿命の長期化。3点目は技術革新による産業構造の大きな変化です。産業構造の転換は現在が特別ということではなく、歴史を振り返ればいくつか大きな出来事がありました。イギリス産業革命では産業構造ががらりと変わり、工場で働く労働者が誕生。雇われて働く雇用形態が生まれました。日本でいえば明治維新や第2次世界大戦後の高度成長時代などがそうです。労働市場は長い時代のなかで幾度となく形を変えてきましたが、現在もそうした転換点にあるということです。私は「働き方改革実現会議」のメンバーとして民間の人事担当者の話を聞く機会がありましたが、中小企業含め動きの早い企業はそうした変化に対応して独自の「働き方改革」にすでに着手しています。他の企業も早晩同じような対応をとらざるを得ないことは明白でしょう。

 最大の目的は?

 1番目に挙げた「労働力人口減少」との関係でいえば、その傾向を少しでもやわらげるために「労働参加率を上げる」ということに尽きます。具体策として「働き方改革実行計画」では、女性やシニアの労働参加率を上げていくことが重要な鍵であることが明記されましたが、実はこれらの取り組みがこれまで実施されてこなかったわけではありません。しかし今回の動きで特徴的なのは、「多様性」という観点が前面に打ち出されていること。性別や年齢、障害の有無にかかわらず、多様な能力やスキルを持ったすべての人が希望をもって働くことができる労働市場でなければならないという強いメッセージがこめられています。これが働き方改革の最大の目的といえます。

 高齢社会の影響も?

 2番目の論点の「人生100年時代」の到来や3つ目の論点「技術革新のスピード」を考えると、今までのように、大学卒業後に就職した会社で60歳まで定年で勤め上げるという典型的なキャリア像は根本から変わっていく必要があるでしょう。今や70歳を超えて元気に働いている高齢者の方は珍しくはありません。一方で、20歳前後で就いた職業や会社がそのままずっと存続するのは現実的ではなくなります。
 技術革新で仕事の中身が変わってくるのはいつの時代でも同じです。例えば冷蔵庫の発明で氷屋さんは消滅しましたが、そのかわり冷蔵庫の製造や流通、販売の産業が新たに誕生しました。冷蔵庫がなければ成立しない飲食業など多様な事業形態も数多く生まれました。日本的雇用慣行の優れた部分もあり、すべてを変えるべきといっているわけではありませんが、寿命の伸びと、技術革新のサイクルが短縮している事実は疑いようがありません。
 多くの人は、人生の間で2つ、3つの異なる仕事に就く時代に入りつつあり、たとえ終身雇用が可能な人でも、時代の変遷とともに同じ会社内で異なるタスクに次々と移っていくことが当たり前になっていくでしょう。これは単線型でなく、複線型のキャリア形成ができる労働市場への移行を意味します。

 労働市場改革のポイントは?

 多様な属性や考え方を持つすべての人が、やりがいをもって生き生きと働くことができる労働市場とは、時間、場所、年齢、移動に対して中立的な労働市場です。例えば法律で決まっているわけではありませんが、日本企業は伝統的に賃金制度について、若いときに賃金が抑制され、退職時にまとまって退職金を支払う極端に非線形型の制度設計を採用してきました。これでは40歳くらいの働き盛りのビジネスパーソンが新しい分野に挑戦しようとする熱意はなかなか生まれにくく、線形型に修正していく必要があるでしょう。
 さらにシニア層の再雇用で一律に賃金を下げるのも問題です。本人の能力や過去の経験、スキルに見合った賃金をそれぞれに支払うべきで、そうした制度が当たり前のようになっていれば、年齢や男女の別、働き方の違いによらずだれもがやる気をもって働けるようになると思います。

社会人の学び直しが活発化

 予想されることは?

 繰り返しますが、未来の職業キャリアでは「人生100年」時代が前提になります。その間ずっと同じ会社で同じ業務についていることは現実的ではありません。転職や業務の変更が当たり前になるということは、労働者の「学び直し」が当たり前になってくるということです。
 経済協力開発機構(OECD)諸国で25歳以上が4年制大学へ入学する割合をみると平均で17%に達していますが、日本人はなんと2.5%にしかすぎません。働く人たちが時代の変化に応じて常に学び続ける姿勢が必要とされていることは確実でしょう。
 2つ目は、人材移動によるマッチングが活発化する見込みです。より前向きで積極的な労働者の移動を可能にするような仕組みが必要です。働き方改革実現会議がまとめた「働き方改革実行計画」では、職業情報の見える化を総合的に提供するサイト「日本版O-NET」の創設に言及していますが、企業と企業の間、あるいは地方と都市の間のミスマッチを埋めていくマッチングビジネスがより普及していくと思います。

 生産性との関係は?

 なにも対応しないまま人手不足と労働時間短縮に甘んじていれば、会社の売上高は下がってしまいます。付加価値増加をともなう生産性の向上しか目指す道はありません。日本政策投資銀行が昨年実施したアンケート調査によると、「人手不足に対してどう対応しているか」という問いに対し、製造業、非製造業ともに5割以上が「業務改善」と回答しています。つまり「現場のガッツ頼み」ということですが、当然限界があります。経営者にとって、新しい技術を取り入れながらどうやって新しいサービスや財、モノとコトの組み合わせで付加価値を上げられるかが課題となるでしょう。社員の賃金を上げてもそれを吸収できるだけの付加価値を生むことができなければ、会社の未来を担う人材を獲得することができなくなるからです。チャレンジングな目標ですが、日本の中小企業にとって最大の課題だと思います。

 なぜ今なのでしょう?

 日本経済が好調な今だからこそ取り組むことができるからです。リーマンショックのときに働き方改革といっても、どの企業もそんな余裕はないでしょう。経済が好調なのは都市部だけではありません。地域経済も好調です。日本銀行が2005年から公表している「地域経済報告」の最新版では、全9地域中6地域で景気を「拡大」と判断しました。全地域が「回復」以上となり、これはリポート開始以来はじめてです。好調な世界経済と半導体市場の活況、インバウンド需要の拡大など複合的な要因がありますが、景気回復の波が都市部から地方にも押し寄せ、日本全体が好景気になっています。この明るい状況は、新市場開拓や事業構造の改革、賃金上昇と生産性向上を両立させるような付加価値向上のための行動を実行する絶好のタイミングといえます。

(本誌・植松啓介)

掲載:『戦略経営者』2018年3月号