1980年代、「わるならハイサワー」のテレビCMで爆発的にヒットした、お酒の割り材『ハイサワー』。その販売元である博水社の3代目として活躍しているのが田中秀子社長。時代のニーズを先読みした魅力的な商品をつぎつぎに生み出す「女性目線」の企画力で、さらなる飛躍を目指している。

プロフィール
たなか・ひでこ●1960年、東京生まれ。高校卒業後、ニューヨークのバレエ学校に進むことが決まっていたが、腰を痛めて夢を断念する。山脇学園短期大学の英文科に入学。1982年の卒業と同時に博水社に入社。創業80周年となる2008年4月に3代目社長に就任。
田中秀子 博水社社長

田中秀子 氏

──博水社さんの看板商品「ハイサワー」は、お酒の割り材(清涼飲料)として確固たる地位を確立されています。

田中 最初に『ハイサワーレモン』を発売したのは、1980年のこと。そのころはビール、ウイスキー、日本酒にくらべて、焼酎は一段低い立ち位置でした。今ほど蒸留の機械がよくなかったため、くさくて質の低いお酒とされていたのです。その焼酎をおいしく割って飲めるものを作れば商品になるのではないかと考え、先代の父(2代目・田中専一氏)が商品化したのがハイサワーでした。
 うちはもともとラムネ屋で、夏は売れるけど、冬は売れないという構造的な弱点を抱えていました。それをどうにかしたいとの思いから、新商品の開発に着手したわけですが、幸いにも炭酸やビンの殺菌に関するノウハウを持っていました。それを生かして考案したのがハイサワーで、中目黒の居酒屋「ばん」がレモンを搾った焼酎のソーダ割りを「生レモンサワー」と呼んでいたのをヒントに、「我輩が作ったサワー」=「輩(ハイ)サワー」としたのが名前の由来です。

──ロングセラーを続けている理由は何でしょう。

田中 いろいろあると思いますが、甘くない炭酸飲料に仕上げていることも、人気の秘密の一つではないでしょうか。要は大人の味なんです。
 あとは、原料となるイタリア・シチリア産レモンのおいしいところのみを搾った「真ん中搾り果汁」を使うなど、製品作りの「こだわり」が評価されていることもあると思います。

──いまでは「レモン」以外の商品も増えていますね。

田中 現在のラインアップを大きく分けると、3つのカテゴリーになります。一つは、レモン、うめ、ライム、グレープフルーツ、青りんごなど、炭酸&果汁系のポピュラーな割り材。二つめは、ダイエットやプリン体ゼロなど、健康志向を反映したもの。例えば、ビールテイストの割り材などです。そして三つめは、アルコール入りの缶チューハイタイプ。そのまま飲める手軽さも大事だと考えて、創業85年にあたる昨年、ハイサワーをお酒で割った『ハイサワー缶』を発売しました。

──田中社長が博水社に入社したのはいつ頃だったのでしょうか。

田中 1982年です。ずっとバレエの振り付けの仕事を夢見ていたのですが、腰を痛めて断念。その後、ジャズシンガーとして生きていこうと考えたりもしましたが、結局、短大を卒業後に父親が経営する博水社に入りました。

──入社直後はどんな仕事を?

田中 製造や品質管理、あるいは海外でのレモンの買い付けなど、現場の仕事からですね。ところがビンの殺菌など、清涼飲料水やお酒に関する基礎知識がまるでなかった。そこで、東京農業大学の醸造科に聴講生として通い、少しずつ知識を身につけていきました。その後も、税理士専門学校に通って法人税などの勉強をしました。本来なら会社に入る前に学んでおくべきことを、わからないものだから後付け、後付けで勉強していった感じです。

女性目線の商品がヒット!

──営業の仕事をするようになったのはいつごろから?

田中 入社してから10年くらい経ってからですかね。営業先でお客さんの話をいろいろ聞くようになると、商品開発への意欲がメラメラと高まり、そっちにも力を入れるようになりました。
 そうしたなかで誕生したのが、2003年に発売した『ダイエットハイサワー』でした。当時はいまと違って、お酒売り場にカロリーオフとかプリン体ゼロといった言葉がない時代。そうしたこともあって、カロリーを約3分の1におさえたダイエット版を問屋さん(酒卸業者)や、スーパーのバイヤーのもとに持っていったときの評価は最低でした。「どうせお酒を飲むのだから、割り材がダイエットだろうが、ダイエットじゃないだろうが関係ないでしょ」とか「男にはそんなちまちまとしたものは売れない」などと言われましたね。
 でも、女ごころからすると、「ケンタッキーフライドチキンを食べるとき、コーラはせめてダイエットコーラにしよう」といった気持ちがあるんです。「せめて、これだけは」って感じで。男性のなかにも同じように考える人はきっといるはずだと信じて、根気よく売り込みを続けました。

──それから間もなくして、風向きが変わってきた?

田中 ええ。メタボ対策など、世の中の健康志向がしだいに高まってきたんです。それを受けて、大手ビール会社さんなどが糖質カットの発泡酒などをつぎつぎに出すようになり、お酒売り場にも"ヘルシー語"が飛び交うようになりました。すると、お客さんのほうから「あんたのところにも、ダイエットっていう商品あったよね? それを持ってきてほしいんだけど」といった電話がかかってくるようになり、05年には製造量が前年比200%アップとなるヒット商品となりました。

──その後も、新商品を次々と開発していきました。

田中 06年には、ビールテイストの割り材を発売しました。カロリーやプリン体がゼロという点が受けたほか、うちはレモン使いが得意なことから、「レモンビアテイスト」の商品もラインアップに加えたことも、一般消費者からの評価が高かったです。
 実は、ビールテイストの割り材は、父が約30年前に一度挑戦したことがありました。しかし納得のいく味を目指して約6年間にわたる試行錯誤をしているうちに、原材料の調達ルートがなくなってしまい、完成目前にして頓挫。そのレシピを金庫から引っ張り出し、父の協力を得ながら商品化を果たしました。
 これがその後、種類を増やしていくビールテイスト飲料の第一弾だったわけですが、このシリーズは焼酎などのお酒で割らなければビール感覚のノンアルコール飲料として飲めるため、お酒が飲めない妊婦さんや授乳中のママさんにも人気があります。

「飲み屋行脚」がお家芸

──社長就任は08年とのことですが、事業承継の直接のきっかけは何だったのですか。

田中 父が肺がんになり、片方の肺を切除してしまった。それ以降、遠方への出張などがたいへんになったため、私が社長をやるようになりました。そのときに一言いわれたのが、「だいたい3倍くらいを考えておきなさい」とのセリフ。たとえば男性社員1人につき、奥さんと子どもの2人を抱えている。だから、雇用している人数の3倍。そこまでが社長の守備範囲で、絶対に守っていくべき「枠」だというのです。この言葉は、私の胸にズシンと響きましたね。

──社長になってすぐにぶつかった壁はありましたか。

田中 社長の名刺に変わった途端、わからないことを「わからない」と急に言えなくなってしまったんです。だけど、ある時から開き直りました。たとえ取引先との商談中であっても、わからないことが出てきたら、正直にそう話そうと。すると相手から「えっ? そこ知らなかったの」と言われるのですが、結局はみんな丁寧に教えてくれる。人によっては1を聞けば3、4、5と教えてくれる人もいて、いろいろためになったし、素直にわからないと言えるようになったことで自分自身の気持ちがずいぶん楽になりました。

──社長業務をこなすかたわら、新商品開発にも相変わらず力を入れていたようですね。

田中 大手ビール会社さんがアルコール分0・00%のノンアルコール・ビールテイスト飲料を出したことに触発されて、『ハイサワー ハイッピーゼロビアテイスト』を開発したりしました。アルコール分0・00%を実現するのと同時に、おいしくするというのは簡単ではなかったのですが、何とか商品化を実現しました。
 私たちの商品開発の難しいところは、お酒を割ることを想定しながら各種原料の配合を考えていかなければならないところ。その分、奥が深いんですよ。

──社員総出で「飲み屋行脚」をするのがお家芸だとお聞きしましたが……。

田中 新店オープンの際にあいさつがてらに飲みにいくのはふつうのことだし、情報収集をかねて営業スタッフが全国の居酒屋・スナックなどを飛び回っています。そのなかで知り得た「ここのお客さん、こんな割り方で飲んでいるよ」といった情報については社内で共有化するようにしています。
 先日も「梅酒を『ハイサワーうめ』で割って"ダブルうめ"みたいにして飲んでいる人がいたよ」という同報メールが流れましたが、こうした形で情報をみんなで共有し、ふだんの営業活動や新商品開発のヒントに役立てます。

──お客さんを会社に招いて「倉庫飲み」をすることも多いそうですね。

田中 白ワインで割るのに適したグレープフルーツ味があったりしても、そのおいしさをいくら口で説明してもピンとこないじゃないですか。やはり、実際に飲んでもらうのが一番。リアルな体験をお客さんに提供できる場として、倉庫飲みは欠かせないものとなっています。

酒類市場参入の相乗効果

──田中社長の人材マネジメントの極意といえば?

田中 お願いしちゃうとか、おまかせしちゃうところですね(笑)。要は、ある程度社員に裁量権を与えて、チャレンジさせていくということです。
 たとえば最近だと、ずっと経理畑でやってきた女性社員に営業の仕事をまかせてみました。ほかの会社では女性の営業職は当たり前になっていますが、うちにはいなかった。そこで、彼女に声をかけてみたのですが、これが大正解。スーパーの棚に置くPOPひとつとっても、男性社員だと「お酒と割らなくてもお飲みになれます」と書くところを、彼女は「お酒と割らなくてもおいしいね(ハートマーク)」といった感じで書いてくれる。こうやって新しいチャンスを与えることで、その社員の成長を促していくことができるし、組織も活性化されていくのです。
 ただ、この場合、たとえ失敗してもその人の責任にしてはいけません。「やるだけやってダメだったらしょうがないね」と逃げ道をつくってあげることも大事。そうすれば、また次の機会に頑張ってくれるのです。

──最近のマーケティング戦略をお聞かせください。

田中 焼酎を何かで割るという文化が根付いているのは、東日本が中心。それ以外の地域にもハイサワーを広めていくのが課題であるのは確かなのですが、そのために何が必要かというと、そのエリアの文化に寄り添っていくかたちでの提案ですね。沖縄では、泡盛でハイサワーを割ってもおいしいことを伝えていくし、西日本ではライムやうめのハイサワーで日本酒を割ってもおいしいことを広めたりもしています。
 ちなみに、これらのPR活動は人海戦術が基本。だから営業スタッフは全国に散らばっている状態で、本社はいつももぬけの殻。必然的にメールでの情報共有となるわけです。

──テレビCMを使った宣伝は?

田中 当初ハイサワーは、テレビCMを通じてその知名度を拡大しましたが、いまは「その場で飲んでもらうこと」を最も重要視しています。例えば、地元のお祭りやイベントなどでの宣伝のほうに力を入れています。
 少し余談になりますが、「わるならハイサワー」「お客さん、終点だよ!」のテレビCMを中小企業である私たちが流せたのは、当時検討していた自社工場の新設をやめて、他社に製造をアウトソーシングする(OEM生産してもらう)道を選んだことと関係しています。要するに、自社工場に投下する費用をテレビCMに回したわけです。

──最後に、社長として頑張れる「原動力」を教えてください。

田中 「ハイサワーで割ったらおいしかったよ」と、お酒好きの人から喜ばれることです。
 お酒って、そのときどきでブームが変わってきます。ハイボールのブームがあったり、いまはワインがちょっと来ていたりとか。そうすると、私たちにしてみれば割り材の相方となるお酒が変わってくる。それに合うものを常に提案していくことが、みんなに喜んでもらうためにも必要なことだと思っています。

(インタビュー・構成/本誌・吉田茂司)

会社概要
名称 株式会社 博水社
設立 1952年
所在地 東京都目黒区目黒本町6-2-2
TEL 03-3712-4163
売上高 約14億円
社員数 18名
URL http://www.hakusui-sha.co.jp/

掲載:『戦略経営者』2014年6月号