アジアで稼ぐ

 東京彫刻工業は金属・樹脂製品や部品に製造ナンバーなどを刻印する機械を製造するメーカー。超ニッチな市場で大正7年から生き残ってきた老舗だ。

 平成16年、父親である先代社長を癌でなくし、30そこそこで会社を双肩に背負った花輪篤稔社長(38)。28歳までカメラマンを目指して海外を放浪していた花輪社長に、本当の意味で気合いが入ったのはこの時である。

 先細る刻印機への需要、しかも極めて特殊な市場。マイナス要因が次々と頭に浮かぶなか、今後成長を遂げていくには2つの要素が同時に必要だと花輪社長は考えていた。つまり、「新製品の開発」と「海外市場の開拓」である。

 まず前者だが、同社が輸入・販売していた海外のメーカーの「ドット式刻印機」を参考にして、それより2割程度小型(10センチ四方)のPC制御可能な刻印機の開発に取りかかった。花輪社長は「とにかく中国でつくり、海外市場で売れる汎用的な商品が欲しかった」と当時の心境を述懐する。では、なぜ中国だったのか。

 花輪社長に明確に「中国」がインプットされたのは2007年。関満博・一橋大学教授(現名誉教授)や東京・墨田区の経営者仲間たちと、中国・深センの「テクノセンター」(中小企業向け賃貸式工業団地)を視察。そこで、代表幹事の石井次郎氏から「十分にできるよ。こっちにこないか」との誘いをうける。

 「そうか、われわれのような職人仕事でも海外展開ができるのかと目から鱗が落ちる気がしました。また、働いている女性たちが生き生きとして輝いて見えた」

 石井氏のアドバイスは“小さく産んで大きく育てる”だった。つまり、最初から千万単位の投資は必要ないということ。

 2009年10月、花輪社長は決断する。300万円の投資で200平方メートルをテクノセンターに借り、現地法人を香港に置いた。機械は持ち込まず組み立てのみ。部品調達や加工は、同じテクノセンターの他社に依頼した。生産する製品は試作を繰り返し、完成間近にこぎつけていたポータブル刻印機『MarkinBOX(マーキンボックス)』。

あくまで本丸は海外市場

 さて、生産体制のメドはたった。次なる課題はマーケティングである。中国でつくるからにはもちろん狙いは海外市場。花輪社長の頭のなかには、もくろみ当初からテッククーン・チア氏の顔があった。父親の時代から家族ぐるみで交流しているシンガポールの販売代理店の経営者だ。刻印機のグローバルなネットワークを持っている。花輪社長個人で出資(100万円)し、チア氏を含む3人で『マーキンボックス』を売る販社「フレックス」を設立した。2009年12月のことだ。

 これで一応の体裁は整った。

 「売れることはある程度分かっていました。それくらい商品力には自信があった」という花輪社長。もくろみ通り、国内顧客の自動車やエレクトロニクスメーカーがまず購入してくれた。コンパクトな上に価格が半額なのだから当然といえば当然。見かけもカラフルで見栄えもいい。しかし、これだけでは既存製品を食う形での「買い替え需要」を喚起しただけで、すぐに頭打ちが来る。

 あくまで本丸は海外市場である。フレックス社の名前で営業活動を続けるなか、ターニングポイントが訪れた。米シカゴの「IMTS」という世界的な工作機械展に出展し、大きな成果を上げたのだ。

 「そこに出展していた6社、つまり刻印機メーカーのすべてが“代理店をやらせてくれ”と申し出たのです。つまり、コンパクトで価格も安い画期的な刻印機だと世界に認められたわけです」(花輪社長)

 同様の製品をつくるメーカーは世界でも10社くらいしかない狭い業界である。『マーキンボックス』の存在が広まるのに時間はかからなかった。アメリカ、韓国、マレーシア、インドネシア、タイで販売代理店を獲得。それぞれの国での本格的なマーケティングがスタートした。

トップが常駐することの意味

 一方、花輪社長には工場運営における悩みがあった。徐々に生産能力を高めていく過程で、スタッフの退職やモチベーションの低下が目立ってきたのだ。

 当時は、駐在員を置き、花輪社長は1カ月に1回現地を訪れるというスタイルだった。

 「現場に本気度が伝わっていなかったし、決断にスピード感もありませんでした。関(満博教授)先生が“トップ自らが行かないとダメ”と常々おっしゃっていた言葉の意味が身にしみて分かりましたね。いま、自分がやるべきことは現地に常駐することだと……」

 2010年の9月、駐在員を日本に帰し、自らが乗り込んだ。日本に帰るのは1カ月に1回、わずか数日。マシニングセンターを導入し、工場を500平方メートルに広げ、スタッフも8名に増やした。と同時に、世界各国をマーケティングで飛び回る時間もできた。

 まさに、「後ろの橋を切り落とす」がごとき花輪社長の乾坤一擲の決断に、現地のスタッフはもちろん、日本の社員たちにも緊張感が伝わっていった。

 「社長があれだけ本気でやってるんだから、われわれはバックヤードをちゃんと支えなきゃ、という自覚が従業員に芽生えてきている」という花輪社長。海外展開が、全社的なモチベーションを上げる契機にもなったようだ。

 さて、香港現法の実績はどうか。販売台数は徐々に上向き、現在、世界の自動車メーカーや電機メーカーを中心に月30台~40台はコンスタントに売れるようになった。今年度の売り上げは3000万円で採算的にはトントン。まずは、早期に1億円にまで持って行きたいという。

 今年7月28日、花輪社長の家族、妻と幼い子供3人、が生活を共にするため香港に渡った。

 「絶対に失敗はできない」という花輪社長。今後は、家族の温かいサポートを受けながらの闘いになる。

(本誌・高根文隆)

会社概要
名称 東京彫刻工業株式会社
代表者 花輪篤稔
所在地 東京都墨田区亀沢3-23-12
TEL 03-5611-7771
売上高 約3億円
社員数 20人
URL http://www.tokyo-chokoku.co.jp/

掲載:『戦略経営者』2011年8月号