2019年5月に成立し、今年6月に施行された改正労働施策総合推進法(パワハラ防止法)。22年4月からは中小企業等も対象となるため、雇用管理上の必要な措置を講じなければならなくなる。パワハラ案件を数多く手がけ、また、啓蒙活動に熱心に取り組む鳥飼総合法律事務所の鳥飼重和代表弁護士に、中小企業経営者がパワハラ対策に向き合う際の心構えについて聞いた。
- プロフィール
- とりかい・しげかず●福岡県出身。中央大学法学部卒。税理士事務所勤務後、司法試験に合格し、弁護士登録。1994年(平成6年)4月、鳥飼経営法律事務所(現 鳥飼総合法律事務所)を創設。ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングス(USMH)社外取締役、理想科学工業株式会社社外取締役。元内部統制研究学会会長、元日本税理士会連合会顧問。
──パワハラ防止法とは?
鳥飼重和 氏
鳥飼 パワーハラスメント(パワハラ)防止のために、雇用管理上の措置をとることを義務付けた法律です(『戦略経営者』2021年9月号P45図表1)。厚生労働省は、①優越的な関係を背景とした②業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動により③就業環境を害すること(精神的、身体的苦痛を与えること)、の3つを満たす行為をパワハラと定義し、図表2(『戦略経営者』2021年9月号P45)の6つの類型を「典型的なパワハラ」と定めています。
──来年の4月からは中小企業などにも適用されます。
鳥飼 上司のパワハラを受け精神的に苦しい時に、会社が相談窓口を設置していなかったり、パワハラを予防するための教育の機会がなかったりすると、経営者が法的責任を負うことになります。適用されるのは「中小企業」と喧伝(けんでん)されていますが、法人化された企業ばかりではなく、個人事業主にも適用されるのでこの点は十分注意してください。歯医者さんや税理士さんもそうだし、法律上は従業員を2、3人しか雇用していない企業も対象です。
また、今年6月から法律が適用されている「大企業」についても対象は小売業で従業員数50名超、サービス業で100名超(いずれも資本金5,000万円超)の企業となっており、自社がすでに法律の適用範囲内となっていることを知らない中堅・中小企業も数多くあるようです。まずは、一般に考えられているよりも広い範囲が対象となっていることを押さえてください。そうしないと、問題がおきてしまってから頭を抱えることになります。「知らなかった」では済みませんからね。
トップのコミットメントが必須
──パワハラ対策のポイントを教えてください。
鳥飼 絶対に欠かせないのは、経営トップが深くコミットすることです。パワハラ防止法によって「義務づけられる措置」の第1項目に、「事業主によるパワハラ防止の社内方針の明確化と周知・啓発」という文言があります。経営者は他人事ではなく自分の問題としてとらえ、「パワハラは許さない」という強い意思を社内外に宣言し、率先して対策に取り組んでください。
──経営者が主導しなければならない理由は?
鳥飼 パワハラ対策への姿勢が、経営者あるいは企業の存亡を左右する可能性があるからです。著名な例で言うと、2015年に電通で起きたパワハラと長時間労働による過労死問題では経営者が辞任を余儀なくされました。また、トヨタのパワハラ自殺の問題でも、19年に豊田社長自らが2度謝罪して再発防止策を指揮するなど全社的なダメージを負いました。たとえ、自分のあずかり知らぬところで起きたパワハラでも、経営者は何らかの形で責任をとらされます。そうなれば組織の信用はガタ落ちで、基盤のしっかりしない企業などでは業績に深刻な影響を及ぼすでしょう。中小企業でこのようなことが起きれば、取引の停止はもちろん倒産も十分あり得ます。要するに、パワハラは企業にとって存亡にかかわる問題。トップが対応すべき最優先の課題といっても過言ではありません。
──どこからがパワハラになるのか分からない……という声をよく聞きます。
鳥飼 法的なパワハラの定義は、とりあえず脇に置いてください。法律から入るとろくなことはありません。法律以前に、パワハラ的な行為は、組織にとってマイナスに作用するという認識をまず持つべきです。たとえ違法ではなくとも、少しでも怪しい行為はやらないこと。つまり「この行為はぎりぎりセーフだからやってもよい」ではなく、グレーゾーンを一掃する心構えが重要なのです。
──経営の問題としてとらえるべきだと。
鳥飼 組織にとってマイナスに作用する可能性があれば、その行為は排除すべきだということです。パワハラというのはマイナスのパワーを生み出しますが、本質的な視点から対策を行えば、それを社内融和や生産性の向上といったプラスのパワーに変えることができる。「6つの類型」を丸暗記して対処するようなやり方では、最低限のマイナス要素をふさぐことはできても建設的なことはできなくなります。パワハラ防止法をチャンスととらえて前向きな対策をとるべきでしょう。
最大の対策は「意思の疎通」
──とはいえ、やはり経営者にとって法的に「アウトかセーフか」という線引きは気になります。
鳥飼 パワハラかそうでないかの境目は、完全にはっきりしているわけではありません。もちろん、殴る蹴るは論外ですが、「言葉の厳しさ」については、裁判官の判断も一定ではない。実際過去に、2人の上司が、同じ部下に同じような厳しい指導を行い、1人はパワハラ、1人はパワハラではないと認定された判例があります。このように結果が分かれたのは、2人の部下に対する関わり方の違いにありました。
──関わり方の違い……ですか。
鳥飼 コミュニケーションのあり方です。パワハラと認定されなかった上司は部下との人間関係ができていました。自宅に呼んで食事をしながら注意を与えるなど、意思疎通がはかられた上で厳しいことを言う。言われた方も納得づくの上で聞くので、パワハラとは感じなかったのです。一方、パワハラと認定された方は、人間関係が希薄で、部下が「なぜそこまで言われなくてはいけないのか」となってしまった。
──業務上の命令がパワハラに結びつくこともあります。
鳥飼 たとえば、営業マンに対して「今日中に100軒飛び込みで回るように」と言ったとします。これは一見、先に述べたパワハラの定義の①②③のすべてを満たしているように思えます。しかし、事前に上司が「100軒回れば顧客の反応を見て受け入れてくれるかどうか分かるようになるよ」と行為の意味を説明していれば話は違ってきます。事後、部下が「やはり100軒は物理的に無理でした」といえば、「そうか、じゃあ明日は50軒くらいでチャレンジしてみようか」と上司が返す。こういうコミュニケーションがあれば、パワハラには当たりません。何も言わずに、いきなり命令口調で「回ってこい」では、「精神的・身体的苦痛を与える言動」と取られても仕方ないでしょう。
──コミュニケーションによって「境目」が変わってくると。
鳥飼 はい。山本五十六元帥の言葉に「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」というのがあります。この言葉のなかには、「対話」があり部下に対する「信頼」や「期待」があります。上司と部下の理想はまさにこの関係であり、これができていれば少々の叱責(しっせき)はパワハラにはならないと私は思います。
──とはいえ、若い年代を中心に、そういう考え方が通用しない層もあるような気がします
鳥飼 社内的にルール化しておけばよいのです。たとえば、非常に危険なものを扱う現場では、やさしく指導していたのでは事故につながりかねないですよね。そのような場合には業務内容にあわせて、経営者や管理職、従業員はもちろん、人事部や社労士なども介してみなが話し合いながら「ここまでは厳しく指導します」などと線引きするべきでしょう。その際に、「安全のため」「従業員を育てるため」などという目的を明確にして部下の理解を得ておくのです。そうすれば、万が一訴訟になったとしても、会社側が敗訴することは避けられると思います。
経営力をつけるテコに
──ところで、鳥飼法律事務所では「織田信長と学ぶ 業績UPのパワハラ対策」というDVDを発売されました。どのような内容なのでしょうか。
鳥飼 ご承知の通り織田信長は明智光秀の謀反に遭い、夢半ばでなくなりました。パワハラ体質だったと伝えられる信長がその報いを受けたと言えます。このDVDは、失敗に頭を抱える信長(要潤氏)が「くのいち弁護士」(壇蜜氏)にその失敗となった原因を指摘され、言動を修正してやり直し体験をするというエピソードを積み重ねて構成されています。要するに、態度や言い方など、コミュニケーションの取り方を修正すれば、真逆の結果が期待できるということですね。このDVDをベースにしながら、自社の具体的事案に照らし合わせて議論していけば、かなりの効果が期待できると思います。
──「業績UPのパワハラ対策」というタイトルが印象的です。
鳥飼 パワハラ防止法という法令を順守することに焦点を絞るとマイナスを「ゼロ」にするだけになってしまいます。ところが、パワハラ対策を成長のチャンスととらえて、新たな企業文化をつくっていくきっかけにすれば楽しく取り組めるし、組織にとってプラスのパワーへと転換することもできる。つまり、パワハラは会社をつぶすリスクを内包している一方で、より積極的に対応すれば経営力をつけるテコにもなりうるということです。中小企業の経営者の皆さまは、どうか、法律を超えて本質的な課題を解決するという意識を持ってパワハラ対策に取り組んでみてください。
(インタビュー・構成/本誌・高根文隆)