関連する産業のすそ野がとりわけ広い観光業界。かつてのような団体ツアーの再開が見込めないなか、個人需要にターゲットをしぼる動きが見られるようになってきた。新たな旅行のかたちを模索しはじめた、観光事業者の挑戦を追う。
- プロフィール
- なみがた・いくよ●株式会社日本交通公社(現株式会社JTB)入社。支店長、本社広報室長を経て、2015年から現職。マーケティング・コミュニケーション戦略全般を担当する傍ら、地域活性化のための生活者・旅行者の価値観や行動を研究し発表。また、JTBが50年間発表している「旅行動向見通し」の推計・分析を10年以上担当している。
──観光業界の現状を教えてください。
波潟 新型コロナウイルスの感染拡大により、訪日外国人数は2月以降過去にない落ち込みが続き、7月は3800人(推計値)にとどまりました。日本人出国者もわずか2万人と、赴任先に向かうビジネス客が中心で、やはり大幅な落ち込みを記録しています。
国内旅行に関しては、都道府県をまたぐ移動自粛要請が6月19日に解除され、政府、自治体による需要喚起策もあり、客足は徐々に回復しつつあります。
──国内居住者を調査対象とした「新型コロナウイルス感染拡大による、暮らしや心の変化および旅行再開に向けての意識調査(2020)」を発表されました。どんなことが読み取れましたか。
波潟 外出自粛や渡航制限の解除後にやりたいことを尋ねたところ、トップに挙がったのが「国内旅行」でした。もっとも、旅行再開の意向はあるものの、再開するには「治療薬やワクチンが完成し効果が出る」ことが必要と回答した人が4割を超え、慎重さがうかがえます。
すぐに行きたい旅行や外出としては「友人・知人訪問」、「自然が多い地域への旅行」、「帰省」などが挙がりました。それに対して「(長距離移動を含む)国内旅行」や「大都市圏への旅行」、「海外旅行」の再開意欲は、総じて低い結果となりました。
最近の旅行者の傾向をみると、少人数で近場へクルマで出かける傾向が顕著になっています。日光や箱根をはじめ、他県からの訪問者の受け入れに理解があり、観光エリアが分けられ、住民との接点が少ない古くからの観光地に、客足が戻ってきていると感じます。
──年齢や性別による傾向は?
波潟 国内旅行、海外旅行へ「すぐに行きたい」と回答した割合が最も高かったのは、29歳以下の男性でした。「若者は旅行しない」と巷間(こうかん)言われますが、実は頻繁に旅行しており、特に20代前半の女性の出国率はとても高かったのです。
他方、女性は年齢層が高くなるほど旅行再開意欲が低くなる傾向がみられ、特に60代以上の女性のうち14.6%が「海外旅行に二度と行きたくない」と回答した点が印象的でした。
リアルのつながりも重視
──若者の旅行再開意欲が高いのはなぜでしょう。
波潟 背景として考えられるのは雇用の安定です。アベノミクスのもと雇用者数は増え、安定した収入を見込めるようになりました。それと親がバブル世代に当たり、旺盛な消費活動を経験しているので、子どものころから旅行によく出かけていたことも影響していると思います。
1995年以降に生まれた人々は「Z世代」と呼ばれ、スマートフォンが身近にある環境で育ちました。彼らはソーシャルメディアを通して情報を容易に入手したり、世界中の人たちとつながったりできます。SNSによる「発信力の高さ」がこの世代の最大の特徴といえます。
そうしたデジタルネーティブなZ世代は、環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんや、香港の民主活動家に代表されるように、気候変動をはじめとする社会課題への関心が強いのも特徴です。日本の若者も同様です。コロナ以前の訪日外国人旅行者の中で、若者の比率は低くありませんでした。
──Z世代では、どのような意識変化が見受けられましたか。
波潟 コロナ禍においてテレワークやオンライン会議など、デジタルツールの活用が一挙に進み、私たちの生活様式は変化しました。一方で、意識調査では、コロナ前と比較した考え方の変化として「対面や直接のコミュニケーションは大切だと思う」との回答がトップになりました。
興味深かったのは、若い世代ほどこの回答を挙げた人々が多かったところ。デジタルツールを日常的に使いこなし利便性を享受している一方、対面のコミュニケーションにもメリットを感じているわけです。今後は観光もオンラインにおける高品質で高頻度な接点をベースに、「リアル」の良さを融合させる視点が大事になってくると思います。
オンラインで接点づくり
──オンライン旅行サービスの具体例を教えてださい。
波潟 例えば琴平バスが展開している「オンラインバスツアー」(『戦略経営者』2020年10月号P14)では、ツアー開始時にバスのエンジン音を入れたり、旅行先からのライブ中継を挟んだり、リアルな演出が話題になっています。事前に届く特産品を味わいながら、旅行気分を味わえるしかけです。
また、商業施設のルミネも「おうち旅ルミネ」というサービスを開始しました。新潟・佐渡島をめぐるツアーを9月上旬に開催。こちらも特産のお米やお酒などの入った「旅じたくボックス」が届き、漁港や酒蔵を訪ねて生産者と会話したり、海岸線の美しい景色を楽しんだりする内容になっています。
いずれのサービスもリアルな演出に腐心している様子がうかがえます。コンテンツのクオリティーは何より重要で、プロモーションビデオをただ流しているだけだと、興ざめしてしまいます。
──意識調査でもオンラインサービスに対する関心の高さがうかがえるそうですね。
波潟 これまで利用していないが、今後利用してみたいサービスとして多くの人が挙げたのは「ちょっとぜいたくなお取り寄せ」、「宿泊施設や飲食店などの前売り券の購入」でした。なじみの店舗や施設、地域を助ける「応援消費」に対する意識の高まりがみられ、このようなニーズを効果的にすくい上げるためにも、オンライン旅行サービスは有効といえるでしょう。
気になるのは旅行事業者がリアルのツアーを本格的に再開させたとき、オンライン旅行をはたして続けるかどうかです。コストやマンパワー次第で、各社の判断は分かれると予想しています。
中国でも外出が制限されていた期間、リモート観光が普及しました。VR装置を利用した360度パノラマ形式の疑似見学や、「ライブコマース」によるネット販売サービスも現れています。ただ、感染拡大が収まりつつあるなかで、事業者はオンライン旅行の新たな魅力を模索している状況です。
衛生管理のアピールを
──観光事業者に求められる施策は?
波潟 コロナ禍以前と比べ、旅行の目的や行き先を選ぶ基準として目立ったのは「安全安心に旅行ができること」あるいは「3密を避けられること」といった項目です。こうした傾向を鑑みると観光事業者は、感染防止に向けた衛生管理の取り組みをしっかり伝えることが先決です。
ホテル・旅館をはじめとする宿泊施設は、客の宿泊する部屋の間隔をあけたり、バイキング形式の食事を中止にするなど、いろいろな工夫をしています。しかしこうした取り組みは一般の人々に対して、想像以上に伝わっていないものです。
海外のホテルチェーンの中には、早くから感染防止策を動画に収め、ウェブサイトで掲載していた例もありました。旅行者の安心感に訴える発信の仕方をぜひ検討し、取り入れてください。
理想をいえば施設単位にとどまらず、地域単位でコロナ対策をアピールできれば、地域全体のブランド化が期待できます。感染症対策はどちらかというと守りの施策とみられがちですが、集客の有力な手段として前向きにとらえるべきです。
──観光業界の今後は?
波潟 今夏は多くの人々が集まる、花火大会やロックフェスティバルなどのイベントが相次いで中止になりました。団体客をメインターゲットにしていた観光事業者は、個人のニーズを探るなどして従来のビジネスモデルを見直す必要があります。世界の航空需要がコロナ以前の状況に回復するのは、2024年といわれています。当面は日本人の国内旅行をメインとしながら、インバウンド復活に乗り遅れないことも求められます。
大規模な自然災害や経済危機が起こった後、日本人は旅行の再開に特に慎重でした。それだけに観光事業者は安心感を訴求し、観光客の受け入れに対して歓迎する姿勢を打ち出すべきでしょう。
(インタビュー・構成/本誌・小林淳一)