低価格ヘッド・マウント・ディスプレー(HMD)の登場などでぐっと身近になったVR(バーチャルリアリティー、仮想現実)。事業の柱に据えてV字回復につなげた中小企業やスタートダッシュに成功したベンチャーも少なくない。VR活用の現場や普及に向けた課題や今後の見通しなどについて取材した。
──2016年に「元年」と言われてからVRブームが続いています。これまでの流行と違う点は?
山岸 2016年は、VR映像を視聴するため頭部に装着するHMDで「オキュラスリフト」や「HTCVive」など、従来品に比べかなり安価な新製品が相次いで発売された年です。それにより一般消費者にとって一気にVRが身近な存在になりました。しかし実はVRの概念自体は1950年代からすでに存在し、「元年」といっても過去の歴史を振り返ると現在は第3のブームといえます。
最初のブームはゲームセンターに設置された筐体(きょうたい)に頭をつっこんで光や音を体験するごく素朴なものでした。2回目のブームは任天堂が1995年に3Dゲーム機「バーチャルボーイ」を発売したとき。三脚についたゴーグルを頭に装着して赤い線で構成されたポリゴン映像を見るものでしたが、販売的には不調に終わりました。そのため「任天堂でもだめか」と急にVRの波がしぼみましたが、しばらくの空白期間をおいてブームが再来したのが2016年です。今回の「元年」がこれまでのブームと違うのは、概念にようやく技術が追いついたこと。現在では3万円台で購入できるHMDもあり、少々高めのハイエンドパソコンさえあれば10万円強、さらにソニーが販売している「プレイステーションVR」を使えばゲーム機と合わせて10万円未満の初期投資で家庭でもVR動画を楽しめる状況になりました。
──ARやMRといった言葉も聞きますが、VRとの違いは何でしょうか。
山岸 VRは、立体的に奥行きを持たせた映像を、専用装置を通じて視聴することで、利用者がその映像の内部にいるかのような感覚(没入感)を得られるものをいいます。これに対しAR(Augmented Reality、拡張現実)は、スマホなどで撮影した写真や動画にグラフィック処理した情報を重ねる技術のことをいいます。VRに比べ技術的には容易で、顔を認識して動物の耳などを重ねて楽しむ「SNOW」などのカメラアプリや、世界的に大人気の任天堂「ポケモンGO」などが代表例です。
VRとARの間のような技術がMR(Mixed Reality、複合現実)です。VRの大きな特徴は、自ら仮想空間に没入して動き、操作することによって仮想空間そのものを変化させる相互作用性にあります。MRは、この操作性をARに付加します。マイクロソフトが発売した「ホロレンズ」を使えば、現実に見ている映像の上に手の操作によってさまざまな仮想の映像を重ねることができます。
体験可能な専門施設が急増
──最近体験できる場所も急増したように感じます。
山岸 価格は下がったとはいえ、個人で10万円前後の初期投資はやはり一般消費者にとっては安くはありません。試しに使ってみる機会がないと、「VRってすごいらしいよ」で終わり、ハードウエアの購入までには至らないケースがほとんどでしょう。当社が実施したアンケート調査では、VR購入者の9割以上が実際に視聴体験をしてから購入していました。業界全体としてもニュースで頻繁に取り上げられた割には盛り上がらなかったという課題意識があり、HMDメーカーやソフトウエア会社が近年、楽しさやメリットを体験してもらう専門施設を次々に増やしています。
またショッピングモールやゲームセンター内に設けられた小規模なVRゾーンも、認知度向上に貢献しているといってよいでしょう。VR体験は15分で1000円以上するのが一般的ですが、1回200円程度のアーケード市場では顧客単価の引き上げが見込める新たな商材として受け止められています。
VR体験施設が急増しているもう一つの理由は、エンターテインメント施設の設置コストとしては割安だということ。例えばユニバーサルスタジオジャパンでは、ジェットコースターに乗ったまま利用者がHMDでVRコンテンツを楽しむアトラクションを展開しています。ジェットコースターは通常何回乗っても常に同じ風景ですが、VRを利用すればスピード感を保ったまま全く違うコースを走っている感覚を味わうことができます。実際にアトラクションを新設するよりはるかに安いコストで新しい体験を提供することができるのです。
──VRの市場規模はどれくらいでしょうか。
山岸 市場全体の規模について詳しいことは分かりませんが、メーカーなど事業者への聞き取り調査などから、当社ではVR端末の国内販売台数は2017年の6万台から2023年には63.6万台に達すると見込んでいます。AR市場などに比べるとまだまだ小さく、これからのマーケットだといえるでしょう。
──体験型エンターテインメント以外に企業はどんな使い方ができるでしょうか。
山岸 直接消費者と触れる機会のある事業者にメリットがあると思います。例えばエイチ・アイ・エス(H.I.S.)は旅行業界のなかでいち早くVR端末に投資し、新宿のハワイ専門店でVR視聴フロアを開設しました。また高知県のある不動産事業者は賃貸物件の内見をVRで済ませられるシステムを構築。経営者が技術に明るく360度カメラなどへの投資を行い、物件の360度動画をコツコツと作成しているそうです。店舗内に置いてあるHMDを装着するだけで異なる場所にある複数の物件を短時間でチェックできるわけですから、利用者にとっては利便性が高いでしょう。この会社では、内見だけにあきたらず物件周辺の環境も視聴できるようコンテンツの充実を図っているそうです。
また最近大きな注目を集めているのが、企業内で実施する教育や研修向けツールとしての利用。業種や業態によっては研修や練習の環境をつくるのに膨大なコストがかかる場合があります。例えば飛行機業界では、巨大なエンジンのメンテナンスについてそう気軽に研修や訓練を行えるものではありません。そうした作業をVRで疑似的に行う企業が増えつつあります。失敗すると身体に重大な危険が及ぶ作業の訓練、例えば塔の頂上など極めて高所にある電送盤を操作する訓練などもVRで行うと安全です。
ワイヤレス化が加速
──VRがより普及するためのポイントは何ですか。
山岸 端末価格を含めたコストの低下とワイヤレス化の実現がまずは大きなポイントでしょう。HMDメーカーはワイヤレスかつPCレスの端末開発を急いでおり、例えばオキュラスはPC不要のVRヘッドセット「オキュラスゴー」を今年中に市場投入する予定です。開発キットが配布された段階で正式な販売価格などはまだ公表されていませんが、トータルコストのかなりの低減が予想されます。同様に「HTCVive」でもワイヤレス化のための専用キットが発売される予定です。
また費用が高いVRコンテンツの制作コストをいかに下げられるかも課題の一つです。上下左右のつなぎ目が自然な高品質の360度動画の作成などはやはり専門業者に依頼せざるを得ないからです。そこで可能性としてあるのは、例えば複数の企業が集まり、不動産の内見用VR動画の共通プラットフォームなどを構築すること。年会費などを支払って自由に使えるようにすれば、同じ物件のVR動画を各社それぞれで作成するといった無駄を省くことができ、相対的にコストを下げることが可能になります。
──以前VRを体験したときに車酔いのような状態になりました。安全性について懸念はありますか。
山岸 人体が予測した動きとVRから受け取った感覚が乖離(かいり)したときに、三半規管などがエラーを起こして気持ち悪くなる「VR酔い」が発生する場合があります。特に発達途中である12歳以下の子どもたちについては、目のピントを合わせる機能などに対する影響が大きいといわれ、VRデバイスメーカー各社は同年齢以下での使用を禁止しています。大人のVR酔いについては、ソフトウエア会社などが、VR内に自分の手足を表示させることでこの問題を回避する研究などを行っていますが、感覚には個人差があるもの。着用者それぞれのレベルに合わせてVRコンテンツのスピードを細かく設定できるようにするなどの工夫が必要でしょう。
──今後注目していることは?
山岸 今は「VRってこんなこともできるんだ」と社会に驚きをもたらしている段階ですが、もう少し事業者が冷静にマーケティングを行った後は、常識とは少し異なったニーズが発見される可能性があります。例えばテーマパークなどでのVR体験コーナーでは男女のカップルよりも女性2人連れのほうがより満足度が高いという調査結果があります。またある旅行社が実施したファーストクラスでパリ旅行のVR体験ができるイベントでは、60代以上の高齢者が数多く参加したそうです。
あらゆる感覚の仮想現実を目指す「VRエコシステム(生態系)」の研究動向も面白いと思います。海外の展示会などでは、視覚と聴覚へのジャックにとどまらず、触覚や嗅覚の仮想現実を体験できるソリューションを発表する企業も出てきているので、注目していきたいですね。
(構成/本誌・植松啓介)