NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎(なおとら)」を彷彿(ほうふつ)とさせる女性経営者が、中小企業にもいる。現代を生きる「女城主」の強みは、どこにあるのだろうか──。

プロフィール
かく・こうぞう●1958年、大阪府大阪市生まれ。1981年、奈良大学文学部史学科卒業。同大学文学部研究員を経て、1983年から著作活動に入る。近著に『図説「生きる力」は日本史に学べ』 (青春文庫) 、『謀略! 大坂城 ─なぜ、難攻不落の巨城が敗れたのか』(さくら舎)などがある。「コミック版 日本の歴史シリーズ」(ポプラ社)の企画・構成・監修や、テレビ・ラジオ番組の監修・出演も多い。
わが社の女城主

 下剋上の世の中だった戦国時代の女性を、ただあわれな存在と、思い込んでいる人がいるかもしれないが、決してそんなことはない。

 むしろ戦国の世では、女性と男性は対等だった。食事、洗濯、裁縫の類いだけをして、夫の留守を預かるという女性は少なかった。

 夫に代わって鎧甲(よろいかぶと)に身を包み、馬上指揮をとる頼もしい妻もいれば、おんな城主として、将兵を采配する者もいた。女性が相続権を失い、父や兄、夫に傅(かしず)くようになるのは、徳川家康が天下を取って、男子の嗣子(しし)単独相続制が定められてからのことである。

 現在放送されているNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公、井伊直虎もそうした女性領主のひとりだ。井伊家は、遠江国井伊谷(いいのや)(現・静岡県浜松市北区)を本拠地としていた豪族で、男子が代々当主だったが、当主不在のピンチの際に、女性である直虎が家督を継ぐことになった。

 徳川四天王のひとりに数えられた武将に、井伊直政(なおまさ)がいる。歴史ファンの間ではわりと知られた存在なのだが、その養母にあたるのが直虎だ。直政の父である井伊直親(なおちか)の前当主・直盛(なおもり)の娘にあたる。

井伊家存亡の危機の救世主

 永禄3(1560)年5月、今川家の配下にあった直盛は、桶狭間の合戦に今川軍の先鋒として出陣したが、織田信長のまさかの奇襲によって、戦死してしまう。直盛には男の子がおらず、急きょ従兄弟(養嗣子)の直親が家督を相続することになった。

 ところがその2年後、今度はその直親が討たれてしまう。当時の松平元康(のちの徳川家康)と内通したとの疑いをかけられ、今川義元の息子・氏真(うじざね)の差し金で謀殺されてしまったのだ。

 直親には息子の虎松(のちの直政)がいたが、まだ幼い。虎松が成長するまでの〝中継ぎリリーフ〟として井伊家の当主になったのが、出家して「次郎法師」と名乗っていた直虎だった。

『井伊家伝記』によれば、「次郎法師は女にこそあれ、井伊家総領に生候間(うまれそうろうあいだ)、僧俗の名を兼(かね)て是非無(ぜひな)し」とあり、名前こそ男のようだが、井伊家の直系で、直親の許嫁(いいなずけ)であったとされる女当主が、ここに誕生することになる。

 この次郎法師、女性でありながらもよほど乱世におけるリーダーとしての能力が高かったのか、きちんと当主としての役割を果たしていった。興味深いのは、署名と黒印(花押(かおう)の代わりとなる墨の印判)を捺(お)すだけで表には出なかったものの、やがて「次郎直虎」と男性の名前を堂々と名乗り、成年男子しか使えない花押をも、自ら据えるようになったところ。それだけ強い気持ちで、井伊家の当主を務めていたのだろう。

 ひるがえって現代の中小企業でも、代々家族経営で続けてきた会社を守るために、女性が後継ぎになるケースがある。実力主義であるのは、戦国時代も、いまのビジネス界も変わらない。非力な女性であっても、男性に勝る智謀・才覚があれば、十二分に人々の上に立つことはできる。直虎はそれを身をもって証明しており、多くの女性経営者に勇気と希望を与えてくれる存在といえよう。

「世間知」に長けた判断力

 では、直虎の女性リーダーとしての強みはどこにあるのだろうか。実は、直虎に関する歴史的資料はあまり残っておらず、限られた文献などからの推察に頼らざるを得ないところもあるが、いくつか述べてみたい。

 まず、「世間知」に長(た)けた当主であった点が挙げられるだろう。出家してお寺に入ったとき、おそらくいろいろな学問を学んだ。つまり、組織の枠から一度出たことがあり、さまざまな角度から物事を見る経験を積んでいる。要は、広い視野で組織の進むべき方向性を見定めることができたのだ。

 一方で、家康の正室になった築山殿(つきやまどの)(瀬名)はどちらかと言えば、家のなかにこもるタイプだった。松平家、あるいは松平家に嫁ぐまでいた今川家を中心にしてしか、物事を見ることができなかったことから、やがて不幸な最期をとげる。直虎と築山殿の明暗を分けたのは、そうした視野の広さ・狭さだったのではなかろうか。

 また、たとえば男性なら斬り合いになるようなときでも、決して力に訴えるような行動は取らずに、誰かを傷つけることなく争いを収めようとしている点も、女性ならではの頭の良さが見て取れる。真正面から相手にぶつかっていくことは避け、うまくかわしながら自分の望むべき方向に進んでいく。「しなやかさ」と「したたかさ」の両方を持ち合わせているのだ。

 これからのリーダーに求められるのは、即断即決の判断力である。直虎は間違いなくそれを持っていた。だからこそ周囲を敵に囲まれながらも生き残ることができたのだ。わずかな可能性と、わずかな時間しか残されていないなかで「どうしたらよいか」を真剣に考え、最善の方法がないときは、なんとか次善の策を見つけ出す。ときには周囲の男性が助け船を出してくれることもあったろうが、小さな国が生き残るためにはどうすべきかを彼女自身が理解していたからこそ、度重なるピンチをことごとく切り抜けられたに違いない。

事業承継の「道筋」

 さて、企業にはいくつかの形態があるが、100年あるいは200年と続いている長寿企業には「家族経営の会社」が多い。一族でモノづくりやサービス提供をおこない、事業規模の拡大をあまり求めずに、長く伝統をつなぐことを最優先に考えている。その考え方に沿った事業承継と、毎年利益を問われる大企業の事業承継とは当然違ってしかるべきだが、前任者が後任者に「道筋」をつけてあげることは、どちらにしても大切なことである。

 このとき、男性よりも女性のほうが道筋のつけ方がより具体的なのではないだろうか。例えば、わが子のことを思って、「いい学校をお受験させよう」「その先の進路はこうしよう」とあれこれ考えるのは、良いか悪いかは別にして、いかにも女性らしいといえる。

 直虎もおそらく、次期当主である直政(虎松)の将来を見据えた教育を施していたと思われる。少なくとも、徳川家康に仕えさせるというレールを引いたのは直虎の判断だったはずだ。

 直政はやがて家康のもとに小姓として預けられ、その翌年に初陣を飾って以降、次々に武功をあげていく。それは常に命がけの、捨て身のものだった。直政の一本気な性格を伝えるエピソードとして、こんな話がある。

 家康ともども不運な負け戦となり、主従5、6人で退却の途中、とある神社で赤飯が供えられているのを見つけた。空腹の状態にあった家康と家臣たちが、それをむさぼるように食べるなかで、一人、直政だけは手を出さなかった。敵が来たらここに踏みとどまって討ち死にする覚悟。自分が死んだのち、胃袋の中から赤飯が出てきたら恥ずかしいというのだ。家康は生涯、三河出身の譜代家臣を重用したが、徳川四天王のなかで唯一、三河武士ではなかったのが直政だった。それだけ直政の奉公ぶりや知略が際立っていたのだろう。

 昨年の大河ドラマ『真田丸』の主人公、真田信繁(幸村)も全身を赤い甲冑(かっちゅう)で揃(そろ)えた軍団=「赤備(あかぞなえ)」で有名な武将だが、じつは戦国最強と謳(うた)われた武田軍の精鋭部隊である「赤備」を正式に継承したのが、直政にほかならない。家康は、武田氏の滅亡後、その遺臣を積極的に召し抱えた。そのなかの「赤備」の部隊を直政に引き継がせたのだ。これは見方を変えれば、直政が徳川軍の先鋒を務める宿命を負ったことを意味していた。

江戸幕府を支え続けた井伊家

「井伊の赤備」の勇ましい活躍ぶりは、〝天下分け目〟の関ヶ原の戦いでもいかんなく発揮された。石田三成率いる西軍の負けが濃厚となったとき、島津義弘は戦場から離脱するために、徳川本陣を敵中突破すると見せかけて、直前に曲がるという行動をとる。このときに猛烈な勢いで追走したのが、直政の部隊だった。すでに勝利を確信していた他の大名たちは手を出さなかったにもかかわらず、直政は果敢にも討って出たのだが、このあたりにも彼の家康に対する忠誠心の厚さがうかがえる。

 こうした直政の人格形成に、どれだけ養母である直虎の存在が影響を与えたかはよくわからない。ただ、井伊家存亡の危機を救った直虎がいなければ、直政の活躍が歴史に残ることはなかったのは確かだ。直政の息子はやがて彦根藩の藩主となり、その子孫も徳川家の江戸幕府を支えた。幕末期に江戸幕府の大老を務め、日米修好通商条約の締結を断行しようとした井伊直弼(なおすけ)もそうである。

 歴史を紐解(ひもと)けば、直虎のほかにもさまざまな女性が世の中を動かしてきたことがわかる。徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利できたのも、じつは北政所(きたのまんどころ)(おね/豊臣秀吉の正室)が味方になってくれたことが大きかった。加藤清正や福島正則などの大名は、北政所の〝台所飯〟を食べて育った者たち。なぜ彼らが家康の味方についたかというと、北政所が家康側についたからである。

 かくも一人の女性の存在が、歴史を大きく左右する。それは、現代に生きる女性経営者にも当てはまること。組織のリーダーとして活躍する女性たちの、さらなる奮闘を期待したい。

掲載:『戦略経営者』2017年9月号