特許をはじめとする知的財産権は大企業だけのものではない。美容師から絶大な支持を受けるヘアカット用ハサミ、長期間鮮度を保つパウチ式しょうゆ容器など、身近な製品にも中小企業の特許技術が生かされている。企業の保有する知的財産を評価し融資を行う「知財金融」の動向もまじえ、知財経営の現状をレポートする。
──日本国内の特許をはじめとする知的財産の出願動向を教えてください。
武田 知的財産には発明を保護する特許権、デザインを保護する意匠権、商品・サービスに使用するマークやロゴなどを保護する商標権などがあります。国内特許の出願件数は2007年以降漸減傾向にあり、最新の統計である2015年は約31万8000件でした。漸減傾向にあるのは大企業を中心に出願する特許を厳選したり、海外出願にシフトしている企業が増えているためと思われます。しかし、中小企業による出願件数は2011年を底にして伸びています。
意匠と商標の出願件数の推移に関しては2008年以降、多少の増減を繰り返しながらともにほぼ横ばいの状況です。
──中小企業の特許出願は増加傾向にあると。
武田 近年、件数は伸びているとはいえ、特許の出願件数全体に占める中小企業の割合は14%程度です。中小企業が国内法人の99.7%にのぼることを鑑みると、伸びしろは大きいと考えています。日本の中小企業は国の産業競争力を高めるイノベーション創出の源泉であり、地域の雇用を支えるうえでも欠かせない存在です。優れた技術やアイデアを知的財産として戦略的に活用できれば、売り上げや収益の改善を期待できます。
そのことを実証するデータも出ています。何らかの特許を保有する企業の方が特許を取得していない企業よりも、売上高営業利益率や従業員1人あたり営業利益が高いことが特許庁の調べでわかりました。
──中小企業の海外出願の現状はいかがでしょう。
武田 全体の出願状況と同様、海外出願件数も増加傾向にありますが、海外出願比率を見ると大企業では30%あるのに対して、中小企業は16%程度にすぎません。先願主義といいますが、特許はより早く出願した人に権利が与えられ、日本国内に出願後1年以内なら海外でパリ条約による優先権を主張できます。近年は多くの国で製品を販売したい、あるいは模倣品から製品を保護したい等の理由から出願国が増えています。ただ、現実的には短期間で出願書類を外国語に翻訳し、提出することは困難です。
──有効な方法はありますか。
武田 特許協力条約に基づく国際出願制度(PCT国際出願制度)といわれる特許出願制度があり、条約加盟国である自国の特許庁にのみ出願書類を提出すれば、その時点で全ての条約加盟国に対して出願したのと同じ扱いになります。特許協力条約の加盟国は150カ国に達しており、中小企業がPCT国際出願を行うとき、出願にかかる手数料の軽減措置を受けられる場合があります。
一気通貫でサポート
──特許庁における中小企業に対する知財支援の内容を教えてください。
武田 特許庁では2016年9月にとりまとめた「地域知財活性化行動計画」に基づき地域、中小企業の支援を行っています。主なものを4つご紹介します。
まず、「知財総合支援窓口」による相談業務です。知財総合支援窓口は知的財産に関する悩みや相談をワンストップで受け付けている窓口で、全国47都道府県57カ所に設置されています。知的財産制度に精通する一般企業OBや弁理士、弁護士などが常駐し出願手続きだけでなく、社内規定の策定、知的財産活用のアドバイスを行っています。中小企業庁のよろず支援拠点とも連携し、橋渡しを実施しています。
2つ目は権利化から侵害対策までを一気通貫で支援する海外展開支援です。「外国出願支援補助金」は外国出願の促進を図るために設けられた補助金で、1企業あたり300万円を上限に出願にかかる費用の2分の1の助成を受けられます。そして侵害対策のための「海外侵害対策補助金」も設けています。権利取得後、海外で自社製品を模倣された場合、被害状況の調査や模倣品業者に対する警告や訴訟に費用が発生します。そのうち500万円を上限に3分の2を補助しています(模倣品対策は400万円が上限)。
──団体保険制度も創設されたと聞いています。
武田 中小企業が海外で知的財産侵害の係争に巻き込まれた場合のセーフティーネットとして「海外知的財産訴訟費用保険」を平成28年度新たに設けました。制度を設けた背景としては、特に中国において顕著ですが、海外で係争に巻き込まれるリスクが増大している点があります。アジア地域で損害賠償などの訴訟を起こされた際の弁護士、弁理士等に関わる費用を補償する保険です。
なお、掛け金は掛け捨てになります。大企業も保険に加入できますが、中小企業が加入する場合、半額を国が補助します。
──残り2つの知財支援策を教えてください。
武田 3つめとして、平成27年度から行っている「知財金融促進事業」があります。これは金融機関の申請により無料で取引先中小企業の知財ビジネス評価書を作成し、金融機関に提供することで知的財産を活用した事業の評価を切り口としたリレーションバンキングを促進する事業です。
平成28年度に知財ビジネス評価書を提供した金融機関は107機関に達し、知財ビジネス評価書を活用した融資制度を新設する金融機関も増えています。事業の強みや将来性に着目して融資を行う、事業性評価融資の推進とリンクしながら活動を実施しているところです。
4つめは「巡回特許庁」とよばれる活動で、特許取得支援施策を周知するためのシンポジウムの開催やテレビ面接審査のデモなどを行っています。そのほかこれまで述べた支援策をまとめた「知財を事業に活(い)かす虎の巻」ガイドブックを作成し、わかりやすいとご好評をいただいています。
──テレビ面接とは?
武田 複数の拠点をインターネット回線で結んで面接を行う制度です。例えば東京にいる特許庁の審査官と九州の出願人、大阪の出願代理人の三者を交えて同時に話すといったことができます。審査官が地方に出張し、出願に関わる面接を行う出張面接審査も行っています。
経営戦略として生かす
──特許を審査請求すると、いったん拒絶されることが少なからずあると聞きましたが。
武田 特許庁の審査官は、ただ単に発明の内容がすばらしいからといって特許として認めているわけではありません。類似した技術が存在していないか、当該発明の中身が先進的かなどをチェックしています。その上で内容に疑義があるものは拒絶理由を通知して、内容を再検討してもらっています。審査官との打ち合わせを重ねることにより、出願内容がより練り込まれ独創的な特許につながる可能性があります。
例えばある企業が六角形の新素材を開発して特許を取得しても、五角形の素材を開発した別の企業が特許を出願してくる可能性があります。出願する際、六角形ではなく多角形と記載した方がより広い範囲をカバーできるわけです。
とはいえ、広範な内容で出願するほど、既存の技術に抵触する可能性が高まります。したがって、審査官との話し合いを通して、ベストと考えられる落としどころを探り提出していただくのが良いのです。拒絶理由通知書を受け取ったからといってあきらめずに、ぜひチャレンジして落としどころを見いだしていただきたいですね。
──知的財産の有効活用で売り上げの増加が期待できます。
武田 大阪市にねじ回しやペンチなどの工具を開発しているエンジニアという会社がありますが、看板製品の「ネジザウルス」が累計販売250万丁をこえるヒット商品になりました。事業戦略としてマーケティング、パテント、デザイン、プロモーションの頭文字をとった「MPDP理論」を掲げ、特許をはじめとする知的財産権を巧みに活用しています。この会社の特筆すべき点は社長だけでなく、従業員も知的財産管理技能士の資格を取得して知的財産知識を高めているところです。資格を取ることによって、弁理士とスムーズにコミュニケーションをとれるようになったといいます。
──知的財産をうまく活用している事例ですね。
武田 エンジニアのようなファブレスメーカーはもちろん、特に製造業の企業にとって知的財産は無縁でなく、下請けでものづくりをしている企業でも何らかの技術を持っているはずです。ただし、注意していただきたいのは特許を出願すると1年半後、出願内容が公開される点です。特許を取得したとしても出願から20年で効力が切れます。ですから、長期にわたり自社の競争優位を保つためにも、特許を出願する技術と営業秘密としてガードする技術を明確に分ける必要があります。自社の独自技術やノウハウをあえてクローズドにするのもひとつの知財戦略でしょう。
ただし、営業秘密を自社で保管する際は厳重に管理する必要があります。従業員などによる営業秘密の持ち出しによって損害賠償の訴訟を起こす中小企業がありますが、たいがいの場合で敗訴しています。というのも営業秘密の管理がしっかりなされていないケースが多いためです。
特許の取得はゴールではなく、あくまでスタートです。以前、特許証をもらったらそれで満足という方がいました。特許を維持するのにも費用がかかります。取得した特許をどのように販路拡大につなげるのか、戦略的に活用する視点が大事です。
事業を守る「くい」
──地域団体商標という制度もあるそうですね。
武田 農協や漁業組合、商工会議所などを対象にした商標登録制度で、地域の特産品を販売する際に活用してもらっています。例えば北海道のJA帯広かわにしは「十勝川西長いも」を北海道初の地域団体商標として登録しました。外国出願支援補助金を活用して海外でも商標を取得しアジア、米国への輸出が拡大しています。
──中小企業経営者へのメッセージをお聞かせください。
武田 講演などでよくお伝えしていますが、知的財産とはいわば「くい」のようなものです。知的財産というくいで囲まれた事業は守られますが、くいがない状態ではかんたんに攻め込まれてしまいます。また、知的財産権は自社製品の販路拡大や技術力のアピール手段として有効です。
前述したように特許を保有している企業とそうでない企業とのあいだでは営業利益率などで隔たりが生じています。下世話な言い方ですが、われわれは中小企業にもっと稼いでいただきたい。そのために特許をはじめとする知的財産をうまく活用してほしいと思っています。
(取材・執筆・構成/本誌・小林淳一)