「牛たん とろろ 麦めし」の業態で、東京を中心に現在37店舗を展開している「ねぎしフードサービス」。今でこそ名経営者としてさまざまなメディアに取り上げられている根岸榮治社長だが、かつて手痛い失敗をしたこともある。その失敗を教訓に磨き上げてきたのが、現在人気店のひとつとして数えられている「ねぎし」なのだ。

プロフィール
ねぎし・えいじ●福島県いわき市出身。1968年、父親の会社が倒産の危機で勤めていた東京の百貨店を退職し、故郷に戻る。70年、ねぎしフードサービスを立ち上げ、宮城県、福島県、茨城県で多業態の飲食店を展開。81年、牛たん「ねぎし」1号店を新宿に出店。
ねぎしフードサービス 根岸榮治社長

根岸榮治 氏

 1970年代後半、お店で働いていたスタッフ全員がある日突然、ライバル店に移ってしまうという〝しくじり〟をしました。その店舗は、仙台駅前に出していた大皿料理の店で、爆発的に繁盛していました。当時、大皿料理の店は東京にいくつかあるだけで、まだはやりはじめて間もない頃。その業態をいち早く仙台にもってきたわけだから、人気が出るのも当然です。

 でもある日突然、店長からアルバイトにいたるまですべての従業員が出勤してこなくなった。理由はすぐにわかりました。新しくできた同じ業態の店に引き抜かれていたのです。メニューもお店の作りもまったく一緒。しかも働いている従業員まで同じ。この事実を知ったとき、私は自分の愚かさを痛感しました。

 根岸社長が福島県いわき市に最初に飲食店を出したのは、カレー専門店だった。「東京ではやっている」と聞いたからだった。その後も、札幌ラーメン、コーヒーショップ、イタリアンレストラン、高級魚の炭火焼き店、ファミリーレストランなど、東京でブームになり出した業態の店を、茨城県日立市から仙台市までの250キロメートルの範囲内で次々に出していった。

 東京で流行している業態を地方に持ってくると、物珍しさも手伝って最初のうちは行列のできる店となります。でも5年もたつと、ダメになっていく。はやり物を持ってくるだけで、料理も従業員も磨き上げないから、後追いする地元の飲食店にかなわなくなってしまうんです。しかも、やがて店長をはじめとしたスタッフが不正を働くようになる。そうなるとお店は崩壊です。

 その頃の私はお店がもうかればそれでいいという考え方で、従業員を育てるとか、大切にするという発想が希薄でした。はやり物を見つけてきて、それがダメになったらまた別のはやり物を見つけてくればよいと思っていたフシさえあります。今にして思えば、新台に入れ替えてグランドオープンしたときが一番お客さんが入る「パチンコ屋商法」みたいな経営でした。お店のスタッフが全員ある日突然ライバル店に移ってしまったのも、もとをただせば私に責任があったのです。

「牛たん」に絞り込む

 さすがにスタッフ全員がライバル店に引き抜かれてある日突然、姿を消してしまったことは根岸社長もショックだった。これを機に、根岸社長の会社経営の考え方は180度変わる。

 それまでの経営が、広範囲・多業態ではやりものを追いかけていく「狩猟型経営」とするならば、次に目指したのが同一地域で同一業態の店舗を展開する「農耕型経営」でした。

 商品として選んだのは、牛たん。仙台に住んでいた私は週に2、3回は食べに行くほど牛たんが好きでした。自分が好きな食べ物であることに加えて、牛たんは全国的にはまだあまり知られていないが、これから少しずつ認知されていくであろう「午前6時の商品」であることも決め手でした。すでに日本中でブームになっている「昼12時の商品」では、新しく始める商売にはふさわしくないと思ったのです。男性がお酒のつまみとして食べている印象が強かった牛たんを、女性も気軽に食べられるように、とろろと麦めしをセットにした「定食」として提供することにしました。

 そして出店場所として選んだのが、東京でした。日本で一番市場性のあるところだと判断したからです。

 商品を牛たんに絞り込んだり、出店場所を東京に限定したのは、いわゆる「ランチェスターの法則」に則(のっと)ってのことでした。ランチェスターの法則には「グー・パーの理論」というものがあり、最初のうちは握りこぶしの〝グー〟をぐりぐりと突き刺すような一点集中主義でやるべきで、その後成長期に入ったら手のひらを〝パー〟と広げるイメージで、店舗数を同一地域内で増やしたり、商品の種類を増やすことで後発のライバルの追い上げを退けるといいます。このやり方を素直に実践していきました。

 いま現在、牛たんのほかに豚肉や鶏肉、牛カルビのメニューもある。そして店舗数は37店舗。そのうちの3店舗は横浜にある店だが、新宿から横浜まではJRの湘南新宿ラインでわずか30分の距離。根岸社長は同一地域と見なすとともに、従業員同士が切磋琢磨しコミュニケーションを取るのに適した距離と考えている。

 1981年、新宿・歌舞伎町の1号店からスタートした牛たん「ねぎし」が、お昼時になると行列ができる人気店として確実な成長を続けてこられたのは、従業員の育成に力を入れるとともに、みんながやりがいを持って働ける会社づくりを目指してきたことも大きな要因としてあげられます。むしろ、かつての狩猟型経営の失敗から学んだ教訓は、この部分において生かされているといえます。

 多店舗化を進めるなかでの出店スピードが比較的ゆっくりとしたものだったのは、人が育たなければ新しい店舗は出さないという姿勢を貫いてきたからでした。そうした中で培ってきた「人財共育」(ねぎしではこう言い表す)や「理念共有」をするための具体的な仕組みがあることが、私たちの大きな強みとなっています。

理念共有の仕組み

 人を育てるための仕組み、あるいは経営理念を共有していくための仕組みを確立していったのは、2005年3月から「日本経営品質賞」への取り組みを始めたことが一つのきっかけとなったという。2011年に念願の日本経営品質賞を受けた頃には、その仕組みが社内にしっかりと根付いていた。

 以前は、利益だけを目的とする価値観で会社経営をしていました。しかしそれでは従業員に働く喜びはなく、商品・サービスを良くしようとする気持ちは生まれず、やがて従業員の間に不正が広がります。ところが経営品質を学びはじめると、大切なのは「働く仲間の幸せ」であり、「お客さまの喜びと満足を得ること」だと思うようになりました。利益を上げることだけが目的化している〝事実前提〟の考え方ではなく、「ねぎしは何のために存在するのか」「何のために働くのか」といった〝価値前提〟の考え方に大きく変わったのです。

 価値前提の経営をするうえで取り組んだのが、「経営理念」「経営の目的(ねぎしの思い)」「仕事の目的」(『戦略経営者』2016年11月号P50図表参照)を明確にしたうえで、それを従業員に浸透させていくことでした。

 経営理念を共有するための仕組みはいくつかあります。各店舗の朝礼で経営理念をみんなで唱和したあと、経営理念をどう実践しているか等を一人ひとりが語る「今日の一言」の時間を設けていることもそうだし、年に一度、「私と経営理念」と題した小冊子を作成していることもそうです。この冊子は要するに、経営理念の実践をテーマに従業員が書いた作文をまとめたものです。

 日本経営品質賞を受けたとき、授賞式の壇上に立った中国人の女性スタッフに対し、会場から「ねぎしと他の店との違いはなんですか」との質問がなされた。するとそのスタッフは、「ねぎしの前に働いていた飲食店はどこも、朝礼で昨日の売り上げやその日の売り上げ目標についての話をしていました。しかし、ねぎしでは全員で経営理念について語ります」と答えたという。

 そして、「人財共育」を進めるうえで重要視しているのが、「PDCA」を回していく仕組みです。この場合のCは、チェックではなく「コミュニケーション」としています。働く仲間同士がコミュニケーションをとりながら成長していくことが大事だと考えています。店長がP(プラン)から関わっていくのがねぎし流ともいえ、さまざまなプロジェクト活動を店長が中心となって行っています。

 例えば「クレンリネス(清潔)プロジェクト」の取り組みの一つに、年2回の「クレンリネスコンテスト」があります。自分たちの店をどれだけ清潔な状態に保っているかを競い合うコンテストで、店長同士が採点者となります。上位の10店舗については賞金がもらえ、下位3店舗についてはぞうきんが手渡されます。ぞうきんをもらうのは店長にとって大きな屈辱です。

 しかしこれは、ピンチがチャンスになるきっかけ。ぞうきんをもらうのはもう嫌だと、そこから店長のPDCAが始まります。上位の店を社内ベンチマーキングして掃除のやり方などを教わり、それを自分の店舗内に落とし込む。もちろんスタッフ同士のチームワークも要求されます。頑張りしだいでは、下位だった店舗が掃除を「わが事」として認識するようになり、飛躍的に順位を上げることも珍しくありません。チーム力が向上すると、「クオリティー(味)」や「サービス(笑顔・元気)」など、クレンリネス以外の「ねぎしの5大商品」(他にホスピタリティー《親切》とアトモスフィアー《楽しさ》がある)についても高いレベルで提供できるようになっていきます。

「親切」が最大の経営戦略

 ねぎし独特の企業文化を形成している考え方のひとつに、「思い8割・スキル2割」というものがある。つまり、どんなに優れたスキルがあっても、そこに思いがないとお客さまの喜びと満足を得ることはできないということだ。この「思い8割・スキル2割」を実現させるために根岸社長が特に意識したのは、「親切」という企業文化を醸成させていくことだった。

「親切(ホスピタリティー)」はまさに、最大の経営戦略です。東京には魅力的な飲食店が数多くあります。その中でねぎしを選んでもらうためには、お客さまへの対応力が一番の切り札になるのです。店舗の各テーブルに常設した「お客さまアンケート」を活用し、接客のよさを名指しでほめてもらった従業員に「親切賞」(ねぎしの1000円分の食事券付き)を授与するといったことを通じて、「親切」の企業文化を拡散・定着させています。

 常設アンケートには、ねぎしの5大商品を5段階評価する項目もあります。その総合満足度の結果を見ると、ほぼ右肩上がりに伸びています(昨年下半期92.5%)。かつての失敗を反面教師にして磨き上げてきたねぎしという会社は、「100年企業(永続的に続く企業)への普遍的な価値」を一歩一歩着実に高めていると思います。

(取材協力・税理士法人新日本筒木/本誌・吉田茂司)

ねぎしの沿革
1970年~
1980年
多業態の飲食店を茨城県、福島県、宮城県の3県にまたがる
広範囲に20店舗出店
1981年 「牛たん・とろろ・麦めし ねぎし」の1号店を新宿に出店
1991年 事務所を仙台市から東京・新宿に移転
2001年 国内BSE発生。売り上げ半減。牛たん以外の商品を発売
2003年 米国でBSE発生。牛たん仕入れ価格高騰
2005年 日本経営品質賞への勉強と取り組みを始める
2011年 日本経営品質賞を受賞
2013年 新セントラルキッチン移転
会社概要
名称 株式会社ねぎしフードサービス
設立 1981年6月
所在地 東京都新宿区西新宿7-17-7 廣田ビル2F
売上高 68億100万円
社員数 社員125名、アルバイト1,350名
URL http://www.negishi.co.jp/

掲載:『戦略経営者』2016年11月号