貸したお金は金利を上乗せして返してもらう──。一般的な商慣習だ。「マイナス金利」が導入されると、貸し出す側が手数料を支払う必要があるという。日銀が初めて導入したマイナス金利政策は果たして吉と出るのか、経済政策に詳しい三菱UFJリサーチ&コンサルティング主任研究員の片岡剛士氏に解説してもらった。

プロフィール
かたおか・ごうし●1972年愛知県生まれ。2001年慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程(計量経済学専攻)修了。早稲田大学経済学研究科非常勤講師。専門は応用計量経済学、マクロ経済学。『日本経済はなぜ浮上しないのか』(幻冬舎)、『アベノミクスのゆくえ』(光文社新書)などの著書がある。
片岡剛士 氏

片岡剛士 氏

──日銀が導入したマイナス金利の仕組みを教えてください。

片岡 マイナス金利とは文字通り金利をマイナスにすることを意味します。通常、お金を貸すときに貸した側は返済してもらうまで貸したお金を自由に使用できなくなるため、そのコストとして金利を上乗せして返してもらうのが一般的です。しかしマイナス金利の状態では、貸し出した側が手数料を支払うことになります。
 民間金融機関には日銀の当座預金口座に毎月一定額を預け入れる義務があり、2月から始まったマイナス金利政策はその一部にマイナスの金利を適用するというものです。
 日銀の当座預金には0.1%の金利が適用されているので金融機関は金利収入を見込めますが、いきなり当座預金の全てにマイナス金利をかけてしまうと、預けたお金に手数料が発生し金融機関の経営を圧迫してしまいます。当座預金の全額にマイナス金利を導入するのを見送ったのはそのためです。これまでに預けられたお金には従来通り0.1%の金利を、新たに預け入れられるお金の一部にはマイナス金利が適用されるわけですが、後者の金額は10~30兆円にのぼるといわれています。

──なぜ日銀はマイナス金利導入に踏みきったのでしょうか。

片岡 2013年4月、日銀の黒田東彦総裁は大胆な金融緩和策を打ち出しました。どのような方法で金融緩和を進めてきたかというと、日銀が金融機関の保有する国債などを買い取り、資金を市場へどんどん供給しています。その代金は先ほど話した日銀の当座預金口座に振り込まれます。企業や家計にお金が潤沢に回れば結果的にお金の価値が下がり、物価が上がって景気を刺激するというシナリオを描いていました。しかし現状、デフレから脱却しつつあるものの物価2%上昇という当初の目標にはほど遠い状況下で、日銀は国債だけでなくリスクの高いリートやETFなどの金融資産も買い取り、量だけでなく質にも働きかけています。そして金利にまで働きかけたのが今回のマイナス金利導入までの流れです。

──物価上昇率の目標達成が主眼にあると。

片岡 巷間(こうかん)、マイナス金利が導入されると金融機関にとって利益減少要因となるため、企業などへの貸出量を増やすのではと期待する人もいます。でもそもそも日銀が量的・質的緩和を行ったのは、企業や家計が想定する実質金利(予想実質金利)を引き下げるのを目的にしていました。予想実質金利とは、国債の利回りなどの金利(名目金利)から予想される物価上昇率を差し引いたものを指します。たとえば100万円を借りて将来物価が上がっていくと予想されるなら、元の100万円の価値は物価上昇分、目減りするはずです。つまり返済するときは元本ほどの価値を持たないため、資金を借り入れて設備投資を行ったり、住宅を購入する人たちが増えると見込まれます。

想定される口座保管料導入

──マイナス金利導入発表から2カ月がたちますが、予想される影響をお聞かせください。

片岡 まず国債ですが、10年物国債の利回りが一時、マイナスになりました。5年物あるいは20年物など、他の満期限の国債利回りにも波及しています。それから住宅ローン金利も下がっており、住宅ローンを固定金利で借りている場合、借り換えを検討する人が増えています。
 さらに身近な話題として、預金金利がマイナスになるのか気になるところです。普通預金の金利は限りなくゼロに近いのが現状ですが、ゆうちょ銀行は金利をさらに引き下げました。というのも、ゆうちょ銀行は他の金融機関と異なり、リスク資産に預金を運用するのが事実上禁じられていて、利ざやを得るには預金金利を引き下げざるを得ないという事情があるためです。
 金融機関が個人向け預金口座の金利をマイナスにするのは考えづらいですが、欧米の金融機関が行っているような口座保管料を法人に請求する可能性は十分あります。あるいはATMで預金を引き出す際の時間外手数料も隠れた金利といえるため、経営状況の厳しい金融機関では新たに時間外手数料のかかる時間帯を設定したりする動きが出てくるかもしれません。ただ預金者に納得してもらうためには、製品やサービスをあわせて充実させていくことが不可欠です。

──企業の融資環境はどう変化しますか。

片岡 中小企業への貸出金利は短期プライムレート(※1)(短プラ)を元に決められるケースが多いですが、主要銀行は短プラを依然引き下げていません。ただ、マイナス金利によって国債などの価格が急騰し、運用先に苦慮している地方銀行は少なくないと思います。地方の中小企業がそうした金融機関と取引している場合、積極的に融資が受けられるのかまだはっきりしていません。日本でマイナス金利が適用されるのは今回が初めてであり、特に地方銀行などの地域金融機関はこの状況をキャッチアップするのに精いっぱいなのが実情のようです。マイナス金利による利益縮小圧力を軽減するにはスケールメリットがものをいうため、地方銀行の再編・合併の動きが加速するとみています。

──金利ゼロのコマーシャルペーパー(※2)(CP)を発行して資金を調達する企業もあるようですが。

片岡 企業は資金を調達した上に利息を受け取れるわけですから、すごい世界に突入したという感があります。サービス業や情報通信業界を中心にインフラ整備のための資金需要が活発になってきているので、マイナス金利を生かした金融商品で投資家から資金を調達する動きは広がっていくでしょう。

必要なのは〝特効薬〟

──諸外国でのマイナス金利の導入事例を教えてください。

片岡 欧州中央銀行(ECB)およびスウェーデン、デンマーク、スイスの中央銀行がすでにマイナス金利を導入しています。ECBはいち早くマイナス金利政策を導入し、0.3・0.4……というようにマイナス幅を広げています。さらに当座預金全額にマイナス金利を適用しているため、金融機関への負の影響が比較的大きい。一方、デンマークやスイスでは日銀のように当座預金の一部にのみ適用しています。肝心の効果ですが、マイナス金利政策によって貸出量が増えるなどの成果が顕著にあらわれているかというと私は懐疑的です。最近のドラギECB総裁の発言を聞いていると、マイナス金利政策ではデフレ圧力に十分対抗できないため量的緩和策に移行したのだと感じられます。

──となると日本でもマイナス金利政策が効果を発揮するのは難しいと?

片岡 デフレから完全に脱却するだけでなく、物価上昇率を引き上げるという二重のミッションを帯びているのが日銀のマイナス金利政策の特徴です。マイナス金利は劇薬だと指摘する人がいますが、私はサプリメントだと思っています。日銀の金融政策の効果をより高めるため、時間をかけてじわじわと効いてくる性質のものと理解した方が自然です。したがって金融機関が積極的に貸し出しを行い、設備投資が活発になるなどの正の循環が起こるのか、まだ予断を許しません。もしマイナス金利政策が期待したほどの効果をもたらさないなら固執せず、撤回するべきだと思います。

──景気を刺激する有効な方策はありますか。

片岡 いま必要とされているのはサプリメントではなく特効薬で、財政政策を活用せずに金融政策のみで景気を浮揚させるには限界があります。日本では何かと資金が必要になる世代にお金が十分に行き渡っていないのが問題で、30~40代と若年層の賃金が低く抑えられている傾向があります。たとえば減税や給付を行うといったやり方で需要を喚起すれば、住宅購入などを後押しできます。

──今後の金融政策をどう占いますか。

片岡 足元の生鮮食品を除く消費者物価指数(CPI)はゼロ近辺にとどまっていて、物価上昇率を2%引き上げるという目標はいまだ実現していません。マイナス金利政策への拒否反応がここまで表面化するのは日銀も想定外だったはずで、マイナス金利幅の拡大にはあまり積極的でない気がします。
 従来の量的緩和策の手詰まり感を指摘する向きもありますが、日銀が資産をさらに買い増し量的緩和を進める余地はまだ残っていると思います。10~30兆円の部分にマイナス金利が適用されると話しましたが、日銀が量的緩和を進め国債などの買い取り額を増やすほど、マイナス金利を適用する対象額が増えていきます。したがってマイナス金利の幅を拡大させなくても、買い取る資産を増やせば効果が上がるスキームになっているのです。こうしたことを踏まえると、4月下旬に予定されている金融政策決定会合で日銀は何らかの追加緩和策を発表する可能性が高いとみています。

※インタビュー実施日 2016年3月25日 
(インタビュー・構成/本誌・小林淳一)

※1 プライムレート・・・銀行が業績、財務内容のよい企業に貸し出す際に適用する最優遇貸出金利
※2 コマーシャルペーパー・・・短期の運転資金などを調達するため企業が発行する証券。銀行、生損保会社、日銀などが購入する

掲載:『戦略経営者』2016年5月号