第34代米国大統領として歴史に名を刻むものの、どこか地味な印象のドワイト・アイゼンハワー。しかし、そのバランス感覚に優れた大らかなリーダーシップに魅せられる人も多い。世界的な経営学者である野中郁次郎氏と飯塚真玄TKC会長が語り合う。

飯塚 近著の『史上最大の決断』を読ませていただき、すばらしい内容だと感銘を受けました。第1次世界大戦が終結し、ミズーリ号上での降伏調印式までの各国入り乱れた激動の歴史のなかで、そのカギとなるノルマンディー上陸作戦を成功に導いたアイゼンハワーの生きざまが、本書には深く彫り込まれています。先生が常々言われている「賢慮のリーダーシップ」とはこのことなんだとあらためて教えられた気がします。

野中 太平洋戦争は軍事戦略という面から見ると陸上戦ではなく、米国海軍と海兵隊が島しょ部で展開した独特の水陸両用作戦が勝敗を分けました。海兵隊が新しい戦い方のパラダイムを生みだしたのがポイントでした。一方で欧州はどうだったか。こちらはグローバルな連合軍の水陸両用作戦だったんですね。もちろんターニングポイントはノルマンディー上陸作戦で、そのリーダーがアイゼンハワー。彼の戦い方が戦後の世界地図を変えたわけです。

決してカリスマではなかった

飯塚 ノルマンディー上陸作戦は1944年の6月ですが、ご著書では、アイゼンハワーの連合国遠征軍最高司令部最高司令官にたどり着くまでの生涯が詳細に書き込まれてあり、おもしろいなあと。

野中 私もこんなにおもしろいとは思わなかったですね(笑)。強調すべきはアイゼンハワーはカリスマではないということです。ちなみに太平洋戦争の海兵隊にもカリスマはいませんでした。かのドラッカーは、カリスマ性の有無が重要なのではなく、正しい方向に導くことが優れたリーダーの要件であり、20世紀の建設的な成果はカリスマ性とはまったく関係がないと喝破しています。

飯塚 カリスマ性のない彼が、よくあの地位まで上り詰めたと不思議に思います。しかも陸軍士官学校では凡庸な成績だったとか。

野中 アイゼンハワーには、元上司のダグラス・マッカーサーや親友のジョージ・パットン将軍などと違って彼自身が主人公となっている映画がないんですね。主人公のような派手さはないですが、リーダーのエッセンスを職人的に錬磨しながら大統領にまでなった希有(けう)の人です。調べれば調べるほどおもしろい。私の主張する「賢慮のリーダーシップ(※)」の6つの条件にもすべて合致しています。

※賢慮のリーダーシップ
 ①「善い」目的をつくる能力 ②知を生み出す場づくりがタイムリーにできる能力 ③現実を直観する能力
 ④背後にある本質を言語化する能力 ⑤それを実行・実現する政治力 ⑥個人の実践知を組織の実践知にする能力

飯塚 確かにカリスマという言葉には宗教性というか「信じ込む」というようなある種危険なイメージがありますからね。

野中 カリスマはちょっと間違えるとドグマ化します。ドクマ化すると、現実の変化に柔軟に対応することが出来にくくなります。だからアイゼンハワーのように、カリスマではない人が、カリスマの要素を学びつつ、組織としてのベストを考えていくリーダーシップが必要になるわけです。

飯塚 どうすればそのような才能が手に入るのでしょうか。

野中 最近、米国でのおもしろい研究があって、それは「成功する子ども」の属性として、やり抜く力、忍耐力、自制心、意欲、社会的知性、感謝の気持ち、楽観主義、好奇心などといった項目が続々と出てくるのに対して、IQの高さはそれほど問題とならないというものです。つまり、知能指数などのコグニティブ(認知)スキルよりもノンコグニティブ(非認知)スキルの方がより大事だということです。さらに言い換えれば、頭で分析する形式知よりも身体的な習慣で形成される暗黙知的なスキルの方が成功を導くということ。いわば職人道です。アイゼンハワーが、与えられた仕事をあきらめずに好奇心を持ちながらチャレンジする姿も極めて職人的です。

飯塚 ご著書によると、アイゼンハワーにはすばらしいメンターが複数いたとのこと。その教えを受けながら、自ら成長を遂げていったと。すばらしい話だと思います。

野中 組織では、やはり誰かが見てくれているということでしょう。彼の最初のメンターはフォックス・コナー少将でした。

飯塚 この人はあまり日本では知られていませんね。

野中 アイゼンハワーは当時の陸軍の最もインテリジェントなボスにつかえたのです。コナーは第1次大戦では欧州派遣軍の作戦幕僚で、優れたリーダーでした。彼はマキャベリ、ナポレオン、シェークスピアの著作などリベラルアーツに精通し、とくにクラウゼヴィッツの『戦争論』には非常に詳しかった。アイゼンハワーはこの『戦争論』を暗記させられたほどでした。昔、日本人の侍の子息は論語を暗記させられました。当初は意味が分からないけど、成長するにつれて論理がつながってきて立派な侍になる。それと同じことが彼にも起こったのではないでしょうか。

空、戦車、フランスを熟知

飯塚 それからマッカーサーの下につくわけですが。

野中 彼からカリスマの良さと悪さの両方を学んだといえるかもしれませんね。2人は馬が合わなかったようですが、反面教師としてとらえながら9年間も彼の下で要職をつとめています。

飯塚 士官学校をトップで卒業したようなエリートのマッカーサーがアイゼンハワーに目を付けたきっかけが、米国戦闘記念施設委員会の仕事で、第1次大戦の欧州戦跡を見て回り、執筆を担当した戦争案内書がきっかけだったというのもおもしろいですね。

野中 いつもニコニコして人が寄ってくるタイプだから、赤ワイン片手にフランスの村の人たちと仲良くなりながら、現場に詳しくなり、結果、それが後のノルマンディー上陸作戦の成功へとつながったわけです。そう考えると不思議ですよね。言われたことを愚直に一生懸命やる庶民的な男。エリートでもカリスマでもありませんが、マッカーサーの後は、またまた陸軍きってのブライテストマンであるマーシャルに見込まれて副官として活躍します。

飯塚 現場をよく知るたたき上げのタイプだけに重宝されたのでしょうか。

野中 彼はパイロットの免許を持っていて、戦車隊ではあのパットンと知り合い一緒に論文を書いたりしている。空が分かり戦車が分かりフランスの地形が分かる。こう考えるとノルマンディー上陸作戦の指揮をとったのも当然なのかもしれません。

飯塚 天の配剤といえますね。もちろん本人の努力もあったのでしょうが。

野中 各上司に無理難題をふっかけられてもそれを好機ととらえて一皮二皮とむけていく。好奇心にあふれ、忍耐がある職人のような男だったのだと思います。

「知行合一」を体現

飯塚 先にも話に出ましたが、アイゼンハワーの陸軍士官学校の成績は平凡で、卒業時、164人中61番だったとか。もし彼が旧帝国陸軍の軍人だったらうだつのあがらない存在だったでしょうね。

野中 おっしゃるとおりですね。しかし、米国陸軍には「テンポラリープロモーション」という、戦時には能力のある人材を階級を飛ばして上にあげる制度があります。アイゼンハワーもこの制度にのっかって最後には大統領にまでなった。非常に機動的な人事制度といえます。

飯塚 日本軍の人事にはその機動性が足りなかった。

野中 それともう一つ。合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長のアーネスト・キングはもともとパイロットで空母の艦長や潜水艦の指令官も経験しています。太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツは潜水艦が専門です。機動部隊(タスクフォース)はとにかく海と空を制する必要がある。

飯塚 日本のタスクフォースを率いた南雲忠一さんは水雷が専門ですものね。

野中 なので、潜水艦も飛行機も分からない。そういう人事の機動力と適材適所で決定的に負けていたわけです。

飯塚 年功序列を最後まで守りきった。

野中 そういうことです。実は機動部隊も最初は山本五十六のアイデアでした。それをいちはやく取り入れイノベーションを加え、進化させた米軍の機動性が、日本軍を大きく上回ったということです。

飯塚 ご著書の『失敗の本質』によると、珊瑚海海戦で米国艦隊がバラバラになり、敗戦してしまった。その教訓を踏まえタスクフォースができたのだとか。その気づきと対応は見事だと思います。

野中 日本軍は真珠湾でもミッドウェイでも空母が離れて位置し、しかも護衛は駆逐艦のみ。一方の米国は空母の周りに駆逐艦、巡洋艦、戦艦が入れ子のように配置され、対空能力が非常に高かった。ひとつひとつの戦いの結果をすばやくフィードバックし、どんどん強力になっていった。日本の硬直的な組織体系には、そのようなフィードバックシステムはありませんでした。アイゼンハワーも、そんな柔軟な環境だからこそ頭角を現すことができたのだ思います。

飯塚 先生の主張される「賢慮のリーダーシップ」の一つ目の条件は「善い目的をつくる能力」ですが、アイゼンハワーはノルマンディー上陸作戦の直前と大戦終了後に、将兵に対して、この戦いが単なる勝利ではなく、人類にとっての歴史的貢献であることを高々とうたっています。

野中 そこは非常に重要なご指摘です。組織をまとめるためには「コモングッド」(共通善)は絶対条件ですから。コモングッドの提示と実践によって人々はひとつになれる。そのグッド(善)をリーダーが体現するためには歴史的な幅広い知識と構想力、そして深い洞察力が必要です。アイゼンハワーにはそれがあったといえます。ウィンストン・チャーチルもそこが明確で、英国の打ち立てた議会制民主主義は絶対的な善だと主張して、だからこそヒトラーのような独裁政治は打破しなければならないと言ったのです。前任者のネヴィル・チェンバレンの宥和(ゆうわ)政策とはまったく違う方向性を示し、結果的に民衆の支持を得て勝利しました。

飯塚 先生は「ありのままの現実を直観する能力」もリーダーの重要な要件に挙げておられます。アイゼンハワーやチャーチルは豊富な現場体験をしていますが、ヒトラーにはほとんどそれがない。このあたりの現実認識の弱さも戦況に影響したのでは?

野中 ヒトラーは前線に出たのはポーランドでのただ一度だけです。あとは後方での視察にすぎません。第1次大戦の時も塹壕(ざんごう)戦しか経験していない。

飯塚 つまり暗黙知がないと。

野中 現場を体験しているアイゼンハワーやチャーチルは、全身を使って直観した上で、それを総合して概念化していました。知行合一の世界です。まあ、東洋では当たり前の考え方なんですけどね。

飯塚 東洋人はカオスが普通で、そこに喜びを感じたりもします。ところが欧米人はカオスは嫌いで、なんとか整理整頓したいという情熱を燃やします。

野中 おっしゃるとおりです。ところがわれわれ日本人は、直観の本質を言語化して共有し、さらに理論モデルにする能力が弱い。きちっと戦略化できないので単なる現場主義で終わってしまう。

最後は「利他」の人間力

飯塚 以前、数学者の藤原正彦さんと対談した際、これも著名な数学者の岡潔さんの話になりました。この人はフランス留学から帰国されて1年間、俳句や和歌に没頭され、その後、論理の世界に戻られて、数々の難問を解いて数学界の世界的権威になられた。いまの話で、それを思い出しました。

野中 よく分かります。日本人は俳句や和歌など言語を凝縮して表現する能力にすぐれているはずなのですが、それを論理的なモデルにするまでに高いハードルがある。でもそれを乗り越えるとより高くジャンプすることができるということではないでしょうか。

飯塚 そこが野中先生の啓蒙(けいもう)者としての役割なんだと思います。暗黙知から形式知への転換を日本人に促すという意味で……。

野中 ジャンプするにはメタファー(暗喩)が必要なんです。メタファーは文学ですから、ここでもリベラルアーツの重要性が示唆されます。アイゼンハワーも上司からリベラルアーツを学び、ジャンプを可能にする「足場」を広くしていったといえます。

飯塚 「賢慮のリーダーシップ」には「政治力」も必要とされています。アイゼンハワーの場合はどうだったのでしょう。

野中 リーダーシップを発揮するには何らかの政治力は必要です。職務上・人事上のハードパワー、知見や情報力などのソフトパワーそれぞれに重要ですが、彼の場合「この人のためにやらなければ」と思わせる「人間力」を感じます。ただ、それだけではなかったようで、たとえば彼の息子さんはあるインタビューで「冷徹な側面を持っていた」と応えています。

飯塚 親友のパットンも最後は切りました。

野中 何度もフォローして、でも最後はね……。しかし、少なくとも人に恨まれるようなことはなかったでしょう。どこかで自利よりも利他が上回っているんですね。計算高さが感じられないのです。

飯塚 大統領時にリチャード・ニクソンを冷遇しましたが、彼の計算高さを嫌ったのでしょうか。

野中 ある意味ではそうでしょうね。彼のドグマチックな政治性を嫌ったのかもしれません。

飯塚 不純だと。

野中 マッカーサーにも同様の、どこかでたえず計算しているようなうさんくささを見たのではないでしょうか。一方でアイゼンハワー自身はボスから与えられた任務以上のことをやってしまう。しかも情熱を持ってね。つまり彼の本質はやはり「利他」であり、だからこそ、賢慮のリーダーシップを発揮できたのだと思います。

プロフィール
のなか・いくじろう 一橋大学名誉教授、カリフォルニア大学バークレー校経営大学院ゼロックス名誉ファカルティ・スカラー。「知識経営」の生みの親といわれ、英語で出版された『知識創造企業』は「ナレッジ・マネジメント」を一気に経営学の分野で広めた名著で、数々の賞も受賞した。海外で知られる数少ない日本の経営学者。『失敗の本質』『知識創造企業』『戦略の本質』『国家経営の本質』『全員経営』など、著書多数。

(構成/本誌・高根文隆)

掲載:『戦略経営者』2016年1月号