33年間の長きにわたり箱根駅伝から遠ざかっていた青山学院大学陸上競技部。そんな弱小チームを2015年正月の箱根駅伝で総合優勝するまでに強くしたのが、原晋監督(47)だ。チーム強化のうえで生かしたのが、かつてトップ営業マンだったときに身に付けたビジネス手法だった。そんな異色の指導者に話を聞いた。
- プロフィール
- はら・すすむ●1967年、広島県生まれ。広島・世羅高校では主将として全国高校駅伝準優勝。中京大学では3年時にインカレ5000メートルで3位入賞。中国電力陸上競技部に1期生として入部するが5年で選手生活を終え、同社の営業部のサラリーマンに。2004年から現職。09年に33年ぶりの箱根駅伝出場を果たし、15年の正月には青学大を史上初の箱根総合優勝に導く。著書に「魔法をかける」(講談社)、「逆転のメソッド」(祥伝社)、「青トレ」(徳間書店)がある。
原 晋 氏
──いまでこそ箱根駅伝を制した青山学院大学陸上競技部の監督として活躍されていますが、前職はふつうのサラリーマンだったそうですね。
原 自称「伝説の営業マン」です(笑)。中国電力の陸上部に1期生として入部したものの、5年で選手を引退。それから約10年間は営業活動に従事しました。さまざまなセクションを渡り歩きましたが、いずれもトップの営業成績。なかなか独創的な提案営業をしていたんですよ。
──たとえばどんな……。
原 なかでも思い出深いのが、空調機器の省エネを実現するエコ・アイス(氷蓄熱式空調システム)を小学校に売り込んだとき。そもそも小学校には夏休みがあって、夏本番の時期にはエアコンを使わない。そんな相手にどうやってエコ・アイスを売ったかというと、エコロジーについて子どもたちに知ってもらうための「教育資材」として提案したんです。屋上には太陽光パネル、地上にはエコ・アイスを取り付け、節電効果をグラフで目に見えるようにするとともに、さらに私がエコに関する出前授業をするという話を持ちかけたところ、中国電力管内ではじめて小学校に導入してもらえることになりました。
私の営業の極意は、自分のメリットだけでなく、相手にとってどんなメリットがあるかを考えて提案することにあります。要は、「ウイン・ウイン」の世界です。
──チーム育成の10カ年計画のプレゼンが買われて、2004年に青学の陸上部監督に就任されたとか。プレゼンで中長期計画を示すあたりは、いかにもサラリーマンの文化ですね。
原 「5年以内に箱根駅伝に出場、10年以内に優勝争いできるチームに」といった内容の計画でした。電力会社は典型的な装置産業で、発電所をひとつ作るにあたっても用地買収から始まり何年もかかる。プレゼンの際に中長期計画を提示することは、私にとってごく当たり前のことでした。
──計画を実現するためには、PDCAサイクルを回すことも必要となりますが……。
原 営業マン時代はまさしくそれをやっていました。ただPDCAサイクルを回すことも重要ですが、それ以前に計画を策定するうえでの「キーワード」が間違っていないことが大切です。それが正しくないと、いくらPDCAサイクルを回したところで目標は達成できません。
──原監督の場合は、何をキーワードにしたのですか。
原 33年間にわたり箱根駅伝から遠ざかっていた陸上部を強くするために私がキーワードにしたのは、「規則正しい生活」でした。陸上は、パンツとシャツ一枚で、自分の体ひとつで走る競技。規則正しい生活を抜きには、強くなれないのです。結局、生活改善に3年はかかりましたが、それに伴いチームは強くなり、09年には箱根出場を果たすことができました。その頃にはもう門限破りをする選手は一人もいませんでしたね。
──その後、上位に食い込むようになり、監督就任から11年で箱根駅伝優勝を成し遂げたわけですが、これほどまでの結果が出せた要因は何でしょうか。
原 毎年、毎年の地道な努力でしょうね。それと私の指導スタイルが時代の流れに合ってきたということもあるかもしれません。
──原監督の指導スタイルとは。
原 一言でいえば、チームと個人の「自立」を促す指導法です。要するに、「どうすれば速く走れるようになるか」を選手たちに考えさせて実践してもらう。そもそも発想力などは若い選手のほうが優れています。彼らを自立させて、能動的にやらせたほうが監督の力量を超えるアイデアが出てくるんです。ただ、そのトレーニングをチームとして今やるべきなのか、半年後にやるべきなのか、あるいは5年後にやるべきなのかという判断は、彼らではできない。「それは君の言っていることが正しいけど、今やるタイミングじゃないよね」という話をするのは、私の役目です。
「目標管理シート」を導入
──成果主義を取り入れている会社ではおなじみの「目標管理シート」を導入するなど、選手育成にもビジネスの手法を取り入れているようですね。
原 選手たちが生活している町田寮(東京都町田市)の階段の横には、みんなに提出してもらったA4一枚の目標管理シートがずらりと並んでいます。そこには、チームとしての「年間目標」や、個人としての「月間目標」とそれを実現するための「具体案」が書き込まれています。
──目標を設定すると、選手たちは頑張れますか。
原 そりゃ、自分が設定した目標に対して責任を負うようになりますからね。つまり「自分で自分をコーチする」ようになるんです。
目標を設定する際のポイントは、あともう少しで手が届きそうな〝半歩先〟を目標にすることです。実現できそうもない目標を定めても意味がないんですよ。半歩先の目標を設定し、それを段階的にクリアしていくことで大学4年の間に大きな成長を遂げられるのです。
とはいえ選手たちには変なプライドがあり、周囲とくらべて「自分はこのくらいのタイムを出せるようになりたい」とか、「理想の選手像に近づくための目標を設定したい」と考えてしまうところがある。でも例えば50人の選手がいたとしたら、1番から50番の順位が着くのは当たり前で、いまの自分の立ち位置がどこかをきちんと自覚する必要があります。そのうえで、少しでも順位を上げるためには何をすればよいかを考えていくべきなのです。目標設定したタイムと、実際のタイムがあまりにかけ離れているようでは、目標を定める意味が薄れてしまうのです。
──「朝の一言スピーチ」も実践されているとか?
原 順番が回ってきた選手一人が朝食の際、練習をするなかでの自分の意気込み等をテーマにスピーチをします。これを続けているのは、たとえ話や言葉遊びを通じて、選手たちに会話力や表現力を身に付けてもらいたいからです。ちなみに今日のスピーチは、〈カレーライスがダメなら福神漬けになろう〉というものでした。要は、スポットライトを浴びるスター選手が無理なら、いぶし銀の走りを目指そうといった内容です。
──新入生のスカウト、つまり「採用」に力を入れることも常勝チームを作るうえでは必要になってきます。選手選びの基準を教えてください。
原 部の方針をきちんと理解してくれる選手をとることを最優先としています。まるで違う考え方なのに、たんに高校時代のタイムが良いからという理由だけでとると、お互いのためにならないのです。
それと、私が選手をスカウトするにあたって基準の一つにしているのが、「表現力が豊かな選手か」「自分の言葉をもっている選手か」ということ。私がやっているのは、首根っこをつかんで右向け右をさせる指導法ではありません。簡単なキーワードだけを伝えて、あとは自分で考えさせるやり方。言葉のやり取りがしっかりとできる選手のほうが伸びるんです。
陸上界の常識を変えたい
──青学の監督に就任する前から、「陸上界の常識を変えたい」との思いがあったそうですね。
原 まず変える必要があるのは、中高ジュニアがやっている体操(補強運動、ストレッチ)です。陸上競技のための体操がずいぶん進化しているのに、中学校や高校でやっているのは昔と変わっていない。さすがにウサギ跳びはなくなりましたが、腕立て、腹筋、背筋といった補強運動を陸上部でもサッカー部でも同じようにやっているのはおかしいですよ。
陸上に関して言えば、やればやるほどダメなのが腕立て伏せ。肩甲骨まわりの筋肉を鍛えると、ロボットみたいな腕の振りになる。本来やるべきなのは、腕がスムーズに振れるようになるための体操なのです。試合で監督が「腕をもっと振れ~!」と声援を送っているのに、日ごろの練習では腕の可動域を狭くする真逆のトレーニングをさせているとしたら、それは変えるべきなのです。
あと陸上界は暗いので、そのイメージを払拭(ふつしよく)していきたい。スポーツ選手は華やかなことはダメ、チャラいことはダメだといった常識はそろそろ変えたいですね。
──来年正月の箱根駅伝に向けての展望をお聞かせください。
原 タイムを要求できる野球などの競技なら監督の采配が試合を左右することもあるのでしょうが、駅伝の場合は選手一人ひとりが責任を持って走るしかない。だからあくまでプレーヤーが主役で、私がどうこう言えるものではないと思います。ただ青学陸上部はこの1年間、学生駅伝3冠を目指して練習を積んできたので、いざスタートラインに立てばおのずとそういう結果が出てくるのではないかと期待しています。
──最後に中小企業経営者に何かメッセージをお願いします。
原 私は安定したサラリーマン生活を捨て去り、〝覚悟〟を決めて青学陸上部の監督になりました。そうした覚悟を持ってぜひ会社経営にあたってもらいたいものです。それと、会社のリーダーであるからには自分の心構え、あるいは理念といったものを従業員に対して積極的に発信していくことも大事だと思います。社長の熱いメッセージは従業員の気持ちを動かし、そう簡単には消えてなくならない「貯金」になるのです。
(インタビュー・構成/本誌・吉田茂司)