斜陽とは西に傾いた太陽、字義通りにとれば、夕日のことである。これが戦後、没落する上流階級のことを「斜陽族」と呼ぶようになり、後の太宰治の代表作『斜陽』へとつながる。斜陽産業という言葉のはじまりは定かではないが、高度成長が止まったあたりから使われはじめたのは確かである。一般的には売上高や生産高がピークアウトし、将来も回復が見込めない産業のことを指す。いわば「先のない」産業ということだ。

 思いつくのはまず、工業地帯に煙突を連ねる中小製造業だろうか。プラザ合意以降、円高による親会社の生産拠点の海外移転が進み、必然的に日本各地に存在していた産業集積地が地盤沈下。東京・大田や東大阪などは、最盛期の半分以下の落ち込みようだ。

 それから農業、漁業、林業といった第一次産業や小規模小売業ならびに商店街。さらに建設業、紡績、出版(紙媒体)、教育産業、旅館業など、いまの日本で斜陽産業を挙げていくと枚挙にいとまがない。理由はさまざまあろうが、日本自体が少子高齢化が進んで生産労働人口が減少に転じ、今後人口自体も急激に減り始める見通しのなかにあることがもっとも大きい。「人口が増えることによってしか従来型の成長は期待できない」と主張する識者も多い。いわゆる「人口ボーナス」現象である。

 だとすれば、人口がピークアウトしてしまった日本自体がすでに「斜陽産業国」ということができないだろうか。つまり、斜陽産業は当たり前の現象。愚痴っても仕方がないのである。

斜陽産業だからこそブルーオーシャンたり得る

 しかし、構造的に斜陽化せざるを得ないも環境でも、必然の力をものともせず、力強い反発力を見せている企業は多々ある。

 逆に考えれば、斜陽化しているからこそ、そこにブルーオーシャンが広がっている可能性が高いともいえないだろうか。なぜなら、いったん周囲から斜陽産業と認定されれば、潮が引くようにその担い手が減少していくからだ。沈みそうな船からねずみが大量に逃げ出すように、儲からない市場から人が過剰に逃げ出すとするなら、船と違って市場自体は残るので、そこに大きなチャンスが生まれる。少し工夫を施せば、これまでのような過当競争に悩まされることなく、比較的自由に我が道を行ける――そんな事例を、われわれは数多く見てきたし、今後も中小企業生き残りの有力戦略であると信じる。

 目を転じてみよう。成長産業とはなんだろうか。ITか、介護・福祉か、医療か。だが、いずれの分野もいまや激しい競争にさらされ、中小企業の入り込む隙はごくわずかである。最新の技術とノウハウ、さらにはイノベーションが必要で、場合によっては世界を相手に戦うケースも出てくる。生き馬の目を抜く市場で、勝ち抜くための戦略があれば話は別である。でなければ勝ち目は薄い。

 本特集では、あえて成長産業を避け、斜陽産業で成長のきっかけをつかんだ企業を5つ、後欄のケーススタディで紹介する。それぞれの事情のなかで試行錯誤を繰り返すストーリーは同じだが、意外な発想は、成長産業よりもむしろ斜陽産業で結実しやすいのではとの印象を受ける。

 ケース①(『戦略経営者』2015年2月号P12)の東京チェンソーズは「林業」。林業といえば、「斜陽」を通り越してすでに産業としてはほぼ消滅に近い状況である。一部の建設系企業の所有林などは別としても、一般的な林業のイメージは、全国の森林組合が行政の指導を受けながら、森の間伐や下刈りをするのが精一杯というものである。そこに可能性があるとはとても思えないが、大学卒業後2年間を無為に過ごしていた東京チェンソーズ・青木亮輔社長の発想はちょっと違った。

 「競合が少なく、やり方次第では人生の挽回ができる」

 もちろん「好きこそものの上手なれ」で、青木社長は東京農業大学の森林科出身。サークルは探検部。自然大好き人間だからこそ、森林に人を集め、ビジネスにしていくアイデアも見えてくる。林業体験会やツリークライミングなどのイベントによる人集めは、完全に若者のノリだ。しかし、一方では、行政ともしっかりと話し合い、また協働し、国策としての林業振興を意識している。

コスト管理と市場戦略が生き残りの最低条件

 スキーも斜陽感あふれる業界である。広瀬香美や松任谷由実の歌詞や若者向けドラマのテーマとなった「トレンディな」スキー場のイメージは、いまや消え失せた。なんと、来場者数はバブル期の3分の1だという。そんな市場に挑み続けているのがマックアース(ケース②:同P14参照)の一ノ本達己社長。なんと33のスキー場を運営している。

 スキー場というのは、バブル景気に支えられていただけに、経営に甘さがあった。甘くても儲かったのである。しかし、いったん下降線を描きはじめると、殿様商売に終始していた経営陣に、もはや立て直す力はない。しかし、実は、一ノ本社長のような経営のプロが手がければ、コスト面やマーケティング面での改善点はたくさん出てくるのだ。それを我慢して実践できるかどうかが、生き残りのためのポイントとなる。

 一ノ本社長によると、生活圏からスキー場に数時間で行ける恵まれた環境にあるのは、世界でも日本とスイスくらいだという。そんな環境を最大限に活用することができれば、世界市場を相手にすることも可能だ。同社長の自信の根拠は明確である。

 日本の中小企業の大半が斜陽産業に属しているといっても過言ではないだろう。だからといって、成長市場への安易な転換は、コストもかかるし事態をより困難にする場合が多い。斜陽産業に自らの居場所を見つけ、戦略的な経営で立派に生き残っている経営者たちの奮闘を、以下でご紹介する。

(本誌編集室)

掲載:『戦略経営者』2015年2月号