- プロフィール
- たかさわ・だいすけ●新潟県新発田市生まれ。1982年、東京の大手百貨店に入社、婦人服や雑貨の販売を担当する。85年菊水酒造に入社。89年専務、2001年には代表取締役社長に就任。以降、さまざまな「改革」を仕掛け、全国の日本酒ファンから高い評価を得ている。
髙澤大介 氏
大学を卒業後、3年間大手百貨店に勤め、菊水に入社したのが1985年。以来、環境的には常に厳しい状況が続いている。清酒市場の長期低落傾向はとどまるところを知らず、72年をピーク(課税移出数量177万キロ)に現在はその約3分の1の57万キロにまで落ち込んでいる。
理由は80年代以降、「新人類」といわれる個を重視する若者たちが出現し、縦社会のなかで日本酒をともに酌み交わす文化が次世代に継承されなくなったことにある。加えて、ディスカウンターの出現で海外から安価な酒類が続々と入り、規制緩和で流通も激変。どこでもお酒を購入できるようになった。業界の「一物一価」的な価格維持の慣習が崩れた上に、お酒と消費者の接点と商品の選択肢が劇的に増加したのだ。
専務に就任した89年のころ、私は、父であり4代目の髙澤英介(現相談役)と、しばしば意見が衝突した。父は『ふなぐち菊水一番しぼり』という当時としては画期的な缶入り清酒を大ヒットさせた当社中興の祖。杜氏制度を廃止し、その技術を定量化・内製化した先見性も見習うべきものがある。そんな父をリスペクトしつつも、私は、既述したような激変する市場環境への対応が甘いと訴え続けた。時には大げんかにもなったが、最終的に父は、「それほど言うならやってみろ」と入社4年目の若造に会社のはんこを渡してくれた。
まず、私が問題視したのは営業のミスマッチ。夫婦でやっているような酒屋さんや居酒屋さん相手の営業だけでなく、組織小売業者・外食業者に売り込まなければならない。交渉に厳しい条件をつきつけられ、古参の営業マンなどは泣いて帰ってくる。従来型の営業手法では太刀打ちできないことは明らかだった。
もうひとつのネックは社内の「製高営低」という考え方。つまり、立場的に製造部門が上で、営業部門が下という風潮である。これでは、両部門が感情的に敵対してしまう。つくれば売れる時代はそれでもよかったのだろうが、流通が激変してしまい、もうそれでは通用しない。私は大手百貨店でお客さまとの接点を経験していたこともあり、このあり方が許せなかった。ものがあふれかえっている時代に、プロダクトアウトの考え方だけで生き残れるはずがない。営業がマーケットのニーズをつかみ、それを製造が形にする。そんな営業と製造が一体化した風土・体制が必要だと考えた。それからは、社内教育と啓蒙活動に邁進した。外部から講師を呼んでセミナーを行ったり、社員と個別に面談をするなど、新しい営業のあり方、製造のあり方、会社の理念・方針を訴え続けた。
基本的な考え方は顧客第一主義である。なかでもお客さまとの接点を重視する。そのため、営業はあらゆるチャネルにアプローチし、その情報を製造にフィードバック、消費者ニーズに合致した製品づくりを行う。これを繰り返すことで、結果的に、社内の一体感は増し、いまでは、営業が困っていると製造がかけつけ、製造がトラブると営業が手助けするというフレキシブルな体制ができてきた。また、そのような一体感をベースに、過去10年間の地域別の販売データに基づいた科学的なマーケティングも取り入れた。
新たな取り組みを連発
私は市場維持戦略と市場開発戦略を分けるべきだと考えている。「市場維持」は縮小する国内清酒市場のなかで、やれるべきことに全力を傾けファンを開拓し蔵元として存在し続けること。そのためには新たな感性に基づいた取り組みが必要になる。吟醸生酒の人気ブランド『無冠帝』をブルーのワイン風ボトルに切り替えたり、また、年間8億本が廃棄されているといわれるワインボトルを中心とした洋酒瓶をリユースするラインを開発し『菊水スタイルボトル』として発売しているのもその取り組みの一環だ。さらに、東京・秋葉原には『KURAMOTO STAND』という店舗をオープン。お酒はもちろん、酒粕を使用したパンケーキなどの食べ物を提供。〝酒育セミナー〟を開催した際には、参加者の半数が女性になるケースもある。
一方、「市場開発」はやはり海外戦略である。当社のお酒は2000年あたりから米国の流通業者を通して売れ始めたが、私が2004年に訪米した際、「これはまずい」と感じた。フォローができていないのだ。即座に、アメリカのロサンゼルスとニューヨークに拠点を設け、営業活動のための社員を常駐させた。現在、把握しているものだけで約1000の飲食店に納入している。
さて、私の社長としてのミッションはあくまで「持続」だと考えている。菊水酒造を持続するとともに、日本酒文化を継承する。そのために研究開発、製造、人材育成、情報発信機能、日本酒ファンとの交流機能を併せ持つ「菊水日本酒文化研究所」も設立した。また、ここ数年「菊水リニューアルプラン」と銘打ち、30億円超(年商は約54億円)をかけて生産設備の総入れ替えを行っている。これも次世代へつなぐための施策。かといって無理はしない。この大型設備投資をすべて終えても当社の自己資本比率は70%超を維持する予定だ。
(インタビュー・構成/本誌・高根文隆)