NHK大河ドラマで黒田官兵衛が主人公になり、いま再び脚光を浴びている「軍師」というポスト。重宝されたのはなにも戦乱の世だけではない。ビジネス戦国時代には「現代の軍師」が必要なのである。
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」がいよいよ佳境に入ってきた。戦国時代の史実から経営が学ぶべきことについて研究を重ねている立場からすると、戦国時代における主君と軍師の関係が、中小企業における社長と右腕のあり方について教えてくれることは少なくないと感じている。では戦国時代にどんな主君と軍師の組み合わせが存在したのだろうか。代表的な例をまとめた図表1(『戦略経営者』2014年8月号P15)を見てほしい。
一口に軍師といってもいろいろなタイプがあることがお分かりいただけるだろう。執政というのは基本的には「社長」だ。主君が会長職となり、社長を家臣にまかせるというパターンである。次の補佐役は副社長にあたるだろう。3番目の参謀は軍事や外交など戦国時代でも華やかなポストとされてきた狭い意味での軍師と考えればよい。側近はいわば秘書役だ。合戦師は軍事の専門家で、仕えていた武田家の滅亡後に小所帯ながら戦の天才として活躍した真田家などが有名。厳密には右腕とはいえないが、島左近だけは例外といえるだろう。最後は政策ブレーンで、これは政府の諮問会議メンバーと考えれば分かりやすいだろう。権限が委譲されているわけではなく、それぞれの得意分野を持つ複数の側近が主君を支えるというスタイルである。
ちなみに表中の青い数字は、大河ドラマの主人公として軍師が取り上げられた年を示している。2007年に山本勘助、09年に直江兼続、14年に黒田官兵衛、16年には真田幸村が予定されている。秀吉、家康、信長などの有名人物だけでなく、その周辺の人々を通じ歴史を描くという流れになってきていると思うが、とくにここ数年は「軍師」的な人物が主人公として抜てきされているのが目立つ。主君を裏で支えてきた本当の実力者に関心が向いているという世論のあらわれといえるかもしれない。
敵の資産を負債に変える
社長の手となり足となって会社を支える右腕の存在は企業の成長にとって欠かせないが、軍師官兵衛はどのような手法で主君に忠を尽くしてきたのだろうか。有名な備中高松城の水攻めを分析することで、彼が繰り出した戦略からマネジメントのヒントを知ることができる。
戦場となった備中高松城は湿地帯で泥や田んぼなどが多く、大軍で近寄ることができない難攻不落の城として知られていた(『戦略経営者』2014年8月号P16図表2参照)。秀吉軍は、土地が低いこの地形を逆手にとり、付近を流れる足守川をせき止めてしまった。一帯を池にしてしまうことで周辺からの物資を止める兵糧攻めの手法を採用したのである。この水攻めは、敵の強みである難攻不落の立地をたちまちのうちに弱点に変える、いわば「敵の資産を負債に変える」という官兵衛の戦術家としての才能がいかんなく発揮された作戦だった。
ところが、である。城が水没する直前まで水がたまり、いよいよ開城降伏が目前に迫ったというときに本能寺の変が起こってしまったのだ。秀吉軍は2~3万。籠城している清水宗治の軍は3000~5000とみられ包囲軍の兵力が圧倒的に勝っているようにみえたが、実は少し距離をおくと吉川元春や小早川隆景、さらにその奥には毛利輝元の本隊が陣地を構えていた。その数4万。秀吉としては信長に大軍を率いてもらって決着をつけるつもりだったのが、その総大将の信長が突然殺害されてしまったのだから大変である。数的優位を築くだけの兵力はもうこない。
そもそも中国筋の大名は織田軍につくか毛利軍につくか天秤にかけている者も多く、このことが知れ渡れば、毛利側に寝返る者が続出することも容易に想像できた。秀吉軍はたちまち崩壊の危機に陥ってしまったのである。一説には秀吉自身の動揺も激しく、正常な判断が難しくなってしまったとも言われている。
この窮状を救ったのが官兵衛だった。「これはピンチではなくチャンス。毛利側と和睦し、取って返し明智光秀を打ち破れば信長の後継者になる可能性が極めて高くなりますよ」という趣旨のことを進言したのである。秀吉は我に返り、200キロ強を6日間で駆け抜け、光秀を山崎で打ち破った。有名な「中国大返し」である。ピンチをチャンスとしてとらえる発想の転換とそれを可能にする戦略の立案、動揺する主君に的確なアドバイスをし、励ますコミュニケーション能力──官兵衛の右腕としての能力がさえわたった一番のトピックといえるだろう。
これだけの距離を短期間で移動できた背景には、もちろん周到な準備と巧みな人心掌握術の存在があった。官兵衛はこの作戦を遂行する際、軍勢のモチベーションを上げるために、「一般の兵は武将になれる。一般武将は城持ち大名になれる」と一気に身分が上がる千載一遇の機会だということを部下に約束したのである。
武具甲冑や武器弾薬はおそらく船で運んだのだろうが、成功報酬の提示でにわかに士気があがった軍勢は裸一貫で死に物狂いで京都まで疾走することができた。また毛利家の旗を調達し明智軍をかく乱するのに利用したり、「信長は生きている」とのデマを流し様子見を決め込んでいる大名の判断を遅らせたりした細かな調略も次々に効果を生んだ。
この「ライバルの資産を負債に変える」官兵衛の戦略は、ビジネスの場では「強者のパワーがあだになる」というケースに似ている。牛丼チェーンの「すき家」で人手不足による閉店が相次いでいるという全国的なニュースを例にとろう。あくまでも個人的な憶測にすぎないが、これは吉野家が昨年末に「牛すき鍋膳」という新メニューを発売したことが原因ではないかと考えている。
もともとメニューの幅が広いすき家は、他の牛丼チェーンに比べ店員への負担が大きかったと考えられる。もちろんそのことを吉野家は知っていただろう。牛肉や野菜を煮込んで食べる「牛鍋」がルーツの牛すき鍋膳は、コンロや鍋があり、普通の牛丼に比べオペレーションがかなり複雑だ。すき家が同じようなメニューを投入してくることを予想し、しかも煩雑な業務が発生することがどのような結果をもたらすかも想定したうえで、吉野家は「牛すき鍋」を投入したのではないだろうか。相手が追随すればオペレーションが破綻する、追随しなければ新メニューの市場は独り占めできる、どっちに転んでもこの勝負に勝てると踏んだのである。
案の定、すき家は同じメニューを同じ値段で2月に発売し追随した。そのことが理由かどうかは不明だが、4月1日以降閉店が相次ぎ、200店舗以上が休業している。企業の存亡にかかわる危機といえるが、メニューの幅が広いという資産をあっという間に負債に変えてしまった吉野家側の戦略がもたらした結果と私は捉えている。
良き右腕は上手に直言
さて話を社長と右腕の関係に戻そう。多くの経営者の座右の書ともなっている伊藤肇の『現代の帝王学』によれば、トップが持つべき人材を①原理原則を教えてくれる師②直言してくれる側近③よき幕賓の3つに分類している。①の師を右腕と呼ぶのはいささか強引だが、ここは伊藤肇にならって議論を進めることにする。
はじめの「師」については、必ずしも社内にいる必要はない。稲盛和夫氏や松下幸之助氏などといった名経営者を尊敬している社長は多いと思うが、「もし松下幸之助だったらどうするか」と考えること自体がすでに師に教えを請うことと同じだからだ。自分が目指す社長像に近い経営者や歴史上の人物を探し、その人の著書を徹底的に読み込めばよいのである。
③の「幕賓」は聞きなれない言葉だが、簡単にいえばブレーンのこと。名実ともに参謀役というべき人物がいればそれにこしたことはないが、中小企業ではそうした人材を社内に抱えることは容易ではない。ましてや官兵衛のような極めて優秀な人物を求めるのは高望みともいえる。税理士や地元の商工会の指導員、会社顧問などの信頼できる人物が社外にいれば十分で、そうした人々にいつでも電話一本で相談ができるような関係を構築しておくのがよいと思う。
しかし①の側近だけは社内で育成しなければならない。「この人がいれば、仮に社長が不在でも会社の日常業務がまわる」実務を取り仕切る番頭さんの存在である。なぜなら経営戦略に力を傾けず社長が日々の業務に追われている企業の発展可能性は低いからである。
右腕と呼べるような側近には「社長に直言できる」という重要な条件がある。しかしただ逆らえばよいというわけではない。もともとオーナーと社員ではそれぞれの事象を見る視点が違う。社員は部分最適を志向するが、社長はあくまでも全体最適を考えるのである。そこに生じたズレに基づき社長の意見に反対しても、前提となる共通目標が異なっていては議論がかみあわない。即座に反対の意を伝えるのではなく、一呼吸置くとか、正面からではなく側面から何げなく伝えるという配慮が求められる。これは明らかに社長が間違っている場合も同様である。
一方で社長の度量も試されるだろう。右腕の意見を頭ごなしに否定したくなるときもあるだろうが、それを続けると誰も何も言わなくなってしまう「裸の王様」状態に陥る危険がある。「何をバカなことを」と思ってもいったんは受け止め、「会社のことを思っていろいろ考えてもらうのはうれしい。しかし全体最適でいえば私の考えが正しいと思う。あなたの心意気は会社にとって必要なので今後もどしどし意見してほしい」といったような広い器量を側近に示すことが大切だろう。
- プロフィール
- ふくなが・まさふみ 1963年、広島県呉市生まれ。マーケティング関係の仕事を経て99年にコンサルタントして独立。ランチェスター戦略を指導原理に全国各地で講演・企業研修を行う。講演テーマはランチェスター戦略と「歴史に学ぶ戦略経営」。近著に『黒田官兵衛に学ぶ経営戦略の奥義 “戦わずして勝つ”』(日刊工業新聞社)などがある。
(取材・構成/本誌・植松啓介)